後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

涼しげな高山植物の花々をご紹介いたします

2014年08月02日 | 写真

ここ数日あまりにも暑くて出歩くことが出来ません。夏の花々の写真を撮りに行きたいのですが熱中症になりそうです。

そこでいろいろな方のブログから涼しげな高山植物の花々の写真を下にご紹介します。

写真を撮った方は3000m級の山々に登って撮影した貴重な写真ばかりです。

撮影された方々敬意を表し、写真をお借りしたことに感謝いたします。

撮影場所などの詳しい情報はそれぞれの出典に出ています。ご参照ください。

20120126140039_011 長野県駒ヶ根の千畳敷カールのコバイケソウです。

出典は、http://www.kankou-komagane.com/spot/inspection2.php?id=146&c_id=1&cj_id=4 です。

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上は湯ノ丸高原の高山植物のタカネナデシコです。清楚な美しさを誇る花です。

出典は、http://ochanblog.blog67.fc2.com/blog-entry-474.html です。

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上は 湯ノ丸高原の高山植物のコマクサの花です。 出典は、http://ochanblog.blog67.fc2.com/blog-entry-474.html です。

200807202202511 上はエーデルワイスです。 出典は、http://ochanblog.blog67.fc2.com/blog-entry-474.html です。

Iwakikyou1

この花は、「イワキキョウ」と言います。 3000m級の山の岩肌に咲きます。
高山植物は、洋花のように決してハデではありませんが、厳しい自然に立ち向かい、そして、山の短い夏に可憐な花を咲かせます。

写真と文章の出典は、http://ngo.cocolog-nifty.com/enjoy_bcl_radio_radio_rad/2004/08/post_9.html です。


本田宗一郎さんに関する私の記事がテレビに紹介されます

2014年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

個人が書くブログやホームぺージはその時代のサブカルチャー(隠れた文化)としてマスコミなどの表に現れません。

しかし最近はブログやホームぺージなどに出る情報が一つのニュース・ソースとして時々マスコミのニュース番組で紹介されるようになってきました。

ネットに流れる情報の正確度の検証は難しいのですが、その時代の人々の感じ方や個人的な感想が庶民の文化史として価値を持っているのです。

昨日、ある大きなテレビの番組の制作会社のKさんというディレクターの方から電話取材を受けました。私が2007年に書いた本田宗一郎さんに関する記事についてです。

この経験で2つのことで感動しました。

(1)本田宗一郎さんを中心に取り上げるある番組の担当スタッフの調査が徹底的なことです。従来は本田宗一郎さんに関する本や新聞を調べるだけでした。しかし最近はブログやホームぺージなどのソーシャル・メディアに出る情報も丁寧に調べているようです。流石に大きな番組制作会社だと感動したのです。

(2)電話をかけてきたあるディレクターが大変人間的で感じの良い方だったのです。電話の目的は2つでした。一つは私の記事の正確度の検証です。以下の記事にある「翌日の新聞」を持っていませんか?という問いでした。持ってはいませんが、それはColumbus Dispatch という新聞ですと答えました。

もう一つは何故、本田さんが外国で高く評価されているのですかという質問でした。答えは簡単です。彼は非常に独創的な人間だからです。当然、彼の会社の発売する二輪車も四輪車も従来、市場に無かった斬新なものなのです。その上丈夫で耐久性が良かったのです。

日本では本田さんの庶民的な性格に人気が集まりますが欧米では彼の独創性を尊敬しているのです。

電話でそんな話をしました。そのクドクドした話を根気よく丁寧に聞いてくれた若いディレクターのKさんへ感謝しています。

下に本田宗一郎さんに関する私の記事を再掲載います。そして亡くなってしまった本田さんへお花の写真を一枚お供えいたします。神代植物公園の温室で撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

=======外国体験のいろいろ(21)===============

◎米国で尊敬される本田宗一郎

1988年、オハイオ州立大学で働いていたとき、本田宗一郎氏がオハイオ・ホンダ工場を視察に来た。工場はフル操業しており地元経済は活況を呈していた。地方紙が一面トップで本田氏来訪を伝え、翌日の新聞には黒人の労働者と握手している写真が大きく出た。広大な工場を視察し、多くの労働者と親しく会話し、握手をしたと報じた。

アメリカの大企業幹部は工場労働者とは握手をしない。食堂もトイレも社員と労働者は別である。ところがホンダ工場は一緒。本田氏は「自由と平等」をホンダ工場の中で徹底した英雄といえる。

よく知られているように、本田氏は小さなオートバイ工場を出発点にして、世界中に乗用車製造工場を建設した。この話はアメリカ人の好むアメリカン・ドリームの物語である。飾らない開放的な人柄も手伝って、多くのアメリカ人に尊敬されている。

@面白い体験

オハイオに住んでいると、日本人という理由で親切にされる。ホンダ工場のおかげである。近所のガソリンスタンドで車を修理してもらった。「日本人か?」と修理工。「そうだ」「ならホンダ工場の日本人に頼んで就職できるよう話をつないでくれない?」

ホンダ工場とは付き合いが無い。1週間後にホンダの採用窓口の電話番号を調べて教えたら、「有難う!忘れていなかったのが嬉しい」。アメリカ人に頼まれたらできる範囲のことをしてあげる。なぜそこまでしかできなかったのかを説明する。

学科の同僚教授へ呼び掛けてホンダ工場を見学に行った。緑輝く牧場に囲まれた工場は隅々まで清潔で、労働者は色々な人種が混じっている。組み立てラインでキビキビと正確に部品を取り付ける。こんなに楽しそうに働くアメリカ人の集団を見たことがない。一緒に行ったアメリカ人教授も皆この集団に圧倒されていた。

アメリカの頭痛の種はリンカーン大統領の昔から人種差別の問題。ホンダ工場では黒人も白人もアジア人も同じ組み立てラインに平等に働く。ラインはいつも動いており、チームワークが絶対に必要である。声を掛け合って部品の取り付けが遅れたり不完全になったりしないようにする。

「黒人と白人が一緒に楽しく食卓を囲む日が必ずやって来る!」―暗殺された公民権運動の黒人リーダー、キング牧師の言葉を思い出す。ホンダの組み立てラインをキング牧師に見てもらいたかった。

@本田氏を訪問

その年の初冬、オハイオの恩師夫妻と東京駅八重洲口のホンダ会館へ本田氏を訪問した。目的はホンダ工場と大学との共同研究をお願いすることだった。本田氏は機嫌がよかった。戦前に芸者さんと飛行機に乗った話、初めてオートバイを作ったころの話、マン島レースでの優勝の話などを楽しそうに語ってくれた。

民間企業から研究費を貰う交渉に抜群の能力を発揮する恩師が本田氏の話をウットリして聞いている。上気して顔が赤くなり、尊敬の眼差しで本田氏の顔を見上げている。帰途、「終始黙っていましたね。研究費を貰う話はどうなったのですか?」と聞くと、「そんな話は出せなかった。お話を直接聞けたことが人生で二度とない貴重な体験だった」。

オハイオ州立大学のアメリカンフットボール競技場に立つ巨大な電光掲示板はオハイオ・ホンダの寄付と聞く。