市役所前の芝生公園を港の方へ向かっていくと、「かごしま水族館」。ここには興味深い遺構があります。
水族館案内。今回は、水族館見学ではなくて、・・・。
かつてのようすとその後の港湾設備の整備の説明板。
新波止石造護岸。
「かごしま水族館」敷地内にあり、かつては鹿児島港の防波堤として機能していた港湾土木遺構。元々は湾内にあった突堤。現在は、海側が埋め立てられ、水族館の敷地となっているが、遺構として保存されている。ここは、薩英戦争の時、薩摩藩の砲台が置かれたところ。
弘化3年(1846年)頃に築造された石造の防波堤。文久3年(1863年)の薩英戦争においては砲台11門を備え、主力砲台として英国艦隊と砲撃戦を行った。
薩英戦争
文久3年7月2日(1863年8月15日) - 7月4日(8月17日)
前年の文久2年に発生した、横浜港付近の武蔵国橘樹郡生麦村で薩摩藩の行列を乱したとされ、イギリス人4名のうち3名を薩摩藩士殺傷するという「生麦事件」の解決を迫るイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)と薩摩藩の間で戦われた鹿児島湾における戦闘。
鹿児島では「まえんはまいっさ」(前の浜戦)と呼ばれる(城下町付近の海浜が前の浜と呼ばれていた)。薩英戦争後の交渉が、英国が薩摩藩に接近する契機となった。
砲台跡。
案内板。
「砲台跡」碑。対岸から望む。この運河ではイルカが遊泳している。正面に水族館との出入り水路。時折、イルカの姿が見える。
薩英戦争の絵図。
防波堤の船着き場。
明治天皇行幸記念碑。
明治5年(1872年)、明治天皇が全国で初めて行幸したのが鹿児島。上陸に利用した新波止場にある記念碑。
向かい側は、桜島とを行き来する船の桟橋。
遮断防波堤。一丁台場と新波止護岸とを結ぶ防波堤。
正面奥が「一丁台場」。遠くには桜島。
ところで、イルカの遊泳はなかなかうまく撮れません。
海面に飛び上がった瞬間、でも写ったのは、波紋だけ。
うーん!
遠すぎて!
足下には桜島からの火山灰が一面に。
鹿児島観光全図。