しばらく進んだ右手に、石碑「飯沼観世音江二里」。あと8キロ。
その先、右手に入る道が旧道です。
田畑が広がります。
遠くには風力発電所。
国道356号線に復帰。
田んぼが広がる。
右に入る道も旧道のようですが、省略し、国道をそのまま進みます。
「高田川」。利根川方向。
上流方向。
バス停「余山(よやま)」。
「余山貝塚」は、利根川に注ぐ高田川東岸の標高約7メートルの浜提上の集落によって形成された長軸約140メートル、短軸約70メートルの広がりを持つ貝塚です。
貝塚は縄文時代後期から晩期を中心にして形成されていますが、弥生、古墳、奈良・平安時代に至る遺構や遺物も出土しており、原始から古代の長期間にわたって継続した遺跡です。
余山貝塚は明治時代中ころから多量の人骨や遺物が出土することで考古学界に知られるようになり、考古学史上著名な貝塚のひとつです。貝塚は、チョウセンハマグリが主体として構成され、そのほかの貝も鹹水(かんすい)産であることから貝塚形成時は太平洋に面していたと考えられています。
出土した遺物は土器のほかに土製耳飾り、大量の貝輪、各種の石器及び骨角器類などがあります。
また、貝塚から出土した土偶一点が重要文化財に指定され、現在は兵庫県西宮市の辰馬考古資料館に所蔵されています。
貝塚には吉野長太郎が昭和8年(1933年)に建立した「コロポッグル喰ひ遺したり四千年」の石碑があります。
(この項、「」HPより)
キャベツ畑。
「Jteウインド奈村第一」。
鮮魚店のようです。
「国道356号」・「高橋食堂」から左に入っていきます。
利根川の土手に近づきます。
「四日市場町青年館 入口」。
総武本線「旭駅」から歩いてきた「銚子街道」との合流点(追分)にいよいよ近づいてきました。
「銚子往還」が右からきます。
内房線「大網駅」から6日間かけ、ここにたどり着いたのは、2ヶ月前。
「銚子往還」。東房総台地を越えてここまで来たわけです。
この付近の今昔。
(現在)〇が追分。 (1880年代)集落内。
飯岡灯台から歩いてきた、もう一つの銚子往還との出会いが、この先の銚子駅付近であります。