(8:58)「川崎天満宮」。
もとはもう少し南西にありましたが、渡良瀬川の改修で移設されたようです。
「川崎橋」から土手伝いに進み、土手を下って行きます。「梁田宿」側を望む。
ここで例幣使一行は休息して歌を奉納し、いくつかその短冊が社宝として残っているそうです。解説板。
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判読不能の箇所もありますが、
・萬代の初めを今日を祈り置きていま行末は神所知るらん(・・中将忠能)
・行きかへり旅のねがへも天満る 神のめぐみをやなたにそ知る(綾小路宰相有長)
(注:この方は「玉村宿」でも歌を残しています。)
土手下の道を進みます。
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(9:10)左折した正面の角、さらに右手には古仏が何体か。旧街道筋にあったものをまとめたのでしょうか? 旧道は失われているようです。
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工業団地内の道を進みます。
路傍の「庚申塔」?
「県道128号線」に出ます。旧道はこの付近でも曲がりくねった道だったようで、現在は工場や田んぼの中に失われています。
注:これまでしばしば現・旧比較で引用させていただいている「歴史的農業環境閲覧システム」さんの資料は、ちょうどこの付近(佐野市、栃木市の一部)がUPされていません。「今昔マップ」さんで比較検討した結果が上記の通りですが、資料の掲載は不可。
(9:18)途中見かけた石造物?
車はけっこう行き来しますが、人は誰も通らず。日陰もなし。炎天下であったら参ってしまいそう。左右にはほどよく伸びた稲田が広がります。
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左手奥には小高い山並み。
のどかな田園風景。
写真では分かりにくいですが、田んぼには白鷺の群れ。
「みかもの月」の大きな看板。
「みかも山」は後で見えてきます。
(9:40)県道をひたすら進むと「出流川」に。
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その先の交差点を「田沼」方面に左折します。「厄除け元三大師」の大きな看板が目印。
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右奥に見えるのが「岡崎山古墳群」。
この道の西側を「例幣使街道」の旧道は通っていました。
山頂付近に「大小」の文字(↓)。
「岡崎山古墳群」。
「御野立所趾」という案内板。
昭和9年(1934)、陸軍大演習が行われた際に昭和天皇が閲覧した場所のようです。
「野立」:大演習などで野外に設けた天皇の休息所。
岡崎山の裾を進む。「日光例幣使道」の標識。
(9:59)その先、右に入っていきます。左手の高台には「一本松地蔵」。
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どういうわけか、そこには屋台風のお店。
「岡崎山古墳」の標識。
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ご案内
1、岡崎山(標高52.7㍍)は、古くから人々と深くかかわり、生活の中心であった時代がありました。
そして昭和の一時期まで森や林は子どもたちの格好の遊び場として守り育てられてきました。
2、山頂からの眺めは里山ならではの格別なものを感じさせます。
東に筑波山、南に遠く富士山や秩父の山々、西に浅間山、北には男体山の雄姿を望むことができます。そして旗川の清流の先には限りなく広がる関東平野が一望でき、岡崎山は昔から景勝の地として多くの人々に親しまれ愛されてきました。
3、足利市では、平成2年この丘陵地に古墳が発見されたことから「岡崎山古墳群」として埋蔵文化財の指定をしております。
散策すると古き時代のロマンさえ感じさせてくれます。
4、岡崎山を昔のような地域の里山林として取り戻すことができないか。地域住民の熱い思いから、平成21年に「とちぎ元気な森県民税」を利用した里山林整備事業がスタートしました。
そして先人たちが育んできた岡崎山が、里山林として生まれ変わろうとしております。
5、私たちは、森や林・景観を守り、人と自然とのふれあいの場所として、この里山林を次の世代に引き継いでいきます。
平成22年4月 岡崎山里山林整備事業管理団体 寺岡町自治会
「旗川」沿いに進む。この道は旧道のようです。
しばらく道なりに進みますが、先ほどから左手奥に頂上付近に「大小」と記された山が見え、何だか気になります。ちょうど家から出てきた方に尋ねると「大小山という山ですよ。登ったことはありませんが」との返事でした。
大小山
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全長約5キロで、眼下に渡良瀬川の清流が流れ、遠くに関東平野を眺望出来る素晴らしいコースです。
海抜300メートル級の低山コースですが、アップダウンが厳しく、決してあなどれないコースです。
また、コースの急斜面部分にはロープが張ってあったり、洞窟があるなど、子どもにとっても冒険心をくすぐる楽しいコースとなっています。
大小山(だいしょうやま)の山頂の崖には、シンボルと言える『大小』の文字板が掲げられています。この文字板は、大小山麓の阿夫利神社(あぶりじんじゃ)に祭られている『大天狗』『小天狗』にちなみ、江戸末期の安政2年(1855年)、無病息災を祈願する周辺住民の手により掲げられました。
その後、幾度か架け替えられましたが、現在はステンレス製文字板を用いた、一文字7メートル四方、総重量1トン強のものに復元されています。
(この項、「
」HPより)
(10:08)「県道67号線」に合流します。その左角に道標が二基あります。
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解説板。
【左】 材質:安山岩、高さ90.0cm 幅36.0cm 奥行38.0cmの四角柱。元文5年(1740)建立。
上面中央に浅いホゾ穴の跡が残っており、造立時には上段に別の造塔物があったと考えられます。
正面に「佐野道」、右側面に「足利道」、左側面に「太田道」、裏面に「元文五年庚申十一月二十四日下野国足利郡寺岡村宿」と刻まれています。
正面と両側面の字は行書で太く書かれています。
この道標は市内に残るもので一番大きく立派なものです。
【右】 材質:安山岩、高さ42.0cm 幅30.5cm 奥行30.5cmの四角柱で下に逆台形。台座:逆台形で上面は方41.5cm、下面は方39cm、高さ8.0cm以上。寛政3年(1791)建立。
正面に「道祖神・日光道・佐野道」、右側面に「善光寺道・太田道・足利道」、左側面に「江戸道・館林道」「寛政三辛亥年 月吉祥日」「願主 山本兵蔵」との文字が楷書で刻まれています。
台座 それぞれ各面に「東」「西」「南」「北」の銘記が陰刻されています。
(以上、「同」HPより)
来た道を振り返る。
もとはもう少し南西にありましたが、渡良瀬川の改修で移設されたようです。
「川崎橋」から土手伝いに進み、土手を下って行きます。「梁田宿」側を望む。
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ここで例幣使一行は休息して歌を奉納し、いくつかその短冊が社宝として残っているそうです。解説板。
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判読不能の箇所もありますが、
・萬代の初めを今日を祈り置きていま行末は神所知るらん(・・中将忠能)
・行きかへり旅のねがへも天満る 神のめぐみをやなたにそ知る(綾小路宰相有長)
(注:この方は「玉村宿」でも歌を残しています。)
土手下の道を進みます。
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(9:10)左折した正面の角、さらに右手には古仏が何体か。旧街道筋にあったものをまとめたのでしょうか? 旧道は失われているようです。
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工業団地内の道を進みます。
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「県道128号線」に出ます。旧道はこの付近でも曲がりくねった道だったようで、現在は工場や田んぼの中に失われています。
注:これまでしばしば現・旧比較で引用させていただいている「歴史的農業環境閲覧システム」さんの資料は、ちょうどこの付近(佐野市、栃木市の一部)がUPされていません。「今昔マップ」さんで比較検討した結果が上記の通りですが、資料の掲載は不可。
(9:18)途中見かけた石造物?
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車はけっこう行き来しますが、人は誰も通らず。日陰もなし。炎天下であったら参ってしまいそう。左右にはほどよく伸びた稲田が広がります。
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左手奥には小高い山並み。
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写真では分かりにくいですが、田んぼには白鷺の群れ。
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「みかもの月」の大きな看板。
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(9:40)県道をひたすら進むと「出流川」に。
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その先の交差点を「田沼」方面に左折します。「厄除け元三大師」の大きな看板が目印。
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この道の西側を「例幣使街道」の旧道は通っていました。
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山頂付近に「大小」の文字(↓)。
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「御野立所趾」という案内板。
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昭和9年(1934)、陸軍大演習が行われた際に昭和天皇が閲覧した場所のようです。
「野立」:大演習などで野外に設けた天皇の休息所。
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(9:59)その先、右に入っていきます。左手の高台には「一本松地蔵」。
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ご案内
1、岡崎山(標高52.7㍍)は、古くから人々と深くかかわり、生活の中心であった時代がありました。
そして昭和の一時期まで森や林は子どもたちの格好の遊び場として守り育てられてきました。
2、山頂からの眺めは里山ならではの格別なものを感じさせます。
東に筑波山、南に遠く富士山や秩父の山々、西に浅間山、北には男体山の雄姿を望むことができます。そして旗川の清流の先には限りなく広がる関東平野が一望でき、岡崎山は昔から景勝の地として多くの人々に親しまれ愛されてきました。
3、足利市では、平成2年この丘陵地に古墳が発見されたことから「岡崎山古墳群」として埋蔵文化財の指定をしております。
散策すると古き時代のロマンさえ感じさせてくれます。
4、岡崎山を昔のような地域の里山林として取り戻すことができないか。地域住民の熱い思いから、平成21年に「とちぎ元気な森県民税」を利用した里山林整備事業がスタートしました。
そして先人たちが育んできた岡崎山が、里山林として生まれ変わろうとしております。
5、私たちは、森や林・景観を守り、人と自然とのふれあいの場所として、この里山林を次の世代に引き継いでいきます。
平成22年4月 岡崎山里山林整備事業管理団体 寺岡町自治会
「旗川」沿いに進む。この道は旧道のようです。
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しばらく道なりに進みますが、先ほどから左手奥に頂上付近に「大小」と記された山が見え、何だか気になります。ちょうど家から出てきた方に尋ねると「大小山という山ですよ。登ったことはありませんが」との返事でした。
大小山
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全長約5キロで、眼下に渡良瀬川の清流が流れ、遠くに関東平野を眺望出来る素晴らしいコースです。
海抜300メートル級の低山コースですが、アップダウンが厳しく、決してあなどれないコースです。
また、コースの急斜面部分にはロープが張ってあったり、洞窟があるなど、子どもにとっても冒険心をくすぐる楽しいコースとなっています。
大小山(だいしょうやま)の山頂の崖には、シンボルと言える『大小』の文字板が掲げられています。この文字板は、大小山麓の阿夫利神社(あぶりじんじゃ)に祭られている『大天狗』『小天狗』にちなみ、江戸末期の安政2年(1855年)、無病息災を祈願する周辺住民の手により掲げられました。
その後、幾度か架け替えられましたが、現在はステンレス製文字板を用いた、一文字7メートル四方、総重量1トン強のものに復元されています。
(この項、「
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(10:08)「県道67号線」に合流します。その左角に道標が二基あります。
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【左】 材質:安山岩、高さ90.0cm 幅36.0cm 奥行38.0cmの四角柱。元文5年(1740)建立。
上面中央に浅いホゾ穴の跡が残っており、造立時には上段に別の造塔物があったと考えられます。
正面に「佐野道」、右側面に「足利道」、左側面に「太田道」、裏面に「元文五年庚申十一月二十四日下野国足利郡寺岡村宿」と刻まれています。
正面と両側面の字は行書で太く書かれています。
この道標は市内に残るもので一番大きく立派なものです。
【右】 材質:安山岩、高さ42.0cm 幅30.5cm 奥行30.5cmの四角柱で下に逆台形。台座:逆台形で上面は方41.5cm、下面は方39cm、高さ8.0cm以上。寛政3年(1791)建立。
正面に「道祖神・日光道・佐野道」、右側面に「善光寺道・太田道・足利道」、左側面に「江戸道・館林道」「寛政三辛亥年 月吉祥日」「願主 山本兵蔵」との文字が楷書で刻まれています。
台座 それぞれ各面に「東」「西」「南」「北」の銘記が陰刻されています。
(以上、「同」HPより)
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