おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成ローカル線

2008-01-07 07:42:23 | つぶやき
 日曜の晩。久々に京成・日暮里駅から、下り線に乗りました。今、日暮里駅は、大改造中です。  
 「舎人ライナー」というモノレール新線が完成して、駅前も大改造中。昔ながらのごみごみした飲み屋街もすっかりなくなって、昔は、飲んではよくくだを巻いた飲み屋も跡形もなく、大きなしゃれたビルになっています。その向こうの〇〇ホテル街は、そのままのようですが。
 そして、JRと京成が共同利用する日暮里駅。
 かつて、魯迅が仙台の医学校に通うため、「都落ち」して上野から旅だった、最初の通過駅の「日暮里」という駅名に、とても感慨深くなったこともあったようです。たしかに駅の西側の坂道を下りながら、商店街を望む夕焼けの光景は、今でもすばらしい風情のある雰囲気です。
 昔から、国電(JR)から京成電車に乗り換えると、家路につくときの、何となく物寂しい気分が、とたんに起こってきたことを昨日のように思い出します。
 当時は、まだ京成本線というのでしょうか、こちらがメインルートで、押上線は「押上」で終点。その頃は、浅草に行くのでさえ、押上からタクシーかバス、トロリーバスで行くしかなかった。昭和30年代の後半になって、地下鉄が開通し、浅草も、(東)銀座も、そのまま乗って行けるようになったのでした。
 なにしろ、成田(山)へ行くのは、京成上野・日暮里経由が一番便利だったのです。常磐線もそうですが、山手線から乗り換えて、日暮里駅の東外れにある京成電車。何となく賑やかさとはほど遠いものがありました。
 しかし、今や京成の主力は、なんと言っても押上から都営浅草線、そして京浜急行線で羽田空港や横浜へのルートなのでしょう。すっかり、上野からの電車は、ローカル線になってしまった感が。
 あっちは、京浜急行も乗り入れ、都営線も乗り入れ、京成電車もと、車両は、いろいろ華やか。真っ赤な車体から、シルバーのステンレス車体まで・・・。行く先も、成田空港から印旛日本医大、三崎口から羽田空港と東京から神奈川、千葉まで網羅しています。世界へ飛び立つ二つの空港をしっかりと結んでいます。
 こっちは、「スカイライナー」と特急の他は、すべて各駅停車。向こうは、快速特急、特急、エアポート特急、急行、と多種多様。向こうは、だいたい8両編成。
こちらは、4両かせいぜい6両編成。これじゃ、勝負になりませんね。
 車両も向こうは、一枚ガラスの大きな窓、少し日差し除けの色がかかって。開け閉めなど出来ない。こちらは、窓がたくさん、上・下二枚で、開け閉めできる、ま四角な窓・窓・窓。扇風機まで天井にある。後からつけたような空調機も、ありますが。
 でも、下町らしい駅(名)が続きます。ガード、鉄橋、軒先をかすめるような線路・・・。
 「新三河島」「町屋」「千住大橋」「関屋」「堀切菖蒲園」「お花茶屋」「青砥」。ここからは、押上線と同じ駅名。
 とある停車駅の掲示。「行商専用車時刻」。千葉のおばちゃんが、新鮮な野菜を一杯背負ってやってくる。昔は、同じ車両に乗り合わせることもありました。その時の、独特の野菜の臭い、おばちゃんの恐ろしく元気な話し声に、圧倒されることもしばしばでした。
 懐かしい!まだ健在だったんだ!千葉の行商が!京成上野線ならではの、この案内。実に頼もしく、感じました。
 この心意気!まだまだ捨てたものじゃない!土の匂いのするたくましさ!羽田空港がなんだ!成田空港がなんだ!京成電鉄の原点は、ここにあり!てな気分に、ちょっぴり、なりました。 
コメント
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