街道沿いには「供養塔」などが保存されています。「小杉駅と供養塔」。
川崎宿より50年遅れて小杉もまた宿駅に指定された。供養塔にも稲毛領小杉駅とある。台座の「東江戸、西中原」は街道が平塚の中原と江戸を結ぶ道であることを示している。
「寺子屋三左蔵」との看板が。
「三左蔵」が残る「小杉御殿町」は、江戸の昔、徳川家康公の鷹狩りの御殿があったことからその名前が付いています。隣には陣屋があり、今でも「小杉陣屋町」と呼ばれています。当時はまだ東海道が整備されておらず、この「小杉御殿」を経由する「中原街道」が、上方への主要な幹線道路でした。御殿のあった小杉は、東西を行き来する人々のための宿場町として、大いに栄えていたと言われています。
その当時から質屋や呉服屋を営んでいた小林家には、江戸時代の土蔵が二棟、今でも残されていました。一棟は衣装蔵、もう一棟は味噌蔵であったものと思われます。300年余りの間には、何度かの改修が施されていますが、その梁や基礎、壁などは当時のままに現存しています。土蔵の中の気温は、夏は涼しく、冬は暖かく保たれ、所蔵品は黴たり腐ったりすることなく、現代まで大切に残されていました。
今回、傷みがひどかった基礎や柱の一部を補修し、新たに階段やトイレ、キッチンなどを取り付けました。寺社建築専門の棟梁を数ヶ月にわたって招き、可能な限り釘を使わず、組木だけで建てられた当時の建築仕様を現代に再現しました。所有者である小林家の当主が代々「三左衛門(さんざえもん)」を名乗っていたことから、この蔵を「三左(さんざ)蔵」と名付け、皆様に公開することとしました。 300年を超えて呼吸し続ける木の温もりと、そこに流れるゆったりとした時間と空気を、ぜひ感じて頂ければと思っています。
プロデュース / 小林かおり
(この項「」HPより)
左手奥にある建物がそうだったようです。立ち寄れなくて残念!
「庚申塔と大師道」。
この庚申塔は「見ざる聞かざる言わざる」で知られる庚申信仰の最盛期、江戸時代のもの。道標を兼ね東江戸道、西大山道、南大師道と彫られている。昔はここから大師へ向かった。
「小杉十字路」。府中街道との交差点。
中原街道が府中街道と交差するこの場所は、明治後期から大正時代、特に賑わった。乗り合い馬車の停留所、料理屋、旅館、劇場、鉱泉宿、床屋、医院、郵便局などが集まっていた。
「神地(こうじ)橋」で「二ヶ領用水」を越します。
二ヶ領用水(にかりょうようすい)
多摩川などを水源とし、神奈川県川崎市多摩区(上河原堰・宿河原堰)から川崎市幸区までを流れる、全長約32km(宿河原の支流を含む)の神奈川県下で最も古い人工用水路である。2020年(令和2年)3月10日に国の登録記念物に登録された。
関ヶ原の戦いの3年前にあたる1597年(慶長2年)に測量が始まり、14年の歳月をかけて完成。二ヶ領用水の名は、江戸時代の川崎領と稲毛領にまたがって流れていたことに由来する。農業用水として多摩川から水を引いて造られ、かつては近隣の農業を支えた二ヶ領用水だが、時が流れて現在の沿川は宅地化が進んでおり、工業用水などに用いられるとともに、近隣住民の憩いの場としても親しまれている。
(この項「Wikipedia」より)
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