後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

久しぶりに石塚園芸に行って花の写真を撮らせて頂きました

2014年08月23日 | インポート

石塚園芸はいろいろな意味で感動的な花の栽培園です。
石塚健壽さんが精魂こめて交配し20種の西洋サクラソウの新種を作ったのです。
その石塚さんの仕事ぶりついては以前から何度かごご紹介してきました。
例えば、石塚園芸のサクラソウがオランダの花の祭典、フロリアードで金賞一席と特別賞を受賞 をご覧下さい。
2012年のオランダでの花の祭典、「フロリアード2012」に新種のサクラソウを出展し、金賞一席と特別賞を受賞したのです。
毎年、1月になると見事なサクラソウの花々を見せて貰うために訪問しています。

今日は久しぶりに石塚園芸に行って花の写真を撮らせて頂きました。あいにく栽培家のおじさんは不在でした。
下にお送りする花の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。
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愛と文化は国境を越える(3)ミレーの晩鐘が朴寿根画伯の生涯を支えた

2014年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

外国に行ったことも無く、外国人に会ったことも無くても異国の人間の善良さや誠実さは直感的に理解出来るものです。

愛とは善良さと誠実さによる他人を大切にする心です。それは国境のような人間の利己心で出来た境界など、一瞬にして飛び越してしまうものです。

その実例を以下にご紹介いたします。

朝鮮半島で一番尊敬されている画家に、朴壽根(1914~1965)という人がいます。パク・スネンと発音します。

彼が12歳の時、ミレーの晩鐘を見て、電撃を受けたように「私はミレーのような画家になる」と決心したのです。そしてその決心は一生変わりませんでした。

彼は貧しいキリスト教徒の家に生まれ、江原道の楊口で小学校を卒業したのみです。そして12歳の時、画家になる決心をしたのです。当時の小学校には日本人の校長がいて、その校長先生も朴壽根の描く図画を絶賛し、画家になるように薦めたのです。

しかし朴壽根は家は貧乏で、上級の学校へは行けません。偶然目にしたミレーの「晩鐘」に感動を受け決心したのです。

日本の領有時代の1930~40年代当時、何の縁故も人脈も無かった彼には「鮮展=朝鮮美術展覧会」が唯一の作品活動の場でした。

最初に「春が来る」という水彩画1932年に入選し、その後油絵も数回入選しました。「鮮展」図録に掲載された彼の出品作は、農村の風景と女性たちの生活を漂わせる作品が大多数で韓国独立後の作品まで継続し描かれているのです。
1940年代、隣の家の娘であった金福順と結婚しました。

そして彼は自分の絵画世界を次のように説明しています。

「私は人間の善良さと真実さを描かなければならないという芸術に対しての非常に平凡な見解を持っています。したがって私が描く人間性は単純であり、多彩ではありません。私は彼らの家庭にいる平凡なお祖父さん、お祖母さんそして小さな子供達のイメージを最も親しんで書きます」

彼の絵画には、日本が朝鮮を領有していたことや韓国が独立したことには微塵も影響を受けなかったのです。ただミレーのように、ひたすら人間の善良さと真実さを描き続けたのです。

しかしミレーの真似ではありません。ミレーの精神に共感しながら独自の絵を描き続けたのです。それではミレーの晩鐘と朴壽根の絵画の写真を見て見ましょう。

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朴壽根が12歳の時、このミレーの晩鐘を見て、電撃を受けたように「私はミレーのような画家になる」と決心したのです。

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朴壽根の「洗濯場」(37×72cm)1950年作。農村の小川で数人の農婦が洗濯している光景です。非常に単純化したフォルムにしみじみとした情感を漂わせています。

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上は彼が好んで描いた農村風景の一枚です。

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上は農村の光景を描いた水彩画(24.5×30)1957年作、です。彼は本当に絵の上手い人でした。

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上は当時の農村によく見かけた子守の光景です。赤ん坊が安心して寝ています。少女が何か考えごとをしているようです。安らかさの中に寂寥感を感じます。

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上の写真は1940年代、隣の家の娘であった金福順と結婚し、長女が幼かったころの朴壽根一家です。彼の後ろには多数の絵画作品が立てかけてあります。

絵を見て何を感ずるかは人それぞれです。変な感想や評論は書くべきとはないと知っています。しかし一言だけ書かせてください。彼の絵画には人間へ対する深い愛情を感じます。そして悲しみも感じます。この寂寥感には日本の朝鮮領有と関係が無いいことを祈るばかりです。

朴壽根は1965年、51歳の若さで亡くなりました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

 ======参考資料==================

(1)朴壽根生誕100周年記念展示会がソウル、仁寺洞のカナインサアートセンターで開催されました。2014年1月17日より3月16日までの約100日でした。展示作品は油絵90余点、水彩画とデッサンが30余点で合計120点以上展示されています。( http://iwacan-gokorea.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html )

(2)朴壽根の生涯:

http://www5.ocn.ne.jp/~sinwoong/801.html