後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

共産党独裁が続く限り学生の反日デモは必ず続きます!その必然的な理由

2010年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の共産党は、その独裁が国民に永久に支持されるように言論統制をしているのです。従って、学校での歴史教育の内容も以下のように徹底しています。

(1)日本や欧米の植民主義支配を中国から追い出したのは中国共産党です。

(2)特に日本軍の残虐行為を大げさに教え、それを駆逐したのは共産党軍です。

(3)第二次世界大戦で日本が負けたのは中国共産軍に屈服したのです。アメリカ軍は関係ありません。

(4)中国共産党は日本の対華21ケ条に反対する五四運動によって生まれた政党です。

以上のような教え方です。従って経済格差と就職出来ない不満の鬱積した内陸地域の大学生が何かというと「反日デモ」を繰り広げるのです。

従って共産党独裁が続くかぎり上記の教育方針は絶対に変えようがないのです。この実態を日本人は冷静に理解しなければなりません。

ご参考までに以下に、昭和12年、南京陥落直後の破壊された市街地を行く、日本軍の戦車の写真をお送りいたします。

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出典は、http://www.history.gr.jp/~nanking/dec19_01.html です。

そしてニューヨークタイムズ紙の中国の歴史教育のひどさを報じた記事に関連した報道を添付いたします。驚かないでお読み下さい。

========ニューヨーク・タイムズ(2004.12.07 )===========
ニューヨーク・タイムズ六日付は上海発で、中国の教科書について「歴史をゆがめ、政治の必要に応じて、修正されている」とする報道を掲載した。同報道は中国では歴史自体が政治の材料にされているとして、とくに日本に関しては「日本をたたくことが(中国の)国民的娯楽」と伝えた。
 同報道は「中国の教科書は歴史を曲げ、省く」という見出しの記事で、ニューヨーク・タイムズ記者が上海で中国人の教育関係者多数から取材した結果だとしている。
 同報道は「中国では日本をたたくことが国民的な娯楽で、日本に対し正しい歴史を教えないと文句を言うが、中国の歴史教科書こそ近年の歴史をきわめて選別的に教えゆがんだ見解を提供している」と述べている。
ゆがみの実例として以下のことをあげている。
(1)中国軍はチベットやベトナムに侵攻したのに自衛以外の戦争はしたことがない、と教 
 えている。
(2)第二次大戦で日本は米国ではなく中国共産党軍により敗北させられた、と教えている。
(3)一九五〇年代に毛沢東主席が断行した「大躍進」の政策失敗で三千万人も餓死した事
実は教えない。
(4)朝鮮戦争は米国と韓国が北朝鮮を侵略したことで始まった、と教える。
 同報道はまた上海の中国人教育関係者らの談話として「中国では歴史は政治の道具として使われる」「天安門事件も騒乱分子が国家基盤を危うくした犯罪行為だとされる」「近年の歴史になるほど、共産党への配慮からあいまいにしか教えられなくなる」という言葉を紹介している。========終り===========


あなたは、あちらの岸、彼岸にいる人々とどのようなお付き合いをなさっていますか?

2010年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログで、「人々へ感謝しつつ死んで行く」という題目でシリーズ記事を掲載しています。第四回まで終わりました。以下の文章は、その(5)として、「亡くなった家族、親類への感謝」という題目でも良かったのです。そんな気持ちで仙台にある家族や親類の墓参をしてきました。

遠方という理由で仙台の墓参へ暫く行っていませんでした。思い立って仙台に居る弟へ連絡しました。弟夫婦が4ケ所の墓へ車で案内してくれました。そして墓前で死者へ感謝し、供養をするためにお経を弟夫婦と私共夫婦の4人で唱和して来ました。

どの墓も郊外の静かな寺にあり、心地よい秋風が吹いています。久しぶりに読むお経の声が墓地を囲んだ林に沁み入ります。

弟は島根県の農村にある小さなお寺の住職をしています。仙台の大学で働きながら曹洞宗の修業を続け、20年くらい前から父の後を継いでその島根県のお寺の住職になりました。父も仙台の大学で研究生活をしながら晩年にそのお寺の住職になっていました。

仙台に住んでいますが、春秋のお彼岸や盆暮れには島根へ行き、お寺でお経をあげ、檀家の家々をくまなく回りお経を読みます。その村落の死者の墓も面倒を見ます。そのような弟なので祖父母、両親の墓は勿論、妻の祖父母、両親や親類縁者のお墓の管理や供養は良くしているのです。お墓に供える花々も沢山用意して、我々が持参した花と一緒に供えていました。

弟へ、私の死後は分骨して仙台の墓へも入れて下さいと頼みました。弟もやはり分骨して島根県のお寺の代々の住職の墓地と仙台の墓地へ入る予定と言います。

私は死後、遺骨にはあまり関心はありませんが、そんな話をしていると彼岸に居る祖父母や両親、そして全ての親類への感謝の気持ちが湧いて来ます。そして自分の心が豊かで、平安に満ちてくるのです。そうなんです。墓参りは自分の為にもなるのです。死してあちら岸、彼岸に居る人々とこのようにお付き合いをすることは自分の為にもなるのです。あなたは彼岸に居る方々と、どのようなお付き合いをなさっていらっしゃるのでしょうか?

皆様の平安はお気持をお祈りしながら、下に墓参の折の写真をお送りいたします。

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バスで巡る杜の都、仙台の小さな旅

2010年10月20日 | 旅行記

バスに乗ったり、降りたりしながら自分好みのペースで仙台の小さな旅を楽しんで来ました。

仙台駅西口バスターミナルを9時から20分毎に出発する「るーぷる仙台」というレトロな観光バスに乗りました。一日乗車券を買って、気ままに乗り降りしてあちこちを見る、散策する、考える、という小さな旅です。昼過ぎに又仙台駅へ帰ってきました。

3ケ所ゆっくり歩きました。伊達正宗その三代までの廟所のある経ケ峯の森、街々の眺望が素晴らしい仙台城址の高台、そして伊達家ゆかりの大崎八幡神社の3ケ所をめぐりました。

何処で下りても、20分後には「るーぷる仙台」が巡回して来ますので、自分の好みで散策出来ます。このバスは内装も外装も材木を使い、昔の路面電車の雰囲気を再現しています。犬山市郊外にある明治村を走っている京都の路面電車を思い出させました。このバスの詳細は、http://www.kotsu.city.sendai.jp/bus/loople/index.html にあります。

家内が撮った写真をお送り致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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ネットのお陰で知り合った三輪修画伯の世界をご紹介いたします

2010年10月19日 | インポート

204_3 2003121_21_3 Miwapic21111_3 Miwapic311_21_3 この前の記事で、ネット社会から離れて行ったジャンさんの事を書きました。その中でシュウさんの絵画を絶賛している方が居ました。

シュウさんは三輪修画伯様のHNで、ジャンさんと私の共通のマイフレでした。

そこで、この前の記事の関連資料として三輪修画伯の個展を見に行った折の記事を再度掲載致します。

6ケ月ほど以前に、名古屋の日動画廊で個展がありました。家内と共に参上し、絵画を心行くまで鑑賞し、その後でいろいろなお話をお聞きして来ました。

その時に三輪さんに直接聞いたことです。ここに示した絵画とともにお読み頂ければご納得頂けると思います。

話の終りのほうで、何を描こうとしているのかとお聞きしました。「存在を丁寧に、あるがままに描きます。存在そのものに感謝して描きます。そうすると存在の向こうにあるものが見えて来ます」。

哲学や宗教と別次元の深い精神性を感じさせる絵画になっています。彼はキリスト教の聖公会の洗礼を受けた信者です。しかし安易な宗教的な絵は描きません。宗教画のつまらさを感じている私の気持ちからも納得できます。

存在を丁寧に描く。生易しい仕事ではありません。ある色を塗ったら、それが完全に乾くまで何日も待ってから次の色を塗るのです。一枚の油絵を完成するのに何カ月も何年もかかるのです。

彼の絵は何故か淋しい雰囲気を持っています。孤独感が存在の向こうに弱弱しく漂っています。彼の薄倖な少年期が時々影を落としているのかも知れません。

画家には時々作風を変える人もいます。三輪さんも若い頃はいろいろ試みたそうです。しかし現在の作風はやく15年前に確立して、その後は変えていません。

三輪さんのデッサン力、色彩感覚は天才的です。しかし妥協を許さない持続力こそが彼の絵画世界の神髄なのです。それを実行する勇気と努力が彼の作品を独創的にしています。4枚の絵を紹介します。上の2枚は今回の個展に出展されています。下の2枚は昨年、送って頂いたものです。特にセーヌ河の橋の下を流れる水面は、その存在を丁寧に何年もかけて描いていって完成したのです。写真のように見えますが油絵です。水の存在感の向こうに何が見えるでしょうか?それは貴方自身が夫々に感じるものです。三輪修さんの絵画の世界で貴方自身の心がより豊かになりますように祈っています。(終り)


一年前に別れたジャンを懐かしむ文章です

2010年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

インターネットにはホームページやブログがあります。それに色々な社会人クラブ(SNSと総称)があります。このようなネット社会で出来たかけがえの無い友人が多忙になったり病気になったりして消えて行くことがあります。実社会での別れとは又違う哀惜の情が湧いてきます。ネット社会では一度別れると二度とネットの上で会うことが困難なのです。 

丁度一年前の10月に、趣味人倶楽部というSNSで友人になっていたジャンさんという方が、仕事が忙しくなり退会することになりました。退会にあたってのご挨拶のメールを頂きました。感動的なメールの内容でしたので、趣味人倶楽部の皆様へ公開しました。その日記へ対して今度は色々な方々からジャンさんを送る別れの言葉が投稿されました。 

今日のブログでもう一度、皆様へご紹介いたしジャンさんのご活躍をお祈りいたします。

ネット社会は実社会と同様に血も涙もある生きた社会なのです。私はそれを確認出来て非常に嬉しく思います。 

まずジャンさんの退会の挨拶メールからお読み下さい。(ハンドルネームはジャンさん以外は仮名にしてあります。) 

=========ジャンさんから皆様へ===========
マイフレさんも少なくして自分の都合で去りゆく私に、SNS31万人の中から、ご縁があって訪問して下さるお方が、温かいお言葉を下さいます。
藤山さんがご入院の時、皆様から、激励のメッセージを頂いて感謝されたお気持ちが理解できます。
私はイヤな思いは一度もした事が無く皆様と楽しく交流出来た事に感謝しています。
退会に際して思わず意志が揺らぐような、泪が出そうなコメントの数々を頂きました
別れは、パワーが要ります。
=====以下省略======
YKさんから:折角のマイフレさんが退会されるのは寂しい限りですね。縁あって、この倶楽部で知り合いマイフレになり、お互いの近況や情報の交換をされていたことと察します。
会者定離は世の常ですが、また新しい出会いがあることと思います。

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ジャンさんからの答え:私の拙い「別れのご挨拶」の文章を、この様に取り上げて頂きまして 感激してます。 ありがとうございます。
この場をお借りしまして 出会ったばかりのシュウさんをなぜ唐突にご紹介させて頂いたかコメントさせて頂きます。
私はグラフィック出身で個人的な思いですが、表現法がビジュアルでPunch is given
独学でマスターした彼の作品はそこに人を引き寄せて残像としてメンタルに訴えるものがあります。ゆっくり和んで鑑賞したい感性、表現力豊かな「1枚の絵画」だったからです。
*私は地味で今回の掲載には疑問ですが2003年度の2作品が好きです。

http://mujika.jp/miwa/miwa-2003-index.htm
「存在した時の証し」は誰もが体験するレクレイム.鉛筆画の「夢景」は水面の美しさに懐かしき原風景を覚えます。 バッハのフーガが何処から、聴こえます~~♪

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KKさんから:ネット上のお付き合いとは言え、こうして毎日ページを開けると温かなコメントや拍手があり、そして素晴らしい日記に触れさせて頂いたマイフレさんとお別れすることは本当に辛い事です。一期一会でお知り合いになれたことを感謝して、ご活躍を祈りたいと思います。 

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シュウさんから:ジャンさんに会ったばかりで、すぐさよならですけど、私の作品を気に入っていただきここでご紹介して頂けました。選んで頂いた作品は人生について考えさせられる出来事や希望を表しています。また、いつか逢える事を願い、ご活躍をお祈り申しあげます。

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HHさんから:初めまして、この場をお借りすることをお許しください。
******

木の葉の数だけの想い出は  去り行く季節に、流れ行く
泣いた日  笑った日
心の襞に重ねた想いは  やわらかく、心を包み込む
あなたの思いは何色ですか
赤き葉に照らして  小さなため息
心の季節は、ゆっくりと流れていく  想いよ、思い

愛しいまでの時が流れゆく
******(以下省略しました・・・藤山)

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HMさんから:ジャンさま
素敵なお話をありがとうございました。またいつか、出会いがありますように。
サイトの、は~とふるが~でんは更新をしています。お時間がありますときに覗いてくださると嬉しいです。

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HMさんから:ジャンさん
お顔も知らず、出会って惹かれあい、楽しい時間を過ごさせていただきました。欲を言えば、もっといろいろ お話したかったです。でも、これからきっと、ジャンさんらしく、まっすぐに歩んで行かれるのでしょう。憧れのお姉さまでした^^お元気で~

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PMさんから:こんにちは。藤山さまのところにジャンさまがいらして、シュウさまのお話をされている・・・、私も皆様それぞれと交流させていただいていて、ネットサークルは、ほんとうに不思議な世界です。藤山様と同じように、ジャンさんもいつも遠くにいる私に励ましのお言葉をくださいました。心から感謝しています。いつまでもお元気で、ますますご活躍くださいますよう。

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ジャンさんからの答え:SNSの世界はPMさんのおっしゃるように摩訶不思議。透明な糸、人の思いで、琴線が繋がれているようです。
昨晩もマイフレさんが私の事を日記とブログで取り上げて下さいました。
そのブログに思わず涙ぐみ 心豊かなお方達と交流が出来たことを今更ながら感謝しております。
http://blog.livedoor.jp/w_rose39/
退会するときは、予想もしない巡り会いが有り、強い決心の、別れる「力」が必要ということが解りました。

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SKさんから:シュウさんの絵を見せて頂きました。感動しました。
存在した時の証し 夢影  見事ですね。ああ~気が焦ります。 

=======終わり================

尚、シュウさんの絵画世界はこの次の記事でご紹介いたします。 

今日も皆様のご健康と実り多いネット生活をお祈り致します。 藤山杜人


人々へ感謝しつつ死んで行く(4)親切だったアメリカの同級生

2010年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

オハイオ州立大学で、1960年から1962年まで同級生だった10人程の人々の顔を思い出しながら感謝しています。

敗戦国から行った唯一の留学生の私へ実に親切にしてくれました。英語があまり分からずに授業で聞き取れなかった内容や宿題を丁寧に教えてくれたのです。皆は一刻でも早く博士号を取得するために毎日凄い勉強をしています。その合間に自分で実験装置を組上げて、夜遅くまで実験室に籠っています。

同級生の年齢は26歳から36歳くらいまでまちまちです。全員結婚をしていました。ですから午後5時には一旦家に帰り、奥さんと夕食を食べてから7時頃に実験室にやって来ます。そして夜中まで実験をしていました。午後3時と夜の9時には大学の外にあるコーヒー店へさそってくれました。

実験結果にもとづいて博士論文を書きます。その審査の前に5科目の学力試験があります。5人の教授が筆記試験と口頭試問の両方を行います。私は厳しい試験が心配で青い顔をしていました。そんな私の緊張をほぐすように同級生達は明るい冗談を言ってくれます。その上、それぞれの教授の出題内容の予測をしてくれたのです。

実験室で働いていると様子を見に来てくれて明るく励ましてくれます。一番親切だったのはジョージ・オートンとジム・バトルでした。ジョージは空軍大佐でした。東京爆撃に何度も参加したのです。数年前に彼は亡くなりましたが、終生長いお付き合いを続けました。ジムは6人子供を持っていました。引退後は元気に釣りの旅を楽しんでいます。このジョージとジムは何度も私を自宅へ招待してくれ、元気づけてくれたのです。結局家族ぐるみのお付き合いになりました。

同級生に助けられたのは学校だけではありません。1961年の春に日本から婚約者を呼んで、結婚式を挙げたのです。その結婚式と披露宴の準備をしてくれたのが指導教官のセント・ピエール教授夫妻と同級生の奥様達だったのです。会場の設営や招待状を手書きで送ってくれたのです。結婚式はオハイオ州立大学のなかの教会で先生方や同級生全員の出席のもとに行われました。付添い人として少し年長のケンと奥さんのゲイルが細々世話をしてくれました。結婚式の前日のリハーサルに、勉強で忙しい同級生が出席してくれました。ジョージ・オートン夫妻、ジム・バトル夫妻、ケン・ローリー夫妻、ディック・ホワイト夫妻、デイル・ペーター夫妻、ジェリー・ワース夫妻、ジェリー・マンシーニ夫妻、ライオ・マーシュ夫妻、モニー・プール夫妻などなどと名前を書いていると彼等の若くて元気な顔が鮮明に思い出せるのです。懐かしいですが、別れて以来50年近く会っていません。夫婦一体と言いますが、彼等の奥様達には家内が何かとお世話になりました。結婚式の前には奥さん達が家内の為に女性だけのパーティをしてくれます。子供が生まれる前後には出産の準備を手伝います。無事生まれたらお祝いのパーティを女性だけでしてくれるのです。

1960年から1962年頃のアメリカはアメリカの歴史でも最良の時期と言われています。世界一の経済力で、競争相手も無く、超然たる国家だったのです。自信に溢れ、意気軒昂で、明るくて、親切な人々が溢れた社会だったのです。

私はこの時代にアメリカ人の同級生に親切にして貰った幸運を心底から感謝しています。死んで天国へ行って、もう一度彼等に会い、お礼を言いたいと願っています。

下の写真の上の1枚がオハイオ州立大学の教室や自分の実験装置のあった建物の写真です。2枚目の写真はレセプション風景です。3枚目の高層ビルの写真は結婚レセプションをしたディッシュラー・ヒルトンホテルの写真です。オハイオ州立大学とコロンバス市のホームページからお借りした写真です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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9 月18日の柳条湖事件記念日の反日デモの方が重要な意味を持つ

2010年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

中国共産党政府はかつて日本が中国でした悪行を教科書で教え、記念日には反日デモなどのイベントを律義に行っています。これでは日中関係は永久に良くなる筈はありません。日本人はこの実態を常に忘れないで中国と交渉しないと損害を受けます実態は実態として受け入れる覚悟が必要だと思います。

先日の9月16日は満州事変の発端になった柳条湖事件から79周年目にあたります。この日、北京では政府統制の反日デモが行われました。昨日の反日デモは政府の統制を無視し、インターネットを使用した大規模なデモでした。同じ反日デモですが性質が違います。

日本の人々は戦後65年、平和な生活に慣れ親しんできました。しかし中国では戦後は共産党と国民党の凄惨な内戦があり、1966年から1976年まで文化大革命という国内戦争が続いたのです。1981年に北京に行った時、その街々の荒廃と荒んだ人心に暗澹たる思いをしました。犯罪が横行し、家々の全ての窓には強盗よけの鉄格子が厳重に取り付けてあります。大学構内のトイレは糞尿の山でした。

丁度、1945年の敗戦後の日本の雰囲気でした。文化大革命の悲劇を日本人は忘れがちです。中国人は心の中で絶対に内戦は防ごうと堅く決心しています。

民主主義よりも秩序ある安定を望んでいます。共産党独裁で経済成長と安定が得られるのなら大多数の中国人は共産党を支持します。これも中国の実態です。実態を無視して理想論を中国人へ説くのは思いやりの無い態度と、私は信じています。

理想論だけを振り回す知識人には暖かい心が無いのではないかと思っています。

矛盾したような事を書いていますが、私には何が正しいのか判断がつきません。ただ断片的な実態をご報告しているだけです。どなたかご指導下さいませんでしょうか?失礼しました。(終り)


昨日の中国での反日デモで悲しむべき事と喜ぶべき事

2010年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

Japancoastguard_shikishima1 昨日、中国の四川省の成都、陜西省の西安、河南省の鄭州、浙江省の杭州で学生達による大規模な反日デモがあったという報道がありました。

尖閣諸島の中国漁船逮捕へ対する反日デモです。

悲しむべきことは、漁業に関係のない内陸の若い学生達が何も知らないで騒いでいる事です。その上、学校でならった日本の対華21ケ条の要求とそれに続く五四運動の日貨排斥運動へ短絡して、「日本製品不買運動」のデモになってると推察される事です。学校教育の恐ろしさを見るようで悲しい気持ちになります。

しかし喜ばしい現象でもあると私は考えています。今回のデモは中国共産党政府の指示でなされたものでなく、学生のインターネットを使った情報交換で実行された事です。学生がデモや破壊活動を行う時は、「愛国無罪」という看板を錦の御旗にして暴虐を尽くすのです。共産党政府が一番恐れることはインターネットを利用した、反政府デモや破壊行為が全国に蔓延し、政権が崩壊する事です。

その証拠にはネットへデモを扇動する過激な書き込みがあると、直ぐにネット取り締まり機関が削除を繰り返したのです。しかし携帯電話を利用した情報交換は削除が困難で、学生達は携帯電話機でデモ参加者を集めたという報道もあります。

中国政府の発表ではデモは整然と行われ、完全に警官の制御に従ったとしています。しかしイトーヨーカ堂では表のガラスが破壊され、街路には自動車がひっくり返っている映像が流れていました。もっと驚くべき事は日本の右翼団体が東京にある中国大使館を包囲すると即刻この情報が中国奥地の学生達へ伝わったという事です。日本に居る中国からの留学生が本土の学生へメールで伝えたに違いありません。

中国の一党独裁の崩壊があるとしたら、インターネットと携帯電話の普及による大衆運動によって民主化が行われる可能性があります。今回の大規模な反日デモのニュースを大局的に考えとこのような喜ぶべき背景があると思いました。皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


中国で炭鉱事故、閉じ込められた9人を中国政府は救出しますか?

2010年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

中国はエネルギーの70%を今だに石炭に頼っています。アメリカや日本は25%前後です。そして石炭の使用量の多い国の順序は中国、アメリカ、インド、日本、南アフリカの順です。日本では多量の石炭を大型輸送船で輸入し、製鉄業と石炭発電所で消費しています。

外国の大型露天掘りの低価格石炭のため、日本では炭鉱が消滅したのです。そのお陰で、悲惨な炭鉱事故は皆無になりましたが、中国ではしょっちゅう起きているのです。

チリでの33人の救出が成功した14日の夜に中国の江西省の炭鉱で落盤事故が起き、9人が閉じ込められました。中国政府の救出努力を見守りながら、無事生還を祈ります。

下にそのニュースを転載します。ニュースの更に下にWikipedea の「石炭」の項目から参考資料と写真を転載させて頂きました。

産経ニュース:インターネット版;( http://sankei.jp.msn.com/world/china/101015/chn1010151756002-n1.htm )

【上海=河崎真澄】中国国営新華社通信は15日、中国江西省の炭鉱で14日午後9時(日本時間同10時)ごろ落盤事故が発生し、作業員9人が地下186メートルに閉じ込められたと報じた。 閉じこめられた作業員9人の安否などは15日夕までに伝えられていないが、関係当局が現場で救出作業にあたっているという。

 事故が起きたのは中国南西部に位置する同省の鉛山県興旺炭鉱。新華社電は同省の炭鉱安全監察局や鉛山県政府が事故の一報を受けたのは15日午前だったと伝え、危機管理態勢に問題があったと指摘している。

 中国では各地で炭鉱事故が多発しており、チリの落盤事故で作業員全員が救出されたことで、坑内に避難所を設けたり、作業員に安全教育を徹底したりするなどの緊急対策を求める声が上がったばかりだった。

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石炭の使用量一覧:2008年の主要消費国上位5ヶ国は中国(70.2)、アメリカ合衆国(24.6)、インド(53.3)、日本(25.4)、南アフリカ(77.7)である。( )内は各国の1次エネルギー消費に占める石炭の割合(%)。

参考資料、「過去の炭鉱事故」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%82%AD

石炭が他の鉱石と著しく異なる点は「良く燃える」ことであり、それによる大規模な炭鉱災害が度々発生している。炭層内に含まれるメタンガスが突然噴出し引火して爆発したり、炭鉱内に飛散した石炭の粉塵に引火して炭塵爆発を起こしたり等で多数の犠牲者が出た事故が過去何度も発生している。犠牲者が最も多かったのは日本統治下の満州本渓湖炭鉱1943年に発生した炭塵爆発事故で、死者の数は1,527名に達した。日本国内の事故では1914年に方城炭鉱でのガス爆発事故が死者687名を出している。1910年頃までヨーロッパでも死者300人を越える事故があったが、1913年のイギリスのセングヘニス炭鉱事故(死者439名)以後、欧米では犠牲者300名以上の爆発事故は発生していない。それに対して日本では1963年の三池炭鉱盆踊り炭坑節で有名)炭塵爆発事故で458名の死者を出している。

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ブログを書いていると次から、次へと楽しい事が起きます

2010年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは国際関係や宗教のことをクドクド書いています。老人臭い文章なので、若い人は読んでくれないと思っていました。しかし時々若い方からもコメントを貰います。意外にもいろいろな方が読んでくれていて交流が出来ます。次から、次へと楽しい交流が出来るのです。一昨日、霞ヶ浦でヨットをしていたら、沖ですれ違ったヨットから、「あなたのブログを見て居ますよ!」と声をかけて下さった方がいました。その方から以下のようなコメントを頂きました。

=====流山市:ETOさんからのコメント=========

藤山 様
初めてご挨拶申し上げます。沖で大声でお声をお掛けしました「ヤマハ23ⅡEX」のETOと申します。
藤山様のブログいつも興味深く拝見しております。
セイリング画像有難うございます。大変嬉しく思います。
実はこの日初めて霞ヶ浦でのセイリング(試走)でした。画像とても記念になります。9月中旬に係留許可を受け今後当地でセイリングを楽しみたいと思います。これからお会いする機会があると思いますのでご挨拶にお伺います。宜しくお願い致します。
まずはお礼申し上げます。 流山市:ETO

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コメントには 流山市:ETOさんのメールアドレスと実名がついて居ましたので写真が送れます。そして何時かは一緒にセイリングしたいと思っています。

同じように、昨日、宮下順次さんから以下のような楽しいコメントを頂きました。

=========宮下順次さんからのコメント===========

毎年の夏一か月を滞在するおばさんを訪ねた山中湖 

学生時代の夏休みドイツの山荘風ホテルに泊まるのが嬉しかった
部屋に差し込む夕方の太陽は山中湖とは言え暑かった
温室風のガラス張り食堂で何時もスイカを食べたのを思い出しました。宮下順次

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こういうシミジミとした名文を書く方は奥が深い人とピンと来ました。そこで宮下順次を検索してみました。そうしたら色々なブログを書いていらっしゃる素晴らしい建築家でした。そのブログの中にPremium clubという名前で世界中の美しいホテルの写真だけを沢山掲載してあるブログを見つけました。ああ、ホテルを見るとその国の文化が分かる!と感動するような写真が満載してあります。早速、転載許可のお願いをしました。

以下に、フランスの地中海のリゾート地とホテルのある風景写真をご紹介致します。出典は、http://hotel.blue-sky.co.jp/article/31674129.html 

です。

このような写真をご覧になって今日も一日お元気に過ごされますようにお祈り申し上げます。今日も皆様のご健康をお祈り致します。藤山杜人

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イランがイスラエル攻撃を直接支援しています・・・戦争の危険

2010年10月15日 | インポート

私は新聞の国際ニュース面をいつも丁寧に見ています。世界中の何処かで戦争があります。最近とても気になって、心配している事は、イランの大統領がイスラエルの国境に近いレバノン南部のヒズボラ支配地域を訪問し「イスラエルは崩壊するだろう!」というアジ演説をしたことです。この地域は2006年にヒズボラ軍とイスラエル軍が激戦をしたところで建物の9割が破壊された地域です。そこへイランが810億円の経済援助をして復興し、いまだにヒズボラ軍の拠点になっています。イランは勿論武器の援助もしていると見るのが常識になっています。

イスラエルを支援しているアメリカへ公然と争う勢いです。イランの大統領はアフマディネジャド大統領という人です。イスラム原理主義に従ってイスラム教の教え通りに政治を行っています。アメリカ側は原子爆弾や核弾頭を開発中と見て、目の敵にしています。イランとアメリカが本格的な戦争になる恐れが強いようで私は心配しています。皆様はご心配になりませんでしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。

(終わり)


白壁の塀の料亭と郷土博物館の風景写真

2010年10月15日 | 写真

魚観荘という料理屋さんと羽村郷土博物館の写真です。

詳細は夫々、http://www.gyokansou.co.jp/framepage2.htm , http://www.city.hamura.tokyo.jp/category/6-0-0-0-0.html

にあります。博物館の無料駐車場があるので時々遊びに行きます。庭が広く、池や離れが点在し、田舎の気分が味わえる店です。見事な池のある庭の奥には写真の様な茶室もあります。

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チリで救出したのはアメリカ製の機械とアメリカ人技師です!

2010年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

チリの大統領が政府のお金を出してアメリカ製の掘削機と巻き上げ機を勝って、付いて来たアメリカ人技師が困難な掘削作業を完璧に実行したから全員救出に成功したのです。600mもの細い穴を真っ直ぐ掘る技術はアメリカが優れています。

テレビのインタビューでアメリカ人技師が星条旗をかたわらに飾って、掘削の技術的な難しい点をいろいろ説明している場面を見る事ができました。

日本のマスコミは常に科学や技術を軽視して報道しません。人々の感情的な反応だけを大々的に報道します。困ったものです。

その上、チリが何故アメリカの鉱山会社とすばやくコンタクト出来、機械と技師の導入が出来たのかその理由も報道しません。チリとアメリカ政府は親密であったからでしょう。チリの鉱山機械はほとんどアメリカ製で常日頃、アメリカ人技師が働いて居たのかも知れません。そのような政治的背景や技術的背景を是非、報道して貰いたいと思っています。どなたか、その辺の事情にお詳しい方からお教え頂ければ大変嬉しくおもいます。コメントをお待ちしています。(終り)


人間の命の価値は国によって非常に違うのです!

2010年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、チリの鉱山に閉じ込められていた33名、全員が救出されました。明るいニュースで世界中が歓んでいます。私も心が明るくなり、元気になります。

ところで全員救出に関連して今日の新聞には考えさせる記事があります。それは色々な国の人々がネット上へ本音の感想を書きこんでいるという記事です。ああ、チリは素晴らしい国だ!自分の国だったら本気で助け出さないだろうという本音です。

中国では昨年の一年間の炭鉱事故が1616回もあり、2631人が死んでいるのです。そのせいか、中国のネット上では、「中国の炭鉱は人命を軽視している!」という政府への非難が続出しているそうです。特にチリでは人命を守るために地下非難所を完備し、食料も備えていることに中国人は感動し、中国政府の安全無視・経済最優先の姿勢を非難しているそうです。

もう一つはロシアの炭鉱労働者組合のある書記長がラジオの取材で、「ロシアではチリのような事は望めない。チリではロシアより市民が大切にされている」と語ったそうです。ロシアでは炭鉱事故が起きて、救出の可能性がある場合でも捜査中止になることが多いそうです。そして2000年に起きた原子力潜水艦クルスク号では潜水艦の中に20名以上が生存していたのにロシア政府が各国の救援を断った上、救助を中止したのです。乗組員118名全員が死亡しました。ネットの上に、「原子力潜水艦の乗組員になるよりはチリの鉱山で働いた方が良い!」という書き込みがあったそうです。

人間は神の前で平等です。しかし現実には生まれた国よって命の価値が非常に違うのです。考え込まないわけにはいきません。

生まれた国によってとは雑な言い方です。同じ国に生まれても人種、職業、貧富の差などで更に命の価値が違ってくるのです。

今回のチリの救出劇は労働者の命がかかっていました。カトリックの信者が多く、33人の中に福音派の牧師が居たので33冊の聖書を地上から下ろして貰い、毎日、礼拝をしていたそうです。神の前の平等が現実の世界でも達成されたのです。

毎日、熱心に礼拝していても神の前の平等が現実にならないことの多いなかで今回の成功は奇蹟のようにも思えます。

個人的な感想を書いて、失礼しました。それにしても良かったです。(終り)