3月15日(金)快晴。銚子往還歩きの第3日目。
10時過ぎに、「成東駅」(船橋~千葉~大網~東金~成東)に到着。
「成東駅」は「東金線」の終点と同時に、「総武本線」の駅でもあります。
※総武本線 名称は上総国(かずさのくに)・下総国(しもうさのくに)と武蔵国(むさしのくに)を結ぶことに因む。
1972年(昭和47年)、錦糸町駅から東京駅まで地下トンネル化が完成した後(総武快速線)は、「東京駅~銚子駅」となる。錦糸町駅で分岐して御茶ノ水駅に至る支線(総武緩行線)、小岩駅(新小岩信号場駅)から分岐して金町駅および、越中島貨物駅に至る貨物支線を持つ。
電車内や駅構内の旅客案内上は主に千葉駅から銚子駅の区間がこの名称で呼ばれる。
成東駅前の案内板。
伊藤左千夫の生家などをたどる道(成東駅~東金駅)のようです。
※伊藤左千夫の歌碑が錦糸町駅前(ここで、牧場を営んでいた)にあります。
※「成東」という地名の由来は、成田の東に位置するからではなく(じっさい、成田の南になる)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおり、太平洋の荒波が押し寄せ、鳴濤(なるとう)と名づけたという伝説に由来するようです。
さて、出発です。
今回は、二つ先の「横芝」駅まで。約10キロのノンビリ手抜きコース。とはいえ、途中の「イチゴ街道」でイチゴ狩りでも、という魂胆。土産にもしよう、と。
この道が旧道のようですが線路で分断されるようです。
総武線の踏切を渡ります。
成東駅方向。
下り方向。
「境川」に架かる「往還橋」。
この道が「銚子往還」の道であることの証し?
境川(下流方向)。
上流方向。
「境川」
この川が大和朝廷と蝦夷の地の境であったからだと言われ、日本武尊が命名したとされている。日本書紀卷第七景行天皇四十年十月の条には「爰に日本武尊、即ち上総より転りて、陸奥国に入りたまふ。時に大きなる鏡を王船に懸けて、海路より葦浦に廻る。横に玉浦を渡りて、蝦夷の境に至る。」との記述がありそれがこの地であると言われる。当時の境川は、現在の作田川とは別個の川として玉浦に注いでいたであろうことは想像に難くない。
(この項、「Wikipedia」より)
先に進みます。
街道筋らしい雰囲気の道。
出桁の商家造り。
このおうちも立派な造り。