おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その5。「じけのたんぼぼう」。大池・都県境。水車小屋。四季の家。東急田園都市線「市が尾駅」。(「都県境を探ってみる」。第16回目)

2023-04-01 21:59:35 | 都県境を探ってみる

「都県境」(町田市と横浜市)は、左手奥の方から進んできます。そこまで歩きます。

じけのたんぼぼう。

たんぼぼうって? 

 たんぼぼうは横浜市青葉区寺家町にある、ふるさとの森のむじな池のすぐそばにあります。休耕田となってからは、大人の背より高い葦が生い茂り、太い樹も生えていました。そこをお借りしました。

 それから、子どもの様々な体験ができる場にすべく、草刈り、水路作り、ビオトープづくり、生き物調査に、ザリガニの駆除などをしています。そして環境が整えば、併合して稲作も行って農体験も行う予定です。

 それを当初から行なっているのは、子どものワークショップの会員の子どもたちとそのご家族と、ボランティアのみなさんです。

目的は

●子どもが自然と人に主体的に関わって喜びをつくり出せる環境をつくる。

●子どもの時にしか得られない貴重な体験の機会をいっぱいふやす。

●この美しい寺家の自然を大切に想う気持ちをわかちあう。

  です。

 泥と共に、みんなで進めてきて1年半を過ぎた頃、ようやくある形が見え始めてきました。目に見える環境もそうですが、「子どもがどのようにこの場に関わるか」という仕組みもあります。例えば、たんぼぼうのビオトープの生き物を増やしたり、育てる活動は、生き物を捕まえる体験活動と相反します。

 観察してリリースすることが生き物にとってはベストですが、持ち帰って、家で飼育をしたいと望む子も多くいるでしょう。自分で捕まえた生き物と日々を一緒にすることで、より命を知ることができます。でも、全ての人にどうぞと手渡しては、たんぼぼうに生き物がいなくなる。そんな反する考えから「生き物図書館」という案が、子どもたちの話し合いの中から生まれました。簡単に言うとこれは生き物を条件付きで貸し出す仕組みです。それともう1つは「たんぼぼう子どもサポーター」です。サポーターとなった子どもが、初めてきた子どもや大人にたんぼぼうの楽しみ方やルールを伝授するのです。また、「生き物図書館」での生き物の貸し出しも担います。サポーターになった子は、遊べなくてつまらない?という心配もちょっとありますが、この案で試してみます。そして課題が出たらまたみんなで考えたいと思います。

 

担当 ウラベーノ(「子どものワークショップ」HPより)

農作業のための車や訪問者の車が道端に駐車中。

右手にも田んぼが続く。奥の方で、農作業中の姿が。

左奥からの道が都県境。

      右手奥まで続く谷戸。

「大池」。

脇の道が都県境となっています。

案内板。

      都県境は、ここから道なりに進み、「水車小屋」の手前で左手の森の中に進みます。

ここから田んぼ一帯を望む。

しばらく都県境を歩きながら戻ります。

境界標石(横浜市)。

「寺家ふるさと村で 米を作ろう! 週末は田んぼへ行こう! 」。

※田植えは、5月20日(土)の予定のようです。

都県境を歩きます。

この付近で、都県境は、右手の森の中へ。

水車小屋。

         

水車小屋の脇には、菜の花が満開。

            

来た道(都県境)を振り返る。

「ふるさとの森」側から。

 

         水車小屋の左手奥の森の中を都県境が進む?

ふるさとの森。

鬱蒼とした森。

バス通りに向かいます。

                  振り返って望む。

通りの向こうに「四季の家」。

四季の家』は、寺家ふるさと村の総合案内所として、自然、農業、農村文化の展示紹介や、天然記念物に指定されているミヤコタナゴの飼育展示をしています。
また、レストランを併設しています。

研修室、農産加工室(料理室)、ホールギャラリーのパネル展示コーナーを備え、個人や団体の方でもご利用いただけます。

年間を通して、各種自然観察会や工作教室、みそ造り、そば打ち、料理教室等も開催し、ご好評をいただいております。

カウンターにて寺家ふるさと村の散策や、イベント等のご案内をしておりますので、お気軽にお立ち寄りください。

(「同」HPより)

今回はここまで。

東急バス「四季の家」バス停から乗車、東急田園都市線「市が尾駅」に向かいました。

田んぼの稲が青々と伸びる頃か、たわわに実る頃に、また訪問したいと思います。  

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小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その4。鴨志田住宅。寺家(じけ)ふるさとの森。くまの橋・むじな池。寺家ふるさと村。(「都県境を探ってみる」。第16回目)

2023-03-31 21:26:44 | 都県境を探ってみる

鴨志田地区。

                     西側(白紙の地域)は、町田市。周辺は、今でも緑豊か。

この一帯は、横浜市青葉区にあり、中高層住宅や一戸建ての住宅が建ち並んでいます。

                     1970年代のようす。

   日体大を含め、丘陵地帯の大規模な住宅開発が進められている。

                     2010年代のようす。

住宅が建ち並び、大きな街造りになっている。「鴨志田」住宅地区は、上部。 

おしゃれな飲食店などが。

                    

「鴨志田公園」から下っていくと、大きな森と、田畑が。

    

           懐かしい田園風景が広がります。「寺家田んぼ」。

森の中の小道。

「くまの橋」。  

「むじな池」。

               

この辺一帯は、「寺家ふるさとの森」と名付けられています。

「寺家ふるさとの森」。

森を出ると、田んぼが見えてきます。

        

寺家ふるさと村

東京都町田市と川崎市に隣接し、雑木林の丘に挟まれた「谷戸田」と呼ばれる細長く伸びた水田が幾筋もある「昔ながらの横浜の田園風景」が色濃く残っているところです。
ふるさと村内には、水田や畑、森だけでなく、住宅や道路、水路もあります。
水田や畑、水路は農家さんの大切な場所です。
道路は農家さんを始め、住民の方の生活道路です。
散策する時は、農のある景観を守っている人々がいることを意識して、マナーを守ってお楽しみください。

・ふるさと村内の田んぼや畑は農家さんの土地です。また、水路は耕作に必要なものです。
・散策する際は、道から外れ、水田や畑、水路など、立入らないでください。
・自生する生き物を持ち帰ったり、ほかの場所から生き物を持ち込んだりしないでください。
・現在、寺家ふるさと村エリアでは、自家用車の路上駐車が大変多くなっております。歩行者や農業者の通行の妨げになりますので、周辺への路上駐車はおやめください。
・できるだけ公共交通機関でお越しください。
・新型コロナウイルス感染防止のため、他の利用者と一定以上の距離を確保することや、マスク着用や咳エチケット、手洗い等の感染防対策の徹底にご協力ください。

(この項、「」HPより)

寺家の歴史

豊富な遺跡群

寺家町は、古代より恵まれた環境にあり、中央の台地には縄文・弥生時代の住居跡として、畑を少し掘れば、至る所に土器片が散見されます。
古墳時代にも、丘々に数個の塚が造られていますし、お伊勢森古墳の西側には横穴古墳も見られます。

「吾妻鏡」に最初の記録が

東円寺の開基は、何時頃か記録はありませんが、過去帳によれば、大正年間中興とありそれ以前であることは明らかですが、大正11年、柿生の王禅寺に合併しています。
中世、鎌倉時代は「吾妻鏡」にあるように、当地は頼朝に従った鴨志田一族の領地でしたが、畠山重忠と共に倒れ、後に入ったのが、現在の大曽根,金子一族の先祖です。
弘安8年の霜月の騒動に破れ、一族は当地に農民として、ひっそりと暮らしてきたものと思われます。

徳川時代には年貢を免除された

小田原北条時代、北条氏直から大曽根飛騨守あての古文書が残されており、大曽根氏は鴨志田、寺家の小領主として軍役を負う替わりに年貢は免除されていました。
徳川初期は金子氏を名乗り、小領主として暫くは年貢を免除されていましたが、旗本、筧(かけい)小座右衛門の所領となりました。徳川中期は又、大曽根氏にもどっています。
文禄及び元禄の検地帳等の古文書によると、元禄10年には37戸が農業に従事しその後、天保14年には28戸に減少し、明治10年の改正戸籍では29戸、人口143人、田畑、山林、宅地の総計は76町4反余となっています。

農業を伝承しふるさと村づくり

村の水田は天水に依存し、各谷戸の奥には先人達の努力により、用水池が6箇所造られていました。
農産物は、米98石の他、大麦、小麦、粟、ヒエ、ソバ、ゴマ、生糸、醤油、桑が記録されており、明治から大正時代は養蚕が盛んとなりました。
村は明治4年都筑郡寺家村と称し、明治21年の合併で中里村寺家となりました。
横浜市に編入されたのは昭和14年で、平成6年緑区からの分区により現在の青葉区寺家町となり、人口は341人、89世帯で面積86ヘクタール余となっています。
戦後は村をあげての土地改良事業に取り組み、農業基盤の整備と近代化を進めてきましたが、また、同時に美しいふるさと作りのため、桜千本を植林し、4月の寺家は村中花ざかりとなります。

寺家ふるさと村の構想

しかし、都市開発が隣町にまで押し寄せるだけでなく、小規模な農家が多くを占めるこの地区では、就業者の減少・高齢化が進み農業の先行きが見えなくなっていました。
また、水田とともに美しい景観を形作っていた雑木林も、薪炭林としての利用がなされなくなるとともに、手入れする人もなく、アズマネザサの生い茂る薮山と化していました。
そうした状況をふまえ、横浜市では、身近な自然とのふれあいによる、潤いある生活を求める市民の要望を生かすような、新しい農業施策を構想しました。
それは、良好な田園景観を有する農業地帯を舞台に、その地域の農業振興とともに、山林や農地という自然環境の保全活用を合わせた”ふるさと村”づくりです。
寺家地区を舞台にしたこの”ふるさと村”づくりの構想の柱となったのは次の3点です。

  1. 美しい田園景観を保全しながら、土地、人をも含めての農村資源の活用を図る。
  2. 観光農業の推進等で農業の第三次産業を促し、農家の生活安定と寺家の中での就業機会の増大に努め、村の活性化を図っていく。
  3. 新住民、学童等が、自然、農業、農村文化を体験することにより、健康で心豊かな人づくりに役立てるとともに、農村部と都市部との相互理解を深めていく。

この構想は、昭和56年策定の横浜市の21世紀プランの中に位置づけられ、農林水産省の自然活用型農村地域構造改善事業(神奈川県・緑の里整備事業)として認証を受け、昭和58年度の”ふるさとの森”整備から昭和62年11月の”四季の家”のオープンまでに各種の施設が整備されました。

(この項、「同」HPより)

ここは、一度訪問したいと思っていたところです。田植え前の田んぼが一面に広がり、たくさんの方々が散策に訪れています。

「日体大」を抜けてきた都県境とは、この西南の「大池」のところで、出会います。 

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小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その3。かつての尾根道。三輪青葉公園。こどもの国。横浜美術大学・日体大。鴨志田町。(「都県境を探ってみる」。第16回目)

2023-03-28 21:47:23 | 都県境を探ってみる

かつての尾根道を進みます。

              この通りは、「こどもの国通り」。道の右側(川崎市側)は眼下に広がります。

足もとのマンホールは、町田市。

左に折れ、「三輪青葉公園」沿いに。

右手では、TBSの「テレビスタジオ(緑山スタジオ)」を建設中。

右下が開けてきます。

                    遠くに丹沢山塊が見えます。

この付近で、都県境は、左手にある「こどもの国」の敷地内に進んでいきます。

「こどもの国」沿いの道。

「こどもの国」正門。

こどもの国

神奈川県横浜市青葉区奈良町東京都町田市三輪町に跨って所在する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する総合的な児童厚生施設

戦時中、当地は旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であり、敗戦後田奈弾薬庫として米軍に接収されていた。後に返還を受けると、1959年の当時の皇太子明仁)の成婚を記念して、主に、国費と雪印乳業など民間からの寄贈や日本船舶振興会(現:日本財団)からの支援などにより施設跡地を整備し、1965年5月5日(こどもの日)に開園した

開園時は国営の施設で横浜市が維持管理を行っていた。1966年(昭和41年)にこどもの国協会法に拠るこどもの国協会が発足。1981年(昭和56年)、「社会福祉法人こどもの国協会」に継承された。公園の用地は国有地である。

開園当初の主な交通手段は国鉄横浜線長津田駅小田急小田原線鶴川駅からのバス輸送や自家用車であった。1967年(昭和42年)4月28日に弾薬庫への引込線跡を利用し、来園客の輸送を目的として、長津田駅こどもの国駅を結ぶこどもの国線が開業。鉄道施設はこどもの国協会が保有し、東京急行電鉄が借り受けて運送していた。

通勤線化されるこどもの国線を保有し続けることが社会福祉法人としての目的から逸脱するおそれがあり、1997年平成9年)8月1日横浜高速鉄道へ譲渡している。

児童福祉情操教育を目的とする施設として、自然の中での冒険や動物との触れ合い、物を作る体験など、素朴な遊び体験を重視している。そのため園内には多数の施設があるが、遊園地のような観覧車ジェットコースターのような大型の電動遊具はない。例外として、太陽光発電で動くミニSLや足漕ぎコースター等が敷設されている。

遠足マラソン大会、デイキャンプなど周辺の学校行事にも活用されている。園名や開園日に因み、5月5日のこどもの日には中学生以下の入園料が無料となる。園内への類の持ち込みは禁止されている。

(この項、「Wikipedia」による)

「園内案内図」。

都県境は、公園内をジグザクで進むので、「こどもの国」の周囲をかなり迂回することになります。

「こどもの国」は、横浜市に属しています。

                       「横浜ベイブリッジ」を中心に描いたマンホール蓋。

しばらくは、横浜市青葉区内を歩くことになります。

左手奥が「こどもの国」一帯。

梨畑?

左折して北に向かいます。道なりに進むと、「横浜美術大学」へ。

 

左手の高台には、「日本体育大学横浜・ 健志台キャンパス 」が広がります。

         

「こどもの国」から進んだ都県境は、日体大の敷地をかすめるように、北に向かっていきます。

そこで、日体大の東側に広がるがる住宅地を通り抜け、「鴨志田公園」のところから都県境に向かうことにします。

                     2010年代のようす。上部に都県境。

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小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その2。精進場橋。都県境のブロック塀。三輪緑山住宅。丘陵・尾根道。遠くに大山・丹沢。(「都県境を探ってみる」。第16回目)

2023-03-27 20:53:53 | 都県境を探ってみる

対岸へ回ります。アシの茂みにシラサギ。

都県境は直線で南へ。この付近の今昔。

                                                                

2010年代のようす。東側は緑地帯。             1880年代のようす。鶴見川はほぼ現状のまま。 

「精進場橋」から上流を望む。

※この橋は、右岸、左岸とも町田市三輪町に接しています。

右岸にある「鶴見川 河川管理境界」標。   

                   右(下流)が東京都(町田市)、左(上流)が神奈川県(川崎市)。 

対岸(左岸)に見える「管理境界」標。

      

振り返ると、右手のブロック塀が境界線のようです。

この先、都県境の道はたどれそうもないので、「精進場橋」からの道に迂回します。

左手に立派なお屋敷。

町田市消防団のところを右折します。

この辺が都県境? 

ちょっと都県境をかすめて進むと、左手に「ジップゴルフアリーナ」。  

 

   

そのまま広い道を直進すると、その先で都県境に合流しますが、ゴルフ場脇の緑地帯を歩きます。 

三輪緑山緑地(町田市)。

急な階段を上がると、大きく広がる住宅地の一角に。

眼下の緑地。

「町田市三輪緑山」。

整然とした街並みが広がる。

「三輪ゆりの木通り公園」のところで、都県境(→)になっている広い道に出ます。 

住宅街を振り返る。  

都県境になっている通り。

               ここを左折します。前方(通りの向こう・眼下)は、川崎市麻生区。

大山・丹沢が遠くに。

「三輪緑山」モニュメント。 

                     2010年代のようす。右手に三輪緑山住宅。 

                     1970年代のようす。都県境の道は健在。  

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小田急線「鶴川駅」~東急バス「四季の家」。その1。睦橋。「真光寺川」。「開戸親水ひろば」。しばしば標示される「鶴見川河川管理境界」・町田市と川崎市。(「都県境を探ってみる」。第16回目)

2023-03-26 20:39:34 | 都県境を探ってみる

東京地方。散り始めた「ソメイヨシノ」が雨に打たれています。花冷えという感じ。

散る桜を愛でる外出も出来ず、・・・。そんな今日。

「都県境」を探る旅の続きの報告を。

このところの変化の激しい時節。ちょっと季節感がずれてしまっているかもしれません。

3月11日(土)。快晴。

鶴川駅下車。「鶴見川」の前回地点から、再開。

「睦橋」。

          対岸は、町田市になりますが、

すぐ都県境は、鶴見川左岸から北に向かいます。

東京都と明示。

この道が都県境。右が川崎市、左が町田市。

   左は、鶴川駅のホーム。

都県境は、線路を横切り、向こう側に進むので、回り道をします。

の部分が入り組んだ都県境になります。

見て分かるとおり、行政区分がはっきりしていて、川崎市にはまったく関わっていない。

が線路の向こうの都県境。

交差点を右折します。

「真光寺川」沿いに。

小田急線のガードをくぐります。

この先で、河川管理が東京都から神奈川県に移っています。

が都県境。

左の細い流れに沿って、都県境が続きます。

右が川崎市、左が町田市。

   

広い通りに出てから右折します。右手に広がる住宅地は川崎市。

川崎市麻生区岡上。

鶴見川沿いに出ます。

合流地点に「開戸親水ひろば」(川崎市)。

               右から「真光寺川」が合流します。

鶴見川。

この先、都県境は、鶴見川の対岸に向かいます。

              右が神奈川県、左が東京都の管理境界。

東京都(町田市)と神奈川県(川崎市)の境界は、まだまだ複雑に入り組んでいきます。

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東急線「長津田駅」~小田急線「鶴川駅」。その7。河川管理境界 鶴見川。川崎市麻生区。tamaki niime。大正橋。かわいだ人道橋。(「都県境を探ってみる」。第15回目)

2023-03-25 20:38:44 | 都県境を探ってみる

この付近の都県境は、鶴見川の旧流路沿いになっています。そのため、鶴見川をはさんで、町田市と川崎市が入り組んでいます。

    下流を望む。

       小田急線の手前で都県境は左に折れる。

「河川管理境界 鶴見川」。

←横浜川崎治水事務所川崎治水センター →東京都南多摩東部建設事務所

ここにも記されているように、神奈川県側は「川崎市麻生区」となります。

左にある旧流路沿いの遊歩道へ。

        

         右手に見えるマンションは、川崎市麻生区。正面奥が小田急線。

小田急線沿いに戻ります。

                    小田急線沿いの道がしばらくは都県境。

左にユニークな建物が。

コロナ禍だから、関東に初の直営店。東京町田の洞窟みたいな家がtamaki niimeの第2の拠点に!

有限会社玉木新雌2021年6月6日 21時10分
 
tamaki niime TOKYO MACHIDAオープンのご案内
播州織の産地・兵庫県西脇市を拠点に、唯一無二のものづくりをつづける、
tamaki niimeが2021年7月9日(金)、東京に初の直営店をオープンします。

店舗となるのは、東京・町田市鶴川にある、牛田英作+キャサリン・フィンドレイが1993年に完成させた
「TRUSS WALL HOUSE」。
tamaki niime 代表・玉木新雌と、この建物との出会いが、オープンのきっかけとなりました。

tamaki niimeはデザインのみならず、オーガニックコットンの栽培、糸の染め、 織り、編み、縫製、販売まで、西脇にあるShop&Labでおこない、自分たちが本当にほしいものをつくりつづけています。


また、共感しあえる作り手とのコラボレーションによるものづくりにも取り組んでいます。

ショールやウエア、テキスタイルなど、数多あるアイテムの心地よさを実感いただけるように、また、ものづくりへの思いを伝える場として、東京・町田店をスタートすることとなりました。

(この項、「有限会社玉木新雌」HPより)

この先で、都県境は、鶴見川となります。

「大正橋」。

               右は川崎市、左は、町田市。

   上流を望む。

             大正橋で見られる生きもの図鑑。

「コイ」「カワヨシノボリ」「カワムツ」「カマツカ」「オイカワ」「アユ」・・・

      シラサギが。

         「カルガモ」「カワウ」「カワセミ」「キアシシギ」・・・。

  都県境が明示されている。

「当区分界は、河川区域の清掃、除草植栽管理・・・に関する東京都と神奈川県のそれぞれの維持管理界を示すものです。」

「かわいだ人道橋」。

この先で、町田市が鶴見川の対岸に入り込んでいます。

      

この付近の探索は次回にし、小田急線「鶴川駅」に向かうことにします。

            

        駅名は、町田市と1958年に合併した鶴川村に設置されたことに由来。

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東急線「長津田駅」~小田急線「鶴川駅」。その6。玉川学園・和光大学。川崎市麻生区の飛び地。鶴見川・川井田橋。(「都県境を探ってみる」。第15回目)

2023-03-24 20:41:38 | 都県境を探ってみる

「玉川学園」まで緩やかな上り坂。

           都県境の道になっています。

高校生達がすごい勢いで坂を下っていきます。小田急線「玉川学園前駅」に向かっているのでしょう。

都県境は、玉川学園内を通り、和光大学方向に進みます。

                      (「今昔マップ」より)かつては丘陵地帯。それが今では。

※「玉川学園」は、小田急線をはさんで(丘で越えて)、東西に大きく広がり、正門は「玉川学園前駅」の北口を出たところにある。

東口案内所から構内へ。都県境の道は公道のようです。

校舎が並ぶ。

          

             この建物は、町田市に属しています。

右手に、「教育博物館」。

                この建物は、横浜市青葉区に。

                

創立者が生んだ「全人教育」を実践すること、それが玉川の教育

創立者小原國芳が1921年に開催された八大教育主張講演会で「全人教育」を提唱し、100年が経ちました。その間全人教育を教育方針に掲げる学校は国内外で増え続け、多くの学校教育を支える柱となりました。その全人教育を実践する場として生まれた玉川学園。創立以来、その理想を追い続ける教育を展開しています。(「玉川学園」HPより)

沢柳政太郎が創立した成城学園から1929年(昭和4年)に枝分かれして、当時成城学園の幼稚園・小学校・高等女学校・高等学校の校長事務取扱だった小原國芳が創立した。前後して成城学園から分かれた和光学園創立による和光大学も敷地が隣接している。キリスト教精神に基づいた宗教教育を行っている(ただし、キリスト教学校教育同盟などには加盟していない)。(「Wikipedia」より)

しばらく都県境が続きます。

しかし、この先は、「玉川大学農場」構内に。※川崎市麻生区の飛び地になっている。

     

        都県境は、玉川学園と敷地続きの和光大学校内へ進んで行きます。

その先は諦め、小田急線の踏切へ。

農場遠景。

小田急線踏切。

          

和光大学方向。

玉川学園方向。

都県境は、和光大学敷地内を通っています。

線路向こうのグランド付近。

左に広がる住宅地は、坂道や路地、行き止まりの道などもあって、右往左往してしまいました。

和光大学敷地内を通り抜けた都県境は、小田急線の線路と重なったあと、北西に移ります。

この付近が境界線。

      都県境は、左に折れて行く。

沿道(都県境)の梅が満開。

                

この先、都県境は、鶴見川を越えていきます。

「鶴見川」に架かる「川井田橋」を渡って、(下流方向)。

(上流方向)。

この先で、都県境に戻ります。

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東急線「長津田駅」~小田急線「鶴川駅」。その5。鋭角に折れる都県境。急坂を上がり、町田市東玉川学園へ。緑地保存地区・横浜市緑区。かつての尾根道。(「都県境を探ってみる」。第15回目)

2023-03-23 20:52:36 | 都県境を探ってみる

右手にあるお店のところで、都県境は、鋭角で折れていきます。

       

              下方ののところ。右下から来て、左下へ。

賑やかな通りをかすめるように、鋭角に折れて行きます。

   右手にある「都市再生機構奈良北団地」は、横浜市青葉区奈良。

曲がったあと、振り返る。

                 (写真で)通りの右側は、町田市成瀬台地区。

この先で、右折します。

               右は横浜市青葉区、左は町田市成瀬台。

町田市成瀬台の住宅地。

町田市「中央通り」。

                   ここを右折します。

団地のところで、小休止。

正面にある急坂を上ります。と、広い道に。

住居表示。

「町田市東玉川学園」の住宅地が広がります。右手は横浜市緑区・保存地区の森。

         

眼下は、横浜市青葉区方面。

右下は、「モアクレスト玉川学園」(横浜市青葉区)。

横浜市青葉区。

かつての尾根道・都県境を進みます。

左下に町田市玉川学園の町並みが広がります。丹沢・大山が遠くに。

           

都県境の道を進みます。

右手に「ワコーレ玉川学園」。

      

ワコーレ玉川学園A棟は、2万㎡超の敷地に緑に包まれて建つマンションです。南側がひな壇設計となっており、日当たりも良好。ワコーレ玉川学園A棟のエントランスにはオートロック式の鉄製門扉が設置されており、外国の大使館のようです。通路の植栽も美しく、A棟とB棟に挟まれた広場の噴水やテラスは住人憩いの空間となっています。ワコーレ玉川学園A棟は1988年10月竣工と築年数が経っていますが、2010年5月に大規模修繕工事を終えています。ペットの飼育も可能(規約制限あり)。最寄り駅は小田急電鉄小田原線玉川学園前駅で徒歩8分という立地。新宿へ約32分と、都心へのアクセスは良好です。(「東急リバブル」HPより)

※住んでいる近所にも「ワコーレ」マンションがあるようですが。

交差点を直進し、「玉川学園」に向かいます。坂道から振り返る。 

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東急線「長津田駅」~小田急線「鶴川駅」。その4。大規模な宅地開発。都県境標石。急な階段の上り下り。奈良谷戸橋。(「都県境を探ってみる」。第15回目)

2023-03-22 20:57:01 | 都県境を探ってみる

左は住宅地、右は都県境になっている緑地帯。

この付近(町田市側)の宅地開発は、丘陵地帯の一部を切り崩しての大がかりなものでした。

                     1970年代のようす。

              (「歴史的農業環境閲覧システム」より)

                                                                                                                     

2010年代のようす。北西側はすっかり住宅街に。        1880年代のようす。都県境はほぼそのまま。

フェンス沿いに都県境。

                       右が横浜市、左が町田市。

緑地(横浜市)。

ユニークな建物。 

           

                    「studio gallery Plannnet」。

急な階段。西側方向を望む。  

久々に見つけた「飛び出し坊や」。

遠く丹沢山塊が。一番左が「大山」(のはず)。

頑丈なフェンスでガードされている緑地帯。この先、こういう光景をしばしば見受けます。

「都県境」標石。

来た道を振り返る。

切通しの道路を越えて向こう側へ。

階段下にいる人の背丈と比べると、けっこうな上り階段ということが分かります。

横浜市青葉区方向。

           この道をまっすぐ東に進むと、東急「こどもの国駅」になります。

振り返る。急な階段を下りてきたわけです。

再び都県境の道を進みます。

ここにも「都県境標石」。

町田市成瀬台。

横浜市青葉区奈良。

 横浜市側も急な坂に。                            

「奈良谷戸橋」。

                   

南西を望む。

北東を望む。

この先は、しばらく住宅地を歩きます。

この道が都県境。

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東急線「長津田駅」~小田急線「鶴川駅」。その3。成瀬尾根の山岳展望図。尾根道を歩く・都県境。風の広場。源流の森保存地区。まむし注意。(「都県境を探ってみる」。第15回目)

2023-03-18 20:02:24 | 都県境を探ってみる

右が住宅地(横浜市)、左が森(町田市)。町田市成瀬5丁目。

梅が満開。 

坂道で振り返る。

まもなく左手が開けてきます。

町田市街地が眼下に広がる。

    

         広場で保育園児が遊ぶ。起伏があって面白そうに走り回っています。

「成瀬尾根の山岳展望図」。

 左から右へ、箱根連山、丹沢、御坂、南アルプス、大菩薩、奥秩父、奥秩父、奥武蔵まで一望できる、とのこと。

西側には雲が多く、大山など丹沢山塊はよく見えましたが、その他は確認できず、残念!

尾根道が都県境になっています。

                   

都県境を示す標石。

右が横浜市、左が町田市。

                     農地が左右に広がっています。     

横浜市側。

町田市側。

分かれ道を左に。

足もとには、境界を示す標石が順々に埋め込まれています。

町田市の標石。市章が刻まれています。

これは、横浜市の市章。

「風の広場」に到着。

             

横浜市側には梅が満開。

     

「源流の森保存地区 横浜市」。

源流の森保存地区は、緑豊かな都市景観を形成し、市民生活に潤いと安らぎを与えているとともに、保水・治水機能の保全と河川の水量の確保に寄与している郊外部の良好な樹林地について、土地所有者の方にご協力いただき指定することにより、樹林地の保存を図る制度です。
市内で約264ha(令和4年4月1日現在)を指定しています。

(この項、「」HPより)

右手に広がる。

道の真ん中に境界石が埋め込まれていて、あやうく躓きそうになります。

              市境界。

眼下、左側(町田市側)に住宅が見えてきます。

「まむし注意」の掲示が所々に。

左側が大きく開け、住宅が建ち並ぶ。

眼下の右側の通り沿いには、大きなお店やマンションが。

がっちりガードされた境界の標石。

この先で、森の尾根歩きは終わり、町田市の住宅街に入っていきます。

遙か彼方まで住宅が建ち並ぶ。

                         町田市成瀬台方向。

横浜市青葉区奈良。

尾根道から住宅地へ下ります。

「成瀬の自然を守る会」掲示板。

「野鳥観察会」のお知らせ等、地域の案内、自然保護のための多彩な取り組みが紹介されています。

この先は町田市の住宅地を歩きます。

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東急線「長津田駅」~小田急線「鶴川駅」。その2。吹上の石仏。高台の住宅地へ。町田市と横浜市の境。成瀬山吹特別緑地保全地区。(「都県境を探ってみる」。第15回目)

2023-03-17 19:56:36 | 都県境を探ってみる

恩田川・上流を望む。

               奥に見えるのは、町田市立総合体育館。桜が満開時にはさぞかし。

町田市成瀬。

高台から長津田駅(横浜市)方面を望む。

広い通りに出ます。「横浜市青葉区」。

ちょっと戻ると、「吹上の石仏」。この付近に都県境があります。

        

振り返ると、「東京都町田市」。

高台を通っている都県境に向かいます。目の前には、けっこうな階段が。

          

振り返る。

頂上から南を望む。

西を望む。

この辺の方々は、いつもこうした坂の上り下りを・・・。車でも怖いくらいの坂道。

隅田川以東のまったく起伏のない、平坦な土地に住む人間には、すでにもう疲れる!

※上り下りする道は、荒川などの川に架かる橋か、跨線橋くらいしかありません。

歩いている道が都県境となっています。

(右側)横浜ナンバー

(左側)多摩ナンバー。

振り返り、振り返り、・・・。

住宅地のはずれに、「成瀬山吹特別緑地保全地区」。

名称の「山吹」は、昔からの地名である「山村」と「吹上」の両方の場所にまたがることに由来しています。

区域は、南北及び東側に伸びており、町田市と横浜市の境を縦断する尾根道の南側の最終地点となっています。頂上部から西側に開けた平坦地を望むと、町田市の中心市街地を一望することができ、遠くには丹沢山塊や富士山まで見渡すことができます。

また、斜面地にはコナラ、クヌギ、ヤマザクラなどのかつて薪や炭の材料とした二次林といった貴重なみど広い面積で残されています。

町田市では、この貴重な自然を将来にわたる保全するため、都市緑地法に基づき特別緑地保全地区として指定しました。

この先、都県境にもなっている尾根道を歩きます。

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東急線「長津田駅」~小田急線「鶴川駅」。その1。原嶋源右衛門処刑の地。恩田川。河川管理境界。町田市成瀬・横浜市青葉区。(「都県境を探ってみる」。第15回目)

2023-03-16 22:00:26 | 都県境を探ってみる

今回からしばらくは、多摩丘陵を上がったり、下ったり、迂回したり・・・。

都県境となる「多摩川」に出るまでは、けっこう起伏に富んだコースとなりそうです。

前回のところから、歩きを開始。都県境は左から右へ横切る。

右折すると、この細道が都県境。左が町田市、右が横浜市。

          

突き当たりを左折すると、右手のこんもりとした森の一角に、墓碑が2つ。

正面は、日露戦争で戦死した兵士を悼む碑。

解説板。

「日露戦争の旅順港攻略作戦・白たすき決死隊・中野好治の忠魂碑」。

司馬遼太郎の描く日露戦争『坂の上の雲』・旅順要塞第3次総攻撃

乃木と伊地知がやった第3次総攻撃ほど戦史上愚劣な作戦計画はない。相変わらず要塞に対する玄関攻撃の方針を捨てず、その作戦の全てを日本人の勇敢さのみに頼った乃木司令部というのは、ただ「突撃せよ」と死を命ずるのみで、計画と判断の中枢であるという点では、全くゼロというに等しかった。・・・この攻撃に加えるに一大決死隊の突撃が計画された。後に旅順の死闘の象徴的な存在として有名になる「白襷隊」がこれである。・・・中村少将に率いられた「退却なし」という3千百余名の白襷隊が旅順要塞の砲火を浴び、一挙に1500人が血煙を上げて死傷するに至った。この不幸な白襷隊戦法ほどの乃木司令部の作戦能力の貧困さを表したものはなかった。・・・中野好治は果敢にも突撃を敢行したが、敵の機関銃の掃射で戦死を遂げたのである。・・・(解説文より)

※白襷隊の敗北の報を受けた第3軍司令官の乃木希典大将は従来の方針を転換し、203高地の攻略を命じた。

その右奥には、

          名主・原嶋源右衛門の処刑執行の場所

解説板。

処刑の原因となった入会地「葦沼」新田開発

成瀬村の名主、原嶋源右衛門が、成瀬村と長津田村にまたがる葦沼という湿地帯を努力のすえ、新田として開発した。しかし、長津田村から境界問題でクレームがつき、話し合った結果、一部を長津田村に譲って、境界を確定することで合意したが、これに、奉行所が横槍を入れ「公儀をたぶらかした」として、首謀者の名主・原嶋源右衛門を見せしめのための罪人に仕立て、享保元年(1716)10月15日、通称がけ山と呼ばれるこの場所で、村民の必死の願いも叶わず原嶋源右衛門は1716年に打ち首、一家断絶の厳しい処刑が行われた。・・・

一帯は、小高い鬱蒼とした暗い森となっています。

     

また、現在でも、町田市と横浜市の境界線になっています。

そこを右折して進みます。

                   左が町田市南成瀬、右が横浜市緑区長津田町。

振り返る。

突き当たりに「恩田川」。

               上流を望む。

              都県境は、短い区間ですが、「恩田川」となります。

カルガモの群れ。

河川管理境界「恩田川」。

←東京都南多摩東部建設事務所 神奈川県横浜治水事務所→

対岸にも同じ河川管理境界。

都県境は、ここから対岸に続きます。左は、町田市成瀬、右は、横浜市青葉区。

東光寺公園・遊水池。

上流の「都橋」を渡って、対岸へ。

             「谷本川(鶴見川)合流点から7.6㎞ 町田市成瀬」「つるみ川はバクの形です」?                   

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小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その7。つくし野駅。JR横浜線。大きな車両基地。横浜市入り。長津田駅。こどもの国線。(「都県境を探ってみる」。第14回目)

2023-03-15 20:38:08 | 都県境を探ってみる

いったん国道246号の東南に進んだ都県境が再び西側に移ります。

「横浜みどりの森(墓園)」の西をかすめるように進みます。

※路上のマンホールは、町田市。

住宅街を歩くことに。

        町田市内。都県境からは西に外れてしまいます。

左の森が都県境。

         

テニスクラブの素敵な建物。

                  

さらに、都県境は、「森村学園」の西側を進みます。生徒がたくさん下校中。

東急田園都市線「つくし野駅」。

右手奥が都県境。

       

この付近で、線路を越えて都県境が来ます。

都県境を進むと、JR横浜線に突き当たり、さらに、東急長津田検車区へ。

                

横浜線の踏切を通り、跨線橋で向こう側に。

横浜線。正面が東急田園都市線。

大きな車両基地。

                 右手、中央付近を都県境(町田市と横浜市)が通っています。

             

長津田駅方向へ。横浜市のマンホール。

この付近が都県境?

すでに横浜市内に。

                      横浜ナンバーの車。

横浜市のマンホール。

           ベイブリッジがモチーフ。ローマ字で「OSUI」と刻まれている。

車両基地を望む。

                都県境は、左手の森付近から車両基地を横切り、右手へ。

「こどもの国線」。

1959年昭和34年)に、当時の皇太子明仁親王結婚を記念して旧日本軍田奈弾薬庫跡地の丘陵に1965年(昭和40年)に開園した「こどもの国」へのアクセス路線として、1967年(昭和42年)4月28日に開業した。

当時の国鉄長津田駅から田奈弾薬庫への専用線を利用している。

こどもの国駅からは現在の緑山スタジオ・シティ、三輪緑山付近を経て小田急小田原線鶴川駅までの延伸案や、同線玉川学園前駅への延伸案があった。

開業初期には大井町駅からの直通臨時快速列車や小学生の遠足などの団体列車の運行もあった。

1986年頃から沿線の大規模な宅地化が進み、沿線人口の増加によって通勤需要が高まり、公益法人としての目的から逸脱するため、こどもの国協会は1997年(平成9年)8月1日付で第三種鉄道事業を第三セクター横浜高速鉄道に譲渡した。

さらに行き違い可能な恩田駅を新設し、2000年(平成12年)3月29日から全時間帯運行し沿線住民の通勤需要も担う通常の鉄道路線として営業を開始した。

新設された恩田駅付近には長津田車両工場があり、東急電鉄と横浜高速鉄道に所属する全車両の整備と、地方に譲渡される車両の改造などを行っている。

(この項「Wikipedia」参照)

長津田駅(東急田園都市線。)

                                                                          

今回は、ここまで。都県境が入り組んでいて、二駅間を歩きました。次回以降も、町田・横浜・川崎の都県境を行き来することに。

東急田園都市線で帰途につきました。

 

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小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その6。東名・横浜町田IC。国道246号。東工大。旧大山街道(馬の背)・青山通り。(「都県境を探ってみる」。第14回目)

2023-03-14 21:10:23 | 都県境を探ってみる

この付近の今昔。

                       2010年代のようす。鋭角に折れる都県境。

                     1880年代のようす。当時から鋭角に折れている。

「横浜町田IC」付近の込み入った道を避けて、迂回し、インターの北側に。

東名の向こう側のラブホテル街。

東名を走っているとき、短い距離で「神奈川県から東京都」、「東京都から神奈川県」と標示されるところです。

料金所へ向かう道路に沿って、回り込みます。

「横浜町田料金所」。

その手前で、都県境の道に復帰。左が町田市、右が横浜市。

振り返る。この付近もホテルが建ち並ぶ。

横浜市のマンホール。

「町田市辻」交差点。

ここは、「八王子絹の道」歩きで通過しました。奥から来て、東名入口交差点から南に向かいました。

今回は、右折して「国道246号」を進みます。

左側に「道祖神」。

                

「渋谷(まで)29㎞ 長津田(まで)3㎞」。

「すずかけ台駅 この先70 ㍍」。

左手に東急田園都市線が近づき、眼下が開けてきます。

国道246号の反対側は、「東京工業大学(東工大)キャンパスの大きな森。

「神奈川県横浜市緑区」。

振り向くと、

左手には、馬の親子像。

                   「南つくし野こうま公園」(町田市)

東工大キャンパス通用口。

都県境は、左に曲がり、すずかけ台駅方向に。

「すずかけ台駅」。

        

すぐ「国道246号」に復帰します。

                     「三宅坂まで32㎞」。

「東工大入口」交差点。

すぐまた左の坂を上っていきます。

                  眼下が大きく開けてきます。「旧大山街道(馬の背)」。

遠くに「大山」が見えます。

「矢倉沢往還」=「大山街道」

江戸時代中期以降になると大山が盛んになり、宿駅などが整備されていた矢倉沢往還が江戸からの参詣道として盛んに利用されたことから、「大山街道」(おおやまかいどう)、「大山道(青山通り大山道)」(おおやまみち)とも呼ばれるようになった。

矢倉沢往還の街道は、律令時代より東海道の本道にあたり、鎌倉時代に湯坂道(箱根峠)が開かれるまで官道として機能していた。江戸時代に入って大山講が盛んになる享保年間から、江戸から大山へ、あるいは足柄から大山への道としても機能する。急峻な箱根峠に対して足柄峠は緩やかであり、また、江戸-沼津間の短絡路であったために、東海道の脇往還としても発達した。神奈川県内の区間は大正時代になると県道1号線に指定され、後に国道246号となり、幹線道路として機能している。

(この項、「Wikipedia」参照)

             

「旧大山街道」。

         左が町田市、右が横浜市。

国道246号(「青山通り」)に下りていきます。

              都県境は、通りを越えて進む。

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小田急線「町田駅」~東急田園都市線「長津田駅」。その5。横浜市瀬谷区。五貫目道祖神・左義長。東名高速道路。(「都県境を探ってみる」。第14回目)

2023-03-12 20:18:23 | 都県境を探ってみる

鶴瀬橋。

対岸は、神奈川県大和市。

一つ下流にある「鶴間橋」から左に折れて「国道246号線」をくぐります。

境川下流を望む。

横浜市のマンホール。ここは、横浜市瀬谷区。

中央に市章。地紋はYokohamaの「Y」と「O」をイメージしている。

「目黒」交差点。

左折すると、右手に「五貫目道祖神」。

解説板。

五貫目道祖神は、徳川中期に旧青山街道(旧国道246号)現所在地より約300㍍西方境川鶴瀬橋手前に祀られ、北は世田谷青山、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉に通ずる三方分離点として旅人の道標としての役を果たした道祖神です。

現在の道祖神は徳川後期安政三年丙辰八月と記され、二代目道祖神と言い伝えられております。青山街道は別名大山街道とも言われ、多くの旅人の行き来した街道でした。五貫目地域住民も明治時代より平成の今日迄、毎年1月14日道祖神地先にて1年の無病息災並びに豊作を念して、左義長別名ダンゴ焼きの行事を実施しております。

平成4年3月一般国道246号大和厚木バイパス開通に伴い、建設省のご配慮により現在地に移転いたし、これを後世につたえるべく由来碑を建立し、永く顕彰するものとする。

左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる。日本全国で広く見られる習俗である。

1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松注連飾り書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた(三色団子ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる。また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。

民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。

とんど(歳徳)とんど焼きどんどどんど焼きどんどん焼きどんと焼きさいと焼きおんべ焼き等とも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。

子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子供が行う。またそれは、小学校などでの子供会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される。

民間・町内会が主体となって行われる場合は基本的に上記したような名称で呼ばれ、寺社が主体となって行われる場合には、お焚き上げ(おたきあげ)・焼納祭(しょうのうさい)と呼ばれたりする。

(この項、「Wikipedia」より)

「五貫目町」交差点。

江戸時代の初期に年貢の石高が五貫目と定められ、それが字名となったという。昭和49年の新設の際の町名は字名を採った。

↑厚木・大和 ←鶴ヶ峰 →相模原 ←八王子街道→

都県境。「東京都町田市」。

右折して都県境となっている道を進みます。

                       道路の向こうの細道へ。

右手は、横浜市瀬谷区。

横浜市方向。

この道が都県境(左が町田市、右が横浜市)。

町田市のマンホール。

                 中央に市章、周りに市の花サルビアの花を放射状に描いている。

 

大きなお屋敷。

来た道を振り返る。右が町田市、左が横浜市。

                 

「町田市鶴間六丁目」。

都県境を進む。

右手の梅林。

左の畑の脇には、

「東名高速道路」に近づいてきます。

「東名」がこんな身近に迫っているとは思いもしませんでした。しかし、防音壁のせいか、まったく車の騒音は感じません。

さて、この先、都県境は「東名」と「横浜町田IC」に阻まれてしまいます(高速道路上になっているところも)。

複雑な道筋をたどって東名の向こう側に出ることも可能ですが、・・・。左手の公園で小休止。

            「鶴間ひだまり公園」(町田市)。

2010年代のようす。↓が都県境の道。右が「東名」。都県境は、東名を越えて東に進む。

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