最近の中國や韓国へ対する日本人の感情的反発を少し大きな視野で考えてみました。
そして戦後の反米感情や、西洋諸国の昔の植民地支配に対しての嫌悪感なども含めて、日本人の外国に対する感情の揺れ動きも考えてみました。
すると日本人は2種類に大別されます。大雑把過ぎると思いますが、まあ、お読みください。
一群の日本人は外国人を徹底的に差別し軽蔑する人々で、あとの一群は差別を全然しない人々です。
もちろんこの中間には外国人には一切関心が無いという一群の人々もいます。
さて、あなたはどちらの種類の日本人でしょうか?
例えば、差別するほうの代表例は前の都知事だった石原慎太郎さんです。後者の例は現在の都知事の舛添要一さんです。
この相違が何故おきるのでしょうか?
長い間考えて来ましたが、外国人と良い交流経験の有無が決定的な原因と思います。
外国人に意地悪されたり差別されるという悪い経験をした人は当然外人嫌いになります。それは自然なことです。
石原さんは芥川賞をとった小説家です。外国に住んでいたことも外人と共同で作業したこともありません。要するに外国人と一緒に協力して仕事をした経験が無いのです。
一方、舛添さんはフランスに留学して国際政治学者になった人です。外国人との交友の豊かな人です。外国に住んでいると中国人や韓国人を差別し軽蔑することのむなしさが身に沁みて判るのです。
この議論にはもちろん例外が多くあります。一度も外国人と接する経験がなくても外国人を分け隔てなく尊敬する優しい心の日本人もいます。そういう人を本物の人格者と言います。
さて私自身はアメリカ在住とドイツ在住の経験があります。中国と韓国に滞在して講演もしました。その経験のお蔭ですべての外国人を分け隔てなく親切にすべきだと思うようになったのです。
自分の心が広くて人格者だから差別しないのではありません。単に外国在住経験のお蔭でそのようになっただけの事です。自慢できる話ではないのです。
ですから外人差別は人格とあまり関係がありません。石原慎太郎さんもいささか自己中心なようですが立派な人格者です。
今日の記事の主な部分は以上で終わりです。
さて以下の話は自分のアメリカ留学のときのことになります。実につまらない個人的な経験ですが、自分が老人ボケになって忘れないようにと記述する部分です。
この先はお読みになるほどの内容ではありません。
私のアメリカ留学の時の体験を2つだけ記しておきます。
一つは1960年にオハイオ州立大学で実験装置を作ったときのことです。その装置の完成には大学に付属の機械工場のニールさんという職人がひどく親切に協力してくれたのです。
そして学科主任のフォンタナ教授が励ましてくれたのです。
下の写真はロードホールという建物ですが、その一階の右の部屋に実験装置を作りました。
そして下の写真は親切だった学科主任のフォンタナ教授の部屋のあった建物です。彼が寄付をした建物なのでフォンタナ実験室と言う名前がついていました。
玄関を入ってすぐ右側に彼の部屋があり、ヘレンという秘書がいつも親切にしてくれました。良く出来た女性でした。
そしてもう一つの忘れ得ぬ経験は、指導教官のセント・ピエール教授夫妻が我々の結婚式の仲人をしてくれたことです。
下の写真の左に立っている人が
セント・ピエール教授です。それは1961年のことでした。
このような体験をすると何時までもアメリカ人への感謝の気持ちが残るのです。
アメリカのことは全て好意的に見てしまうのです。ベトナム戦争や中東での武力行使以外のことは全てアメリカのことを好意的に見ます。
それが人間として当然ではないでしょうか?
そしてこの感情はさらに広がってすべての外国人を差別したり軽蔑したりしなくなりました。別に私が人格者なのではありません。外国体験が多かったからだけです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)