おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR東金駅~成東駅。その2。出桁造りの商家。なまこ壁。土蔵造り。看板建築。田間城址。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

2024-03-10 13:35:39 | 銚子往還

バス停「片貝県道入口」。九十九里浜・片貝に向かう県道。

商家が建ち並ぶ。

             

西北(八街)に向かう県道。

街道の両側に古くて立派な商家造りが続きます。(写真を取りそこねたおうちも多い)

なまこ壁。

「上行寺」山門。

「←東金簡易裁判所」。

立派な土蔵造り。

「村井綿店」。

見事な看板建築。

「田中家具店」。1930年(昭和5年)築。黄金色のモルタル塗り。側面、正面とデザインが見事。

先に進みます。まだまだ古い町家がありそうです。

二軒とも素晴らしい。

       手前が看板建築、奥が出桁造りの商家。

バス停「金半前」。

朱塗りのおうち。

                 軽トラも朱塗り。

一方では洒落たお店も。

                    「SUNNY DAY」。

左手に「田間神社」。

この神社の上が、かつての城址に。

土塁と空堀で区画された主郭と、細長い第二郭が並ぶ直線連郭状の城跡で、現在城山団地となる一帯にも、「山小屋」と呼ばれた腰曲輪が存在していた。そのため、長軸で500メートル、短軸で240メートルが城域と考えられる。南西部は「ガンガン坂」と呼ばれる切り通し道で区切られるが、かつては城域を区切る堀切であった可能性が高い。緩傾斜の北側斜面には、腰曲輪が回り、堀切や削り落しをもつ支尾根が数多く延びている。

 一説には、土気酒井氏が土気から田間城にいったん移り、城地の狭いことから東金城に移ったというが、裏付ける史料はない。むしろ、縄張りから判断すると、一六世紀半ばころの東金酒井氏領域における東端の「境目の城」として機能し、天正18年(1590)東金城の落城とともに廃城となった可能性が高い。

バス停「田間神社」。

コメント
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