おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

秩父鉄道長瀞駅~秩父駅。その7。秩父橋(三代)。宇賀神。秩父ハープ橋。(「荒川」を遡る。第8日目。)

2021-06-06 20:08:29 | 荒川を遡る

秩父橋(三代目)

秩父地方で最古の歴史を持ち、古くから秩父新道として小鹿野児玉方面への主要な交通路としての役割を果たしてきた橋である。1985年架設の本橋は河口から120.6キロメートルの位置に架かる埼玉県では初の斜張橋である。橋の両側は河岸段丘になっていて右岸側と左岸側の段丘面を直接結んでいる。橋軸は線形を重視するため旧橋とは異なり、河道に対し約45度の斜橋となっている。国道の橋であるが管理者は埼玉県である。国道299号は国道と称しているが直轄国道ではなく補助国道であり、全区間県管理である。

秩父橋が架けられる以前は「簗場の渡し」(「寺尾の渡し」とも呼ばれる。)と呼ばれた船一艘を有する私設の渡船場が旧橋のやや上流側、現在の新橋の真下辺りに存在していた。この渡船場がいつから存在していたかは定かではないが、付近に所在する岩之上堂に1742年寛保2年)の記録が残され、その文書に渡船について記されていることからその頃までには存在していたと考えられる。渡船の運営は岩之上堂が行ない、渡船料は通常は1人3文、増水時は8文から16文であった。児玉方面への経路であると共に秩父札所の19番から20番の経路にもなり、巡礼の渡し場としての渡し場の性格も有していた。冬場の減水期には長さ15間(約27.27メートル)の土橋の仮橋が1818年文政11年)頃より架けられていた。この渡船場は秩父橋の開通により廃止された。

1885年の橋(初代の橋)木鉄混合プラットトラス橋の初代秩父橋。

秩父新道(現在の埼玉県道44号秩父児玉線に相当)は秩父地方から郡外へ通じる初めての道路として1883年明治16年)に着工され、1886年(明治19年)4月に竣工している。秩父橋はその秩父新道の建設の一環として最後に工事が残された区間に架けられたものである。秩父事件で財政的に緊迫する時世であったが、橋は1885年(明治18年)12月に竣工現在は橋脚のみが遺構として川の中に残されている。また、左岸側橋詰に所在する「秩父橋ポケットパーク」に「明治18年12月築造」と記された初代の橋の親柱2本が保存されている。この親柱は1985年の橋の基礎工事際に河床から発見され、発掘されたものである。(「Wikipedia」参照)

橋の手前から下流方向を望む。

すぐ下流にある「旧秩父橋」(二代目)。

                

橋は戦前の1930年(昭和5年)に着工され、翌年竣工した全長134.6メートルのRC上路開腹拱橋の3等橋である。全幅員6.8メートル、有効幅員6.0メートル。径間割は主径間35メートルのコンクリート拱橋で3連あり、側径間10.3メートルのコンクリートT型桁で主径間の両側に1連ずつあり、合計5連である。橋の高さは河床より21メートルあり、橋脚のアーチ起拱部や支柱には優美な装飾が施されている。橋脚の設置位置は旧橋に合わせている。高欄は鋼製であったが、戦時中の金属類回収令により橋灯と共に撤去され、替わりにコンクリート製の高欄に付け替えられた。

3代目の秩父橋に架け替えられられた後は橋としての役目を終えたが、この橋は多くの人々に愛され、秩父地方のシンボルでもあったことから地元の要望により土木資料として保存されることが決まり、埼玉県から秩父市に移管され、秩父市管理の橋となった後は橋灯や高欄が竣工当時の状態に復元され、橋上公園(人道橋)として整備され余生を送っている。1999年(平成11年)3月19日には埼玉県指定有形文化財に初代秩父橋の遺構(橋脚2基と親柱2本)と共に指定された

(「同」参照)

「旧秩父橋」からの「現秩父橋」。

橋から下流を望む。

橋の下に釣り人の姿。

上流。「秩父公園橋(ハープ橋)」が遠くに。

初代の橋の橋脚遺構。

「解説板」。

三代の「秩父橋」の概要が説明されています。二代目の橋は、3連アーチ型で周囲の渓谷とよく調和した美しい橋のようです。

(「」HPより)

「国道299号線」に合流します。

その先、「阿保町」交差点を右折、秩父駅方向に。

旧家らしいおうちが目立ちます。

はしごが横につるされた土蔵。

「宇賀神」。日本で中世以降信仰された神で、 財をもたらす福神として信仰されたようです。かつてこの姓の方に出会ったことがありますが、こういう石仏には初めてお目にかかりました。

やっと右手に荒川に架かる秩父ハープ橋が。

今回は、ここまで。左折して秩父鉄道「秩父駅」に向かいます。

武甲山がしだいに間近に。

秩父駅。

ホームからの武甲山。

長瀞付近では荒川の清流を間近に感じましたが、その後は、蒸し暑い中を県道歩き。けっこうくたびれました。しかし、遠く武甲山を眺めながら、「旧秩父往還」の道筋らしい歴史や文化を感じた歩きでした。

次回は、いよいよ秩父鉄道の終点「三峰口」駅まで。

コメント (1)
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