東京地方、寒い雨の日が続きます。1月下旬の頃の寒さとか。そんな寒い日。JR西荻窪駅で下車、善福寺川の上流を少しばかり歩く。善福寺川は神田上水に注ぐ川。その水源は、善福寺池。二つの池の上の池にその湧水の一つがあります。「遅の井」。今は泉が涸れてしまって、井戸を掘り、ポンプで汲み上げています。
「遅野井」。善福寺池の湧水のひとつ。言い伝えによると、約800年前、源頼朝が奥州征伐に向かう途中、この地で飲料水を求めるために土を掘りました。折からの干ばつでなかなか水が出ず、自ら弓の「はず」で土を7箇所掘ると、しばらくしてその7箇所に水が湧き出たといわれています。水の出を「今や遅し」と待ったところから「遅野(の)井」と命名されたというわけです。池の名前は、池のほとりに昔あったと伝えられる古い廃寺「善福寺」に由来しているそうです。
広々とした水面の上の池。紅葉がきれいで、野鳥もたくさん。都心に残された池を名ぐる自然公園という雰囲気でした。
下の池から善福寺川は流れていきます。少しくらい寒くても、晴れた日にのんびりと川を下ってみたくなりました。
西荻窪駅から最も近い地点。コンクリートで固められていますが、水は澄んでいて水鳥も餌をついばみ、大きな真っ黒な鯉が泳ぎ、ささやかな草地には季節外れのアヤメ・の紫の花がここかしこに咲いています。
善福寺池からの落ち口。善福寺川の発端(コース案内では「遅野井」)。ここから川が始まります。
川の方から池をのぞむ。
湧水の一つ。東京女子大の裏手辺り。
意外と広々して開放的。紅葉がとても見事です。
水鳥もたくさん。中には白鷺(ゴイサギ?)の姿も。
「遅野井」。
燃えるような紅色。ただ携帯写真だと色が抜けてしまう。「この木上らば鬼女となるべし夕紅葉」でしたか。
東京女子大。女子大の名門。俗に「本女(ぽんじょ)」に対して「とんじょ」。
1910年スコットランドのエディンバラで開かれたキリスト教世界宣教大会における決議に基づいて、北米のプロテスタント諸教派による援助を受けて開設された。初代学長は新渡戸稲造。
善福寺キャンパスは、1920-30年代にかけてアントニン・レーモンド設計の建築群によって構成され、正面の本館を含む計7棟の建造物は国の登録有形文化財に登録されている(現在も通常使用されている)。
写真は、本館と東館。落ち着いた雰囲気の大学です。
寒い曇り空も、帰りには冷たい雨に変わっていました。
「遅野井」。善福寺池の湧水のひとつ。言い伝えによると、約800年前、源頼朝が奥州征伐に向かう途中、この地で飲料水を求めるために土を掘りました。折からの干ばつでなかなか水が出ず、自ら弓の「はず」で土を7箇所掘ると、しばらくしてその7箇所に水が湧き出たといわれています。水の出を「今や遅し」と待ったところから「遅野(の)井」と命名されたというわけです。池の名前は、池のほとりに昔あったと伝えられる古い廃寺「善福寺」に由来しているそうです。
広々とした水面の上の池。紅葉がきれいで、野鳥もたくさん。都心に残された池を名ぐる自然公園という雰囲気でした。
下の池から善福寺川は流れていきます。少しくらい寒くても、晴れた日にのんびりと川を下ってみたくなりました。









1910年スコットランドのエディンバラで開かれたキリスト教世界宣教大会における決議に基づいて、北米のプロテスタント諸教派による援助を受けて開設された。初代学長は新渡戸稲造。
善福寺キャンパスは、1920-30年代にかけてアントニン・レーモンド設計の建築群によって構成され、正面の本館を含む計7棟の建造物は国の登録有形文化財に登録されている(現在も通常使用されている)。
写真は、本館と東館。落ち着いた雰囲気の大学です。
寒い曇り空も、帰りには冷たい雨に変わっていました。