いつ来たか忘れるほど、久々の堀切菖蒲園。花菖蒲が満開だというので、晴れ間に出かけました。京成堀切菖蒲園駅下車。ぞろぞろ歩く人たちの後をついていきました。記憶では目的地までわかりにくい道筋だったような気がしましたが、安心。
途中、かつて用水路跡が歩道となっていて、あじさいやら何やら彩り豊かな散歩道。
園内も平日なのにひとひとひと。入園無料なのがいいか。
こじんまりとそれでいてよく手入れされた園内。いろいろな名前の付いた「花菖蒲」が今を盛んに咲き誇っていました。
しっとりと雨に濡れた花を愛でるイメージ。今どきの雨は、ゲリラ豪雨なので、そんな風情を楽しめるわけもありませんが。日盛りの中では菖蒲も何となく元気がなさそう。木々も適度にあってそれはそれでいいですが、日陰に乏しい。当たり前ですが、いくつもある、畦に囲まれた小さな田んぼの中に一面植わっているのですから、無いもの、ねだりというもの。
それにしてもずいぶんとあでやかな花菖蒲が多いのには驚きました。さすが江戸菖蒲、という感じです。いろいろな時代の変遷を経て、ここまで守り育ててきた地元、地域、関係者に感謝です。
「堀切の花菖蒲」碑。
数多くの江戸菖蒲(200種6000株)を鑑賞できる、らしい。
(以下、「Wikipedia」参照)
江戸時代には「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する。
歌川広重 名所江戸百景「堀切の花菖蒲」
戦前まで、この近辺には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。
昭和34年(1959年)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。昭和50年(1975年)葛飾区に移管され、現在に至る。
明治後期のようす(「今昔マップ」より)。
○が菖蒲園のあったところ。上にある園名が記されている。ただし、「戦前まで」とあるが、「今昔マップ」ではすでに昭和初期には上記の園名は見当たらない。
まだ「荒川放水路(現荒川)」が開削される前で、↓に注目!東武線が荒川放水路によって西側に大きく線路変更される前の線路になっている(まだ上野に向かう京成線はできていない)。
北西から南東、斜めに流れる水路は「旧綾瀬川」(後に、「荒川放水路」の一部になってしまう)。東側に流れる用水路は葛西用水・曳舟川。
現代(「同」より)。○が「堀切菖蒲園」。
全景。マンションを撮ったわけではありません。園内のちょっと高みの四阿から。
八つ橋。これにちなむ「かきつばた」は入口に鉢植えにあったものだけ。ここは、すべて「花菖蒲」の世界です。
「伊勢物語」に、三河の国、八橋というところでかきつばたが咲いていたので、主人公に擬せられる「在原業平」が、「かきつばた」という五文字を句の上に置いて詠んだ歌(「折句」)があります。
「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」
紫色、白色など淡い色が中心。背丈、花びらの色・かたち、枚数、大きさ、しだれ具合などによって、それぞれに風流な「命名札」があります。よく区別がつくな、というのがど素人の浅はかな感想。原産地は圧倒的に「江戸」と表示されています。
中には、けっこう存在感のある花も。
珍しく黄色の花。「雑種」とあったのが、何だか気の毒。
「十二単衣」などいくつかは希少品種とか。
石灯籠や懸崖の松などもあしらって風情を楽しむ趣。
萩のトンネルの間から。
中村汀女の句碑。「花菖蒲 輝く雨の 走るなり」
園内には他にもいくつか歌碑や句碑がある。
ゆっくり見ても小一時間。本格的な写真を撮る方はたくさん、写生をしている方も何人か。近所の小学生が写生に来ていました。上手な子も。中にはチューリップみたいな絵になった子・・・。
駅までの道路沿い、あじさいが目を楽しませてくれる。
柏葉紫陽花。他の紫陽花と違って、葉が柏の葉のようになっています。
古い街並みも残っている。
昼飯。手打ち蕎麦のお店が案内図にあったので、そこへ行ってみようと。堀切菖蒲園駅の北側。行ったり来たりしながら探し回ってやっと見つけた。「人と木」(ひととき?「休」?)。4年前に開業したらしい。相席だったが、見知らぬ同士、でも堀切菖蒲園が縁で話も弾みました。さすが下町、人と人とに溶け込める雰囲気を味わいました。
新潟のお酒「真野鶴」とちょっとピリ辛の味噌に蕎麦の実がたっぷり入った蕎麦味噌。そして、鴨焼き・・・。ごまだれの蕎麦大盛り。それぞれけっこうなお味でした。
久々に午前中のおでかけでした。
途中、かつて用水路跡が歩道となっていて、あじさいやら何やら彩り豊かな散歩道。
園内も平日なのにひとひとひと。入園無料なのがいいか。
こじんまりとそれでいてよく手入れされた園内。いろいろな名前の付いた「花菖蒲」が今を盛んに咲き誇っていました。
しっとりと雨に濡れた花を愛でるイメージ。今どきの雨は、ゲリラ豪雨なので、そんな風情を楽しめるわけもありませんが。日盛りの中では菖蒲も何となく元気がなさそう。木々も適度にあってそれはそれでいいですが、日陰に乏しい。当たり前ですが、いくつもある、畦に囲まれた小さな田んぼの中に一面植わっているのですから、無いもの、ねだりというもの。
それにしてもずいぶんとあでやかな花菖蒲が多いのには驚きました。さすが江戸菖蒲、という感じです。いろいろな時代の変遷を経て、ここまで守り育ててきた地元、地域、関係者に感謝です。
「堀切の花菖蒲」碑。
数多くの江戸菖蒲(200種6000株)を鑑賞できる、らしい。
(以下、「Wikipedia」参照)
江戸時代には「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する。
歌川広重 名所江戸百景「堀切の花菖蒲」
戦前まで、この近辺には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。
昭和34年(1959年)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。昭和50年(1975年)葛飾区に移管され、現在に至る。
明治後期のようす(「今昔マップ」より)。
○が菖蒲園のあったところ。上にある園名が記されている。ただし、「戦前まで」とあるが、「今昔マップ」ではすでに昭和初期には上記の園名は見当たらない。
まだ「荒川放水路(現荒川)」が開削される前で、↓に注目!東武線が荒川放水路によって西側に大きく線路変更される前の線路になっている(まだ上野に向かう京成線はできていない)。
北西から南東、斜めに流れる水路は「旧綾瀬川」(後に、「荒川放水路」の一部になってしまう)。東側に流れる用水路は葛西用水・曳舟川。
現代(「同」より)。○が「堀切菖蒲園」。
全景。マンションを撮ったわけではありません。園内のちょっと高みの四阿から。
八つ橋。これにちなむ「かきつばた」は入口に鉢植えにあったものだけ。ここは、すべて「花菖蒲」の世界です。
「伊勢物語」に、三河の国、八橋というところでかきつばたが咲いていたので、主人公に擬せられる「在原業平」が、「かきつばた」という五文字を句の上に置いて詠んだ歌(「折句」)があります。
「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」
紫色、白色など淡い色が中心。背丈、花びらの色・かたち、枚数、大きさ、しだれ具合などによって、それぞれに風流な「命名札」があります。よく区別がつくな、というのがど素人の浅はかな感想。原産地は圧倒的に「江戸」と表示されています。
中には、けっこう存在感のある花も。
珍しく黄色の花。「雑種」とあったのが、何だか気の毒。
「十二単衣」などいくつかは希少品種とか。
石灯籠や懸崖の松などもあしらって風情を楽しむ趣。
萩のトンネルの間から。
中村汀女の句碑。「花菖蒲 輝く雨の 走るなり」
園内には他にもいくつか歌碑や句碑がある。
ゆっくり見ても小一時間。本格的な写真を撮る方はたくさん、写生をしている方も何人か。近所の小学生が写生に来ていました。上手な子も。中にはチューリップみたいな絵になった子・・・。
駅までの道路沿い、あじさいが目を楽しませてくれる。
柏葉紫陽花。他の紫陽花と違って、葉が柏の葉のようになっています。
古い街並みも残っている。
昼飯。手打ち蕎麦のお店が案内図にあったので、そこへ行ってみようと。堀切菖蒲園駅の北側。行ったり来たりしながら探し回ってやっと見つけた。「人と木」(ひととき?「休」?)。4年前に開業したらしい。相席だったが、見知らぬ同士、でも堀切菖蒲園が縁で話も弾みました。さすが下町、人と人とに溶け込める雰囲気を味わいました。
新潟のお酒「真野鶴」とちょっとピリ辛の味噌に蕎麦の実がたっぷり入った蕎麦味噌。そして、鴨焼き・・・。ごまだれの蕎麦大盛り。それぞれけっこうなお味でした。
久々に午前中のおでかけでした。