おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

高崎線「吹上(ふきあげ)駅」~「熊谷駅」。その1。吹上宿・中山道/日光脇街道。榛名橋。洲崎橋。高崎線のガード。(「元荒川」をゆく。第7日目。)

2024-11-15 21:56:40 | 元荒川

「元荒川」を歩いて遡るという計画も今回で最終回。真夏の暑い日に熱中症になりかかって、途中で挫折したこともあり、今回、第7日目となります(実際は、第8日目)。

11月8日(金)晴れ。

「吹上駅」ロータリー。

「吹上本町」・「中山道」の標識。

向こうの通りが「中山道」。

                     

鴻巣宿から熊谷宿までは四里六町(約十六粁)と特に長かったため、立場(茶屋や休憩所・宿屋)ができ、「間の宿」として賑わいました。八王子千人街道とも交わる街道の名所です

吹上宿は中山道六十九次のうち日本橋から数えて7番目の宿場である鴻巣宿と、8番目の熊谷宿との中間地点に位置する「間の宿(あいのじゅく)。

※鴻巣宿と熊谷宿とは約16.4kmと他の宿場に比べると距離が開きすぎていた。

また、吹上村の吹上追分で日光東照宮を警備する武士たちが通る「八王子千人同心街道」(日光脇街道)と交差している関係上、その街道の第10の宿として機能していました。そうした関係で、次第に宿場として発展していきました。

※「八王子千人同心」は慶安5年(1652年)から交代で日光東照宮を警備する日光勤番(日光火の番)が主な仕事になった。

この街道を八王子から佐野まで歩いたときに、ここを通過しました。

「吹上」地名の由来:東京湾から吹いてくる海風と北部の赤城山などから吹き降ろしてくる赤城おろしがぶつかる境界であることから名づけられた、との説があるが、確定的ではない。

※一般的には「風で砂が舞い上がるところ」(海岸や河畔で見られる)を意味するらしい。

前回の最終地点から再開します。

「吹上橋」。

元荒川。

続いて、

 

旧吹上町のマンホール。町の花コスモスのデザイン。

※2005年(平成17年)10月1日鴻巣市と 北足立郡吹上町、北埼玉郡川里町が合併し(新)鴻巣市となった。

「ふるさと総合緑道」案内図。

よく整備された川沿いの遊歩道。桜並木が続く。

「洲崎橋」。

カルガモの群れ。

          

高崎線のガード下を潜り抜けます。頭がぶつかりそうな低さ。

高崎線橋梁。

高崎線の前身は中山道鉄道(日本鉄道が運営)で、明治16年(1883)に上野駅と熊谷駅間が開通している。吹上駅の開業は明治18年(1885)。

くぐり抜けたあと、細道をたどる。

             土手側に、鮮やかな朱色のピラカンサ。            


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