後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

愛と文化は国境を越える(4)中国人を愛し、中国の土になる決心をした日本人達

2014年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、日本と中国は尖閣諸島の領有権をめぐって対立しています。そして南シナ海での中国の横暴な振る舞いでアジア諸国が緊張しています。

軍事的対決がやがて戦争になる可能性もあり、日本にとって中国は警戒すべき仮想敵国だと言う人も多くなっています。

しかしその一方で、やく20000社(2万社)の日本の企業が中国に支店や工場を持っていて中国との経済交流を行っています。

したがって戦争を避け、中国との友好関係を築くことは日本の将来にとって非常に重要なことです。いたずらに感情的なっては国益を害するのです。

そこで以下に中国人を愛し、中国の土になる決心をした日本人達をご紹介いたします。

少し昔の話ですが、以下の歴史を忘れないようにしましょう!

    @日本へ帰らない中国の残留孤児達の育ての親への愛

1980年代末、北京でのこと。日本の新聞には戦争残留孤児が続々と帰って来たというニュースが溢れていました。

当時、筆者を北京へ招待してくれた北京鋼鉄学院の周栄章教授が、ある日、私を庶民向けの北京ダック専門店へ招待してくれました。

その周教授の言葉です:「日本の新聞には残留孤児帰国の記事が多いそうですが、それには中国では別の問題が起きているのです。中国人に大切に育てられた日本人の子供は帰る決心がつかないのです。生みの親より育ての親と言うでしょう。日本に帰れば経済的に助かる。それが分かっていても、名乗らない孤児の方が多いのです。私の知り合いにも名乗らない人がいます。帰らないで中国に骨を埋める決心をしている残留孤児を中国人は尊敬しています」

日本の新聞は名乗り出ない残留孤児も多くいることを一切報道しません。ですから私は大変吃驚しました。 しかし私は中国の土になると決心した残留孤児を誇りに思いました。と同時に、彼等の郷愁を想い、深い同情を禁じ得ませんでした。彼等に幸多かれと祈りました。

       @中国に永住している残留技師

自分の残留事情を日本の本屋から出版した人もいます。岩波新書の「北京生活三十年」を書いた市川氏である。満州にいた市川氏が残留技術者として北京市へ移り、三十年間、同市重工業部で機械技術の仕事をしてきた体験記です。

市川氏は東北大学の金属工学科の同じ研究室の先輩であったため、的場教授から中国で消息不明になった市川さんの安否を調べてくれと頼まれたのです。それは1981年のことでした。

そこで次回に北京へ行った折に、中国政府の金属工業省に市川氏の調査を頼みました。

そうしたら、4、5日して人民大会堂で開催された歓迎会の折、市川氏が現れたのです。そして私の隣の席に座ったのです。小生は市川氏へ的場教授が心配していることを伝えました。

「先生のご恩は忘れたことがありません。しかし、中国に骨を埋めることにしたとお伝えください」と言って、並んでご馳走を食べます。あまり話さず、ニコニコして食べるだけです。

彼は日本へ帰ろうと思えばいつでも帰れる立場にあったはずです。そうしなかったのは中国の独立と建国へ日本人として貢献したかったらしいのです。中国人へ対する愛着や愛情がそうさせたに違いありません。

中国の土になると決心した日本人達の動機は「愛」に違いありません。愛は国家や人種を超越するという実例です。

の記事の挿絵代わりの写真は中国の花です。出典は、

http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/china-hana.html です。

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上は善巻洞の近くの張公洞の2次林に自生する中国石蒜Lycoris chinensis)。

下は焼き物で有名な江蘇省宜興に近い善巻洞の松林の中に咲いているヒガンバナ科換地錦Lycoris sprengeri)

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私は気持ちが落ち込んだ時ゴッホの絵を見ます

2014年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、日本の若年層が右傾化し、戦争への道を歩み始めたように感じています。

そしてインターネットをいろいろ見ると韓国人や中国人を差別し、軽蔑したような恐ろしい文章が沢山掲載されています。

これは中国人や韓国人を傷つけるだけでなく日本人の尊厳も傷つけているのです。

そこで私はこの傾向を少しでも変えたいと思い、私のブログに以下のような3つの記事を書きました。

韓国のお寺と墓地の風景・・・我々と同じような人間が住んでいます

愛と文化は国境を越える(3)ミレーの晩鐘が朴寿根画伯の生涯を支えた

韓国にもある神仏混交のような宗教混淆

これらの記事を読んだ方々は、毎日のアクセス数の750件から推定すると、3日間で、のべ2000人以上と思います。しかしこれで韓国が好きになったというコメントや反応はありませんでした。皆無です。大きな無力感で気持ちが落ち込んでいます。

このように気持ちが落ち込んだ時にはゴッホの絵を見ることにしています。何故か元気が湧いてくるのです。家内は感動はするけれど逆に悲しくなると言います。ゴッホに同情しているのです。絵画から感じることは人さまざまです。

検索していろいろなHPを見較べていますが、「ヴァーチャル絵画館」:http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/Gogh.htm は色彩が一番鮮明で、多くの絵画を網羅しています。

そこでこのHPからゴッホの絵を5枚を選んで、以下にお送りします。

ゴッホの絵がお好きな方々は喜んで下さると信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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ゴッホ「モンマルトルの家庭菜園」1887 ゴッホ美術館 アムステルダム

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ゴッホ「アルルのはね橋」1888 54x65cm  クレラー・ミュラー美術館、オッテルロー、オランダ

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ゴッホ「スヘフェーニンゲンの浜辺」1882 アムステルダム市立美術館

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ゴッホ「アルルのゴッホの部屋」1888  72 X 90 cm アムステルダム、ファン・ゴッホ国立美術館 

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ゴッホ「夕方のカフェテラス(アルルのフォラン広場)」1888 9月 

81 x 65.5 cm クレラー・ミュラー美術館、オッテルロー、オランダ

=====Vincent van Gogh(1853-90)=============

オランダのプロテスタントの牧師の息子であった。ゴッホ自身も信仰心が厚かった。
伯父のヴィンセントが経営するグーピル商会で仕事をしていた。当時、パリ、ロンドン、ハーグで絵画を扱っていた。しかし、経営者にも仕事にも幻滅し、7年後、23歳でこの仕事は辞めている。
その後イギリスへ渡り、学校で教えた。この間にゴッホは、プロテスタント主義に傾いていく。
オランダへ一旦帰り、アムステルダムの大学で聖職者になるための教育を受けようとした。しかし、実際の試験勉強では宗教と何の関わりもないことアカデミックなことを勉強しなくてはならない。
落胆したゴッホはブリュッセルの副音伝道学校へ入る。しかし、ゴッホの過剰な信仰は、学校側に警戒される。
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ヶ月後、鉱夫たちの説教のため、ボリナージュ地方へ派遣される。ゴッホは人々の貧困を見て、自らも同化しようとする、あまりにも行き過ぎた熱意のため解任。
ゴッホの激しい性格は、他の人からは常に過度に映り、危険視されたのだった。
ゴッホとしては単に、キリスト者として貧しい生活を送りたい、というゴッホは、幹部と決裂し、ハーグ出て画家を目指すことになる。
ハーグでもゴッホは、一人の娼婦を救おうとして、家を提供してしまう。プロテスタント教会の伝統的なモラルから、明らかにかけ離れた生活者になってしまったのだ。
キリスト教による救済を断念したゴッホは、今度は、政治的な傾向へと向かう。実際に運動家ではなかったが、精神的には社会主義の理想へと引っ張られていった。実際、当時の社会は、社会主義が大きな勢力として台頭してきた時代であった。
パリに出ると特に、社会主義やアナキズムの賛同者が画家仲間でも多くいた。ゴッホは画家が協同制作するコミューンを夢見た。
大変な読書家だったゴッホは、ゾラ、ディケンズ、ヴィクトル・ユゴーなどの作家についても、攻撃的写実主義によって貧困層の受難を描写する点で、自分と共通点があると考えていた。
オランダの画家では、聖書の場面を人間性あふれる豊かな感性ととも描いたレンブラントを賞賛し、フランス画家のオノレ・ドーミエの、民衆版画で、権威を嘲笑う手法に共感していた。
そしてミレーは、ゴッホが最も賞賛した画家だった。宗教的な主題を直接描くのではなく、働く農民に尊厳を与えるその手法は、聖書の世界に深く関わっていると考えたからである。
1886
年、ゴッホはパリの弟テオのところに同居した。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどを目の当たりにした。印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に生き生きした色彩へと変貌した。
1888
年南フランスへ行ってからは、作品は外見以上に深いものを主題として求め続け、ゴッホの心情を表現するようになり、ますます個性的になっていった。
1890
7月、オヴェールで自殺した。生前に売れた絵は1点だけだったが、その頃には既に、画家仲間から作品は知られるようになり、評価され始めた時期であった。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/Gogh.htmより。