後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

戦国時代は本当に日本人同志が殺し合っていたのですーその驚愕の地方史

2009年11月05日 | インポート

今日、多摩川上流沿いの道を車でゆっくり走っていました。紅葉の写真を撮ろうと彼方此方見回しながら。

青梅の町から西へ入ったところに  たたずまいの良いお寺が高台の上に建っています。写真を撮り、案内板を見ました。青梅市一帯は南北朝の頃から三田氏という豪族が治めていたのです。これは変だとすぐ思いました。戦国時代の関東地方は北条早雲一族の所謂、後北条氏が占領してい筈です。案内板の後半を読んで納得しました。1559年に北条 氏照 に三田一族は殺されてしまったのです。この海禅寺は三田一族の菩提寺だったのです。その関係で後の人が立派な供養塔を寺の裏山の斜面に建てました。

皆死んで居なくなった後でも、山は変わらずに寺の後を包むように守っています。前には青梅の町が広がっていました。

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三田氏を殺してしまった北条 氏照の最初に居た城は滝の城といって野火止めの地にありました。野火止めは八王子城と北関東の中間にある重要な場所です。しかし甲府の武田信玄一族は高尾山や奥多摩の山々を越えて関東平野に出ようと小競り合いを仕掛けてきます。そこで氏照はこの滝の城を部下に任せ高尾山近くの八王子城へ移ります。下の写真は野火止めの地にあった滝の城の本丸跡に建っている城山神社です。高台にあるので南の平林寺方向は見晴らしが良いです。

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このように一時は東京の周りを広く占領していた北条氏照も天正18年、1590年の秀吉による小田原城の落城の直後、殺されてしまいます。滝の城も八王子城も、とにかく関東一円の小さな城の全てが落城し、秀吉一派の占領するところになったのです。

江戸時代になると徳川家康は関東一円の全ての城を直轄領にしてしまったのです。武田信玄の居た甲府城も直轄領にしたのです。

現在から考えると日本人同志が互いに殺し合うという残酷な時代だったと怖くなります。ちょっと注意してお寺や神社の説明文を読むと地方の歴史が書いてあります。皆様の住んでいらっしゃる地方はどのような歴史があったのでしょうか?(終わり)


奥多摩の今日の紅葉の写真です

2009年11月05日 | 写真

今日は朝食後、夫婦解散し私は新青梅街道を西へ、青梅から多摩川上流へ入り、写真を撮りながら奥多摩湖の上端まで行って来ました。少し遠慮したような色合いの紅葉が曇り空の下に広がっていました。紅葉の始めのようで、一週間後あたりが紅葉の最盛期のようです。数枚の写真をお送りします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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アジアの人を愛しているマイフレさんの展示会へ行ってきました

2009年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アジアの伝統的な手織り・草木染めの布の蒐集家の ひかるの氏の展示会へ行ってきました。マイフレンドです。インド、ブイータン、タイなどの人々の中に混じって住み、現地の言葉を何種類も話し、人々を尊敬し、愛している独身の中年男性です。住んだ国々の、野生の蚕から紡いだ絹糸を草木染めにする伝統技術。そして色々な色に染めた絹糸を織り合わせて美しい布に仕上げる伝統技術。その技術も近代化の波に消えて行く。その前に草深い奥地に入って20年前、30年前に手織りで完成した布を蒐集する。現地の言葉が話し、人々と親しくならなければ絶対に手に入らないような貴重な布が所狭しと展示してありました。写真をご覧下さい。

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展示してある野産のシルクの布は買うことが出来ます。しかし安易な気持ちでは買ってはいけません。アジアの人々が何カ月もかけて丁寧に仕上げて行った工程と作った人々へ対する尊敬の念を持って買って貰いたいというのが ひかるの さんの気持ちです。ですから決して安くは売っていません。高価です。安く売って粗末な使い方は絶対にして貰いたくない。それが ひかるのさんの気持ちです。

布の来歴やその地方の様子は ひかるのさんのブログ、「インド ブータン アジアの布 染織美術館」ーインド、ブータン、東南アジアの国々の生活文化を伝えますーに一枚一枚詳しい説明が出ています。http://asiancloth.blog69.fc2.com/ を是非ご覧下さい。

ひかるのさんと随分話し込んでしまいました。人間へ対する限り無い愛着と消え行くアジアの文化への燃えるような郷愁が私を魅了します。

069 そんな話になる前に急用があって帰って行った趣味人倶楽部のマイフレの「せんしゅうさん」の写真を付記して置きます。茶道の達人で、やはりアジアに住んだことがあり、人々を愛しています。ちょっとした会話を交わしただけでしたが、ひかるのさんに似た雰囲気を持っていました。素朴で柔和な方のようでした。左に せんしゅうさんの写真を示します。ご本人の了解は貰ってあります。

皆様も是非、手織りの布、草木染めの布の展示会へ行かれることをお勧めします。古い日本にかつて存在した布です。郷愁が掻き立てられます。展示会の場所や日時はこのブログの11月4日の記事として掲載してあります。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人


ニコライ堂でロシア正教のある聖職者に偶然お会いできました

2009年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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ロシア正教はギリシャ、ビザンチン、ロシアに伝わったキリスト教で、旧教と言われるカトリックに近い宗派です。1861年に、ニコライが宣教師として函館に着任した時は既に「救主復活聖堂」というロシア正教の教会が函館にあったと記述しています。

東京の駿河台にあるニコライ堂は1891年、明治24年に完成しています。

以前からロシア正教のことをこのブログで紹介したいと思っていたので、今日はニコライ堂に入って見ました。無料観覧日でしたので内部まで見ることも出来ました。明日からバザーなので準備もしていました。上の5枚の写真を撮って来ました。

教会の門を出るところの事務所に寄り、教義書を買おうとしたら、偶然にも一人の聖職者にお会いしました。少し話をしました。驚いたことにその方は以前、カトリックの信者でした。

イタリアのバチカンの所属していた方がロシア正教へ変わったのです。私は単刀直入に聞きます、「何故、宗派を変えたのですか?」と。

答は単純明快です、「ロシア正教の方が原初のイエス様に近く感じたからです」。なんとなく納得しました。ロシア正教は昔のキリスト教の教えや習慣を頑ななまでに残しているようです。現在のカトリックは16世紀の宗教改革の影響で近代化しています。プロテスタンの影響も否定できません。私の持ち前の好奇心が湧いてきました。これから何回かにわたって日本におけるロシア正教の記事を掲載したいと思います。そうぞ宜しくお願いいたします。(続く)


湖を見下ろせる結婚式場をどうぞ!

2009年11月04日 | うんちく・小ネタ

この写真の建物はホテル観光と言います。最上階右半分は広い結婚披露宴のための会場です。そこの大きなガラス窓からはヨットが湖上に並んでいる風景が楽しめます。建物の右手の奥の方に丸いドーム状の屋根が写っています。イタリア、フィレンツェの教会のような建物が結婚式場です。

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私はヨットを泊りがけで楽しむ時、よくこのホテルに泊りました。日本の高度成長時代は結婚式や披露宴で繁盛していた広間がいつもガランとして淋しいのです。

上野から常磐線の特急に乗ると43分で土浦駅に着きます。東口から徒歩5分の便利が良い所にあります。どうぞ地元発展の為にこのホテルを是非お使い下さい。

そしてホテル前から出る霞ヶ浦遊覧船もお楽しみ下さい。土浦に21年通っていると何か故郷のような愛着が湧いてきます。ご参考になれば嬉しく思います。(終わり)


ネットの上で知り合った方々と実際にお会いします

2009年11月04日 | うんちく・小ネタ

お互いに会う事も無いネットの上でも心の交流が出来ます。交流が深まればお会いしたくなるのが人情です。そこで私は次の詩にあるような人々を選んでお会いします。お会いしたいと書いたメッセージやメールを送る前にこの詩を読み返して考えます。

===================

心の貧しい人々は、幸いである、天国はその人たちのものいである。

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地をうけ継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸である、その人たちは憐れみ受ける。

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

義の為に迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

================================

上の詩の一行目の、「心の貧しい人々」は「心の素朴な人々」と考えています。

この詩の中にある内容の方々か、どうか?をまず判断します。その為にはブログやSNSの日記を長い期間読みます。写真や絵画も丁寧に見ます。すると人々の心が見えて来ます。

素朴な人か、柔和な人か、憐れみ深い人か、心の清い人か、平和になるように何かをしている人か、などが鮮明に分かります。

そのようにしてお会いする人々を選んで来ました。過去2年間、何人もの人々にお会いし、感動しました。

今日はこれから久しぶりに電車に乗って、ひかるの さんのアジアの手織り・草木染め布の展覧会へ行きます。

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ひかるの さんは上の詩の中にある、素朴で、憐れみ深く、心の清い人です。インドやタイやネパールに住みついて現地の言葉で人々と親密に交流しています。日本人ですがあちらの方が気に入っているのです。毎年2回、神田の小川町で展示・即売会を開催しています。もうお会いするのが3回目になります。素朴で心の清い人とは議論などしないで傍に居るだけで良い気持ちになります。元気が湧いてきます。

今までお会いしてきた、オカブさん、Hootaさん、甲斐駒さん、鬼家(オニイエ)さん、hanaさん、 Yoko さん、Hiro-T さん、などなど、皆んなそのような人々でした。

皆様がネット上で知り合った人々とお会いする場合、少しでも参考になれば嬉しく思います。尚、上の詩は2000年前にイエス様が作った詩です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人


白い雲、水面の輝き、そして老人とヨット

2009年11月03日 | 写真

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028 文化の日は例年のように晴れ上がりました。手製のオイナリさんをもってヨットへ行きます。キャビンの中でお茶を淹れて昼食をとりました。あまりにも雲が綺麗なのでエンジンをかけて沖にでます。センリングなどしないで長い間、空に流れる白い雲と水面の輝きを見ていました。風が寒かったです。(終わり)


プロの画家はどんな気持ちで絵を描いているか?ー三輪修、その心の世界ー

2009年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

素晴らしい絵画に解説は不要です。それなのに教養ある文化人が賢げに解説している場面を良くNHKのテレビで見ます。(NHKだけではありませんが、、、)。

しかしその絵を描いた画家自身がどのような気持ちで描いたか話をするなら別です。その絵を一層深く楽しむことが出来るからです。画家とその絵の一部を共有出来るからです。まず下の三輪修さんの絵をご覧下さい。木曽川の風景を描いたものです。ジッと数十秒息をつめてご覧下さい。

2003221 次にこの絵を描いた時の三輪修さんの気持ちを書いた下記の小文をお読み下さい。次にもう一枚の絵を示します。

「甦る記憶との間で・・・」

先日、行きつけの画材屋さんへ絵具を買いに行った帰り、急に私の生まれ育った場所に行きたくなり、車を走らせました。私が生まれ育った所は、尾西市という街で、昔は織物業が盛んで、織機の音が一日中聞こえていました。車が目的地の近くになった時、幼い頃見た風景とはまるで違った建物や看板が目立ちはじめ、がっかりして車を路肩に止めました。
しかし、ふと傍らに目をやると、見覚えのある小川があり嬉しくなりました。ここでいつも四手網を川下に置き、竹竿で川底をつついて、鮒、泥鰌、ザリガニなどを追い込むと、網も破れんばかりに捕れたものでした。その時の嬉しかった事、友達の笑い声、光の暖かさ、魚の匂いなどが、ピンホールカメラの写真のようにぼんやりと目の前に現れ、幼い日の楽しかった日々がおぼろげに甦ってきました。 大人になってからは、こういった感動は、普段あまりないのですが、それでも旅をした時などは、新鮮な驚きや感動を覚えます。家に帰って日常に戻っても、その余韻はぼんやりと心に拡がり、子供の時に覚えたような、ある種のノスタルジーとして記憶されます。
ところで、私の絵は、そういった過ぎ去った時と未来との間で、私の中で熟成された、時間、空間、温度、他に目に見えない何かを現わすことが出来たらと願っています。(みわおさむ)

次にもう一枚の絵を示します。「パリの橋」という題の絵です。この絵は1996年作の油彩画です。

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この絵について三輪さんから文章は頂いていません。この絵の解説はしませんが、私の感想を一行だけ書きます。この絵はパリの過ぎ去った時と未来の間で、三輪さんの心の中で熟成された、時間、空間、そしてそれを包むもろもろの人々の生、目に見えない何かを現わそうとした絵ではないかと感じています。

神から貰った三輪さんの卓越した才能(タレント)へ祝意を表します。  (終わり)                    このブログ内の掲載作品は著作権があり許可無く転写・転載は禁止致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人


ネット社会の自由と平等性に乾杯!

2009年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム

ネット社会では年齢、性別、職業に関係なく全ての人々が平等で自由にお付き合いが出来ます。私の憧れの人々へも気楽に声をかけ、友人になることが出来ます。

実社会では絶対にお会い出来ないような方々がネット社会には沢山住んでいて、コメントやメッセージの交換が即座にできます。

最近、プロの画家の村田 旭さんと三輪 修さんの素晴らしい絵画をこのブログでご紹介しました。また作品を天皇陛下へ献上するような尾張裕峰さんという陶芸家の作品の写真も紹介しました。

他の人々のブログやSNSの日記や写真を広く見まわして感動した藝術家へ気軽にメッセージやコメントを送ります。相手と心と心の交流が出来れば、先方の芸術作品の写真をこのブログへ掲載できます。

以前からこのような方法で、アメリカに住んでいる陶芸家・音楽家のAmadeusさんの繊細、優美な陶芸作品をご紹介しました。また南フランスに住んでいるパテシエのParismidoriさんの美しいフランス菓子の写真をご紹介しました。バンコックにお住まいのHikarunoさんの蒐集したアジアの手織り布と草木染めの美しい布もご紹介してきました。

この交流の仕方は「推薦したい他の方のブログ」の欄にある、ちひろさん、と、玲さんの感性豊かな写真の「ご紹介のお願い」をして覚えた方法です。そしてmikaさんの朗読の「ご紹介の交渉の過程」で自信を持つことが出来ました。

この方法で実に色々な方々の写真や絵画・イラスト、そしてミステリー小説などをこのブログでご紹介してきました。

これらは全て「ネット社会の自由と平等性」のお陰です。気楽に、そして何よりも楽しみながらして来たことです。ネット社会では相手が偉いとか偉くないとか、金持ちか貧乏か、高齢者か若者か、などは一切考えないで平等に、しかし礼儀正しくコメントやメッセージを交換すると誰とでもお付き合いが出来るのです。

皆様は「ネット社会の自由と平等性」を十分楽しんでいらっしゃいますでしょうか?

ネット社会の自由と平等性に乾杯!


ネット上の友人の陶芸家、尾張裕峯さんをご紹介致します。

2009年11月02日 | うんちく・小ネタ

ネットの上ではどんなに偉い方々でも平等です。気軽に友人になれます。

ハンドルネーム、yuyuさんは趣味人倶楽部で友人になりました。後で知った事ですが作品を天皇陛下へ献上したこともある超一流の陶芸家でした。先日、私のブログで作品の写真をご紹介したいので3点ほどお送り下さいと、お願いしました。

早速、以下の3点の写真を解説付きでお送り頂きました。感謝しながら、皆様へご紹介いたします。

======尾張裕峯さんからのメール===========

藤山杜人様
先日お話いただいた小生の作品の件3点ほど選考いたしましたのでお送りいたします。
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最初に「染付水指」です。フランスのサロンにて受賞作品です。片身変わりの文様で、半分が祥瑞文様、半分が抽象模様です。審査員が審査を終えてから、わざわざこの作品を選びに戻ったという説明を、同じ審査員のル・サロン名誉会長のザッキ・ジャン・マリ氏が日本へおいでの折に説明してくださいました。
抽象模様があちらでは受けたのかもしれません。

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次は染付けの中の所謂「祥瑞」文様作品「祥瑞手香炉」です。この文様は中国の古人、呉祥瑞が好んで使った文様だといわれています。
私たちは「祥瑞」といいますと彼の作品を呼びます。私が似た文様の作品を作った場合は、祥瑞手と呼んでいます。
家内の80才の祝いをしたときに、私が贈った三寸ほどの小型な作品です。

以前、天皇陛下に伝献上したのが染付け香炉でしたので、私の作品の中の最も人気のある作品です。

Ufnblqtenrtuf7j9ka5ipse731000001 次が、古典に飽きて、作った新作の花入れです。

「モダン花器」でも呼んでいただければ結構です。板起し技法で作った単純な形です。

直立では面白くないので、やや、前かがみにしたのが特徴でしょうか。

尚、将来の作品発表の場ですが、個展を10年以上も休んで、当市の美術協会の役員だけの「新春代表作家展」でガラスケースに2点、会期は来春1月7日より、春日井市文化フォーラムで、日本芸術協会展は来年3月、とこの予定が入っております。

こんなことでお役に立つでしょうか、よろしくお願い申し上げます。

                   尾張裕峯拝

               =============

尾張裕峯さんは日本藝術協会(http://yuhoh.hp.infoseek.co.jp)を長年主宰されてきました。

最後に略歴を付して終わりとします

==========尾張裕峯さんの略歴============

1934年   福島県郡山市に生まれる。
1957年   早稲田大学(政治経済学部)を経て海運会社勤務十年で独立。
1975年   事業の傍ら名古屋市中村区名駅南の自宅に開窯。 
1988年  作陶20周年記念旧号雄峯を尾張裕峯に改める
1990年  ニュヨークジャパン大賞受賞
1995年  台北 淡江大学客員教授に招聘さる。  会員数減少の新日本美術院と国際的な美展を合併させて、  一流団体に育てる
1997年  新日本美術院理事長に就任、  全米大学総長会議よりUSアカディミー大賞受賞
       ユネスコより世界平和アカディミー受賞、 第29回新院展総合運営本部長
1998年 天皇陛下に染付香炉を伝献上(作陶30年記念) 第30回新院展総合副審査委員長
1999年  熱田神宮、真清田神社、多賀大社、津島神社、椿大社に茶碗奉納、国際親善美    術大賞展にてフランス芸術家協会名誉会長ザッキ氏と共に 国際功労賞受賞
         国際美術院、国際芸術院設立双方の理事長に就任
2000年  日本芸術協会設立代表に就任、  日仏世界展、ドローイングデッサン展開催
       パリ国際サロンにてユニベールデザール賞受賞
2001年  岡崎西武百貨店プラチナサロンに於いてル・サロン名誉会長ポール・
            アンビーユ氏と三人展開催
2002年  イオン岡崎ショッピングセンターにて日本芸術協会展を開催
2006年 9月20日より24日まで2006年日本芸術協会展開催。以下省略。

詳しくはhttp://yuhoh.hp.infoseek.co.jpをご覧ください。


村田 旭さんの少し鮮明な絵画2点を追加します。

2009年11月02日 | インポート

先程の絵画はあまりにも不鮮明でしたので、もう少し良い写真を2点追加します。このブログの5月26日に掲載したもので、「コスモスの咲く」と、「黒のベルベットチョーカー」いう題です。さらにこのブログの5月13日には村田さんの傑作3点が大きく掲載されています。 お楽しみ下さい。

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福島県、郡山に輝く画家ー村田 旭の美の世界ー 

2009年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム

私のネット上の友人で心から尊敬している画家がいます。福島県に住んでいて、「夢舎」というビルを建てアトリエに使い、また郡山の人々へ絵画制作の指導をしています。

絵筆一本で人生を渡っている、その生き方を尊敬しています。世界中何処に行っても通用する普遍的な美しい絵画を制作する才能をお持ちです。しかも素朴で、謙虚な性格です。おのずと私の頭が下がります。

10月31日のこのブログに「芸術家の創作意識を理解するための5つの質問」という記事を掲載しました。その5つの質問に即刻、真摯な答えを送ってくれました。

その中から1番目と5番目の質問へ対するお答えを示します。間の2,3,4、の質問はすべきでありませんでした。私の芸術にたいする間違った理解のお陰で作った無意味な質問でしたので、省略します。

村田 旭さんから頂いたお答えを示します:
私などが出る幕は無いかと思いましたが、いつも藤山さんには取り上げて頂いているのでお答えにかなっているかどうかわかりませんが、私の想いを書いてみます
1)素人に分かりやすく貴方のお仕事の内容をご説明ください。

年に23回の個展を開催、依頼を受けた絵画の制作、これが生業の60%です。
 その他は、デザインと言えるかどうか、老舗菓子屋のパッケージング、絵画教室等々

 で40%です。お陰様でどうにか飯が食べられます。

5)貴方の芸術活動の一般的な人々にとっての価値とはどういう価値でしょうか?

私は人ぞれぞれに生まれてきた意味(価値)、生きている意味が同様にあり、たまたま少しばかり絵が描けるというささやかな力を神様が与えて下さったのです。それが少しでも意味(価値)を持つことになるよう私も日々自問しております。  
  私の制作が観る人の心のひだ一枚一枚に入り込み染み入り本来の感性の気づきをもたらす事ができたとしたら。それが今目標とするところです。
上手にお答え出来ずに申し訳ありません。きっとあまり難しい事は考えていないのです。
ただ、「良かったよ!」という一言を励みに今日も描いています。(終わり)

以上のようなお気持で描いている絵画が村田さんのブログに多数掲載してあります。(夢舎:http://www.k5.dion.ne.jp/~vasenoir/ )。尚、vasenoir は村田 旭さんのネット上のハンドルネームです。

その中から数枚をご紹介致します。村田 旭の美の世界の片鱗をお楽しみ頂ければ大変嬉しく思います。

絵画の題目は左上から右へ、そして下段へと順に、「パリの花屋」、「オリーブの木の下で」、「愁光」、「リハーサルの後で」です。(不鮮明な掲載になってしまったことをお詫び申し上げます。やはり原画を拝見したいと強く思います。)

最後に郡山市の10階建ての、うすい百貨店での個展の案内状をしめします。なお村田さんは東京の銀座でも何度か個展を開催し好評を博しています。

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人間の手を入れないのが自然保護か?自然保護の根本的な疑問

2009年11月01日 | うんちく・小ネタ

川鵜の大群が住み着いて森を枯らした写真を掲載しました。あまりにも無残な光景なので公園の管理人に聞きました。答えは、川鵜が住むままに、人間の手を一切入れないのが一番理想的な自然保護という考えで実施している区画だそうです。その記事に対して、大福写真館という方から以下のコメントを頂きました。皆様にもお考え頂き、ご意見をご投稿されますことをお待ちいたしています。

=======大福写真館さんからのコメント=====

ショッキングなタイトルを見て来ちゃいましたぞ。
「自然のまんま=何も手を入れない」というのが、自然保護と
思われてますが、自然の定義が不確かでもありますな。
私が大分前に森林インストラクターとして、鎌倉のとある場所で、
活動していた時に、下草刈りとかしていると、近所の人に
通報された事がありました。勿論、その活動は鎌倉市からの依頼、
つまり許可を取っていた訳ですが、住民の目からは、山に入って、
草とかツルを切っている=自然破壊(?)と映った様です。
元々、里山は充分に人の手が入っていて整備されていた訳ですが、
何も手を入れないと、荒れてくる訳です。ツルは木々を締め付けて
殺し、鬱蒼とした森は光が入らず、荒廃する訳です。
全く手を入れないで自然のままにするのが良いか、適度に手を入れて、
保全するのが良いか、難しい判断ですな。


ハローウインの祭り、諸聖人の祝日、死者の月、そして七五三子供の祝福

2009年11月01日 | うんちく・小ネタ

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毎年、ススキの穂が風に揺れる頃になるとハローウインがやって来て死者の月になります。日本の伝統、習慣としての七五三のお祝いもあり、可愛く着飾った子供の姿を楽しむことができます。

これらの関連を少しだけお話します。今日のミサの説教でカトリック小金井教会の山本量太郎神父様から聞いた話です。

ハローウイン(聖なる夜)は元々イギリスの先住民のケルト族の大晦日の祭りだったそうです。 新年が11月1日に始まる暦を使っていた民族です。大晦日には悪魔がやってきて人間と直接話し合いが出来る日です。人間は悪魔が悪いことをしないように説得しお供えをします。(お供えの御馳走を食べ、お酒を飲んで悪魔と話しがついたことを祝います。)それが10月31日で、イギリスのキリスト教会は自然にそれを取り入れ、翌日の11月1日を諸聖人の祝日にしました。キリスト教が入る以前の昔の伝統、習慣が自然に入ってきたのです。諸聖人の祝日の次の日は全ての死者の記念日としました。そして11月中にはヨーロッパの墓地が花やローソクで賑やかになる季節です。残された家族が先祖の墓掃除をし、花やローソクを供えるのです。11世紀ころからの事だそうです。

昔、シュツットガルトにいた時、墓地のそばに住んでいました。4階の窓から墓地を見降ろすと、11月には家族連れが毎日のように来て墓掃除をし、花やローソクを供えていました。死者を大切にする風景に心温まる思いがしたものです。

ローマ法王は11世紀に諸聖人の祝日や死者の記念日を追認したのです。

カトリックは昔から地元の伝統文化を尊重し、それを絶やさないようにして来ました。南米のカトリックはその例で、古来からのインデオの文化や風習を取り入れています。

日本のカトリックも伝統文化を尊重しています。11月15日は七五三の子供の祝福式を教会で執り行います。年末には大晦日のミサがあり元旦にはお正月を祝うミサがあります。

特に神父さまへお願いすれば車が事故に合わないように祝別の儀式をしてくれます。

色々な民族の文化を尊敬し大切にする態度こそ宗教人に必要なことです。

それを軽視する人が居たら、その人は宗教を信じて居ないのです。宗教はおおらかで寛大なものです。皆様はどのようにお考えでしょうか?(終わり)

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