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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

中国は全般的に見ればイスラム教徒の回族もラマ教徒も大切にしています

2014年08月26日 | インポート

時々、中国政府がウイグル自治区やチベット自治区でデモを武力鎮圧しています。
しかし全般的に見れば、漢民族は中国内のイスラム教徒やチベット仏教信者(ラマ教信者)を、現在でも大切に思い、共に仲良く暮らしてゆこうと努力しているのです。
日本のマスコミはこのことを一切報道しません。そこで今日は私の見た中国国内の実態を報告します。少し昔の話ですが、ご勘弁下さい。

◎中国のイスラム教徒と漢族の食習慣
北京の大学へ何度か行ったのは1981年から数年間です。観光客の行かない学生食堂で学生と一緒によく食事をしました。
当時、中国の大学は原則として全員寮生活で、朝昼晩の三食は大きな学生食堂で取ります。料理の品数は少ないが美味しい北京料理です。
食器は自分が寮から持ってくる琺瑯引きの鉄製のドンブリです。食べ終わったらまた寮へ持ち帰り自分で洗います。
よく見ると、隣にもう一つ広大な学生食堂があります。イスラム教信者(回族)の学生専用の食堂です。回族は豚肉を一切食べません。ラードでいためた料理もだめです。回教の定めに従った方法で殺した羊は食べます。
一方、豚肉抜きの北京料理は考えられないので、異なるメニューの学生食堂が二つ必要になります。
また一歩外に出ると北京の街には回族食堂という看板を掲げた店が多いものです。白い布で髪の毛を隠した女や丸い帽子をかぶった男の回教徒が大勢歩いています。あるとき、中心街に近い大通りを、羊の大群が悠々と流れている光景を見て驚いたことがあります。
独特の帽子をかぶった回族の羊飼いが一人ついています。だれも非難がましく見ません。回族の当然な権利なのです。ある季節になると北京の市内で羊の市が立つそうです。羊の群れは北京の風物詩でもあったのです。
この光景は1985年頃まで続きました。高層ビルが林立する現在では見られない中国の風景でした。漢民族とイスラム教徒は仲良く混じって暮らしているのです。

宗教的戒律のない漢民族は、北京料理に飽きると回族食堂にはいります。漢族は羊に違和感を持たないのです。回族食堂では帽子をかぶったイスラム教徒も漢族も肩を並べて仲良く料理を楽しんでいるのです。
共産党独裁の中国でも回族はその伝統的食習慣を守りながら悠々と生きているのです。この状態は中国の歴史とともに古い生活様式なのです。

      @北京の北、承徳にあるチベット仏教のポタラ宮
中国が歴史的にチベットを領有した時代がありました。特に清朝の皇帝はチベット仏教を大切にして、ラサにあるポタラ宮と同じ寺を北京の北230Kmにある承徳の郊外に作ったのです。
私も1981年に、この清朝の避暑山荘を訪問しました。
郊外にある豪華絢爛たるラマ教寺院の壮大な規模に圧倒されました。
当時は文化大革命で建物が徹底的に破壊されていましたが規模の大きさと崩れたレンガの華やかな装飾に圧倒されたのです。このような中国とチベットの友好関係の時代があったのです。
ダライ・ラマ氏は傑出した仏教徒です。彼はチベットの独立を主張していません。自由な宗教活動を要求しているだけなのです。中国政府が誠実にダライ・ラマ氏と話し合うことを祈っています。
承徳にあるチベット仏教のポタラ宮風の寺院は、現在、完全に復元され「世界遺産」として登録されているそうです。下にその写真を掲載します。


写真の出典は、承徳の避暑山荘:http://ja.wikipedia.org/wiki/外八廟 です。
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下はチベット仏教の普寧寺の千手観音像 です。
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ダッシュ島の今昔と若者達TOKIOの生活体験に想う

2014年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

ダッシュ島とはTOKIOという若者のグループが瀬戸内海の無人島に生活に必要な小屋や井戸や水路の樋などを作る番組です。この無人島はその形や風景から愛媛県の松山市に近い由利島と考えられています。

この番組を私は非常に興味深く見ています。現在の若者たちが汗を流して無人島での生活に必要な小屋や井戸などを手作りしている様子がすがすがしく感動的なのです。

しかしその一方で、この番組は日本の漁村の過疎化問題を提示しているのです。

この由利島にはかつて数百人の人が住んでいたようです。それが次第に消えてしまったのです。

この番組ではTOKIOの若者達が島に残された昔の生活の遺物を探し出して、もう一回利用しようとするのです。その態度が好ましく思えるのです。

この番組を通して私は人々が生活のために移住して行く歴史を考えています。

魚を取って生計を立てる人々にとって魚群が移動すれば移住するのが当然です。その現実を下の写真でご覧下さい。数百人が定住していた頃の航空写真なので人家らしいものや田畑の様子が鮮明に写っています。

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この写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E5%88%A9%E5%B3%B6 です。

この由利島は松山市の島で、船で30分位の沖にあるそうです。そして同じ松山沖の二神島から人が移住し、特に昭和初期には好漁が続き、夏の漁期には数百人が暮らしていたというのです。

太平洋戦争時には日本海軍により、大きな方の島の大由利に監視台が置かれました。

しかし戦後はイワシの魚群も少なくなり、やがて不漁となったため、人口も減り、1960年(昭和35年)には人口6人との記録がありましたが、1965年(昭和40年)にはこの6人も島を離れ、無人島となっってしまったのです。

ですから大きな島と小さな島を結ぶ砂州にはかつて集落や漁港があったのです。

下に松山市在住の方のHPhttp://nowhotnews.blog.so-net.ne.jp/2012-10-15-1から由利島の図を示します。

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上の図面で電話ボックスと示してあるところには1965年に無人島 になってから1993年まで公衆電話が設置されていた場所です。キャンプをする人々のために電話だけは存続していたそうです。

 下にTOKIO達が作った舟小屋の写真を示します。

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上の写真の出典は、http://www.ntv.co.jp/dash/contents/island/index.html です。

この番組は以前、「ダッシュ村」でアイドルグループが米をはじめさまざまな野菜を作っていました。その作業の様子を丁寧に放映していました。その村が2011年3月11日の福島原発の爆発で放射能を浴び、立ち入り禁止になったのです。

そこで農作業を指導していた明雄さんというおじいさんはその後も元気に番組に出ていましたが、残念ながら亡くなってしまいました。

この番組の魅力は古くから続く農業や漁業のありかたを示しながら娯楽的にも非常に楽しい作りになっているところです。良質で良心的な番組です。そしていろいろなことを考えさせる番組です。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)