老境になると長年連れ添った夫婦の一方が急病になり一晩で亡くなってしまう場合もあります。
あまりにも急で心の準備も出来ません。動転し、どうしてよいか判らなくなります。
食欲も無くなり、夜も眠れません。毎日暗い気持ちで、自分が生きているのか死んでいるのか判然としません。
このような悲劇が起きた場合の対処法を少し書いてみます。
以下のことが少しでも出来れば悲しみもほんの少しはやわらぐのです。
(1)他人の目を一切気にしないで泣けるだけ泣くことです。徹底的に悲しみます。悲しみを家族や友人に話をします。間違っても悲しくないという態度はとらないことです。
(2)何故、急病になったかとその原因をあれやこれや考えないことです。考えれば人の不注意をなじることになります。故人を傷つけます。そして自分が早く病院へ連れて行かなかったことを思い、自分を傷つけます。
ですから何故と考えないで下さい。起きたことは素直に受け入れて、その原因を考えないことです。
こんなことを書いても無駄です。素直に受け入れることなど到底不可能です。という合間、合間に素直に受け入れようとしてみて下さい。たとえ一瞬でも受け入れることが出来ればそれで良いのです。
(3)お葬式はしなくても良いのですが、どちらかというとお葬式をすると悲しみが少しだけ消えます。
もし故人も自分も無宗教なら和尚さんをよんで仏式でするほうがいろいろな面で都合が良いものです。
お葬式とは僧侶が故人へ戒名を与えて出家させ、お経をあげてお釈迦様の弟子として冥界へ送りだすことです。(戒名は自分で作り方を調べて自分で故人へ送っても良いという考え方もあります。)
自分が無宗教なら仏教を信じる必要はありません。しかしお葬式で唱える般若心経と大悲心陀羅尼という2つのお経の意味をネット調べるとで悲しみが少し和らぎます。
(4)故人の遺骨は埋葬しないで自宅に置くのも良いものです。この場合、お線香や故人の好きだった食べ物を供え供養をします。毎日でなく、時々でも良いのです。
そういうことを続けていると次第、次第に悲しみも癒され、遺骨を埋葬し、故人をお釈迦様の足元へ送り出したくなるものです。
お釈迦様なんか信じられないと言って良いのです。言ってみると、逆の考えが浮かんできます。
ヒョットすると故人は冥界に生きていてお釈迦様が大事にしてくれていると思える瞬間があるものです。一瞬でもこのように思えれば悲しみやわらぐがのです。別に仏教を信じ、仏教徒になる必要などありまぜん。
(5)お葬式のあと僧侶は決まり文句を言います。
「功徳を積んで個人へ差し上げなさい。それが一番の供養になります。生きている人間が冥界にいる故人へしてあげることはそれ以外に無いのです。」
自分が善い行いをすることを功徳をいいます。それを積み重ねて、束になったら冥界にいる故人へ手渡して下さい。冥界にいる故人が一番喜ぶことは功徳の束を貰うことです。
こんな説教は信じる必要はありません。しかしバカになった心算で実行してみて下さい。そしてそれを束にして故人へ手渡して下さい。悲しみが薄らぎます。
功徳とは近所の人に優しくすることです。神社仏閣へお参りしてお賽銭を何時もよりは多めに上げることです。そしてボランティア団体に寄付することも良いものです。あるいは生き物の命を助け自然界へ放してやっても良いのです。
上に書いた(1)から(5)を考えながら、とにかく時間が流れ、日々が流れゆくのを待ちます。49日が過ぎ、100日が過ぎ、1年、2年と時が過ぎ去ります。
悲しみは絶対に忘れませんが、心が平静になって行きます。時間の経過が平穏な心を取り戻してくれるのです。いかがでしょうか?
亡くなられ方の冥界での幸福を祈ります。ご冥福を祈ります。
私はカトリックですが、上に書いたことは日本人としていつも考えている事です。
下の写真はあるお寺の写真です。この記事の挿絵代わりにお送りします。
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