「武蔵水路」。
「川面(かわづら)水門」。
【川面水門の役割】
川面水門は、大雨で元荒川の水位が上がったときに、元荒川の増水の一部を武蔵水路に流すことにより、元荒川流域の浸水被害の軽減を図ります。
【水門操作】
集中豪雨によりかせんのぞうすいや市街地の冠水が想定されるとき、釜づら水門から武蔵水路に取り込む操作を行います。
「武蔵水路」は元荒川を「伏越(ふせごし)」(逆サイホンの原理)で交差します。その真上に立って、
利根川方向を眺める。
荒川方向。
「元荒川」下流方向。
元荒川に架かる「元荒川橋」を渡り、左折します。
右に武蔵水路。利根川側。
元荒川橋のすぐ上流で、「忍川(おしかわ)」が合流します。※「Googleマップ」では「新忍川」と表示されている。
右の水路が「忍川」。
埼玉県北部を流れる利根川水系中川支流である元荒川の支流に当たる一級河川
国道17号の手前の平戸橋からが一級河川忍川の区間となり、橋の袂にはそれを示す標石がある。熊谷市戸出の不動堂堰で荒川左岸幹線導水路が右岸に分かれ忍川単独区間になる。行田市市街地の西までほぼ真東に流れる。行田市市街地を巻くように大きくカーブし、秩父鉄道・埼玉県道128号を潜って東南へ転じる。行田市市街地を抜けるとほぼ真南へ流れ、すぐ東側を武蔵水路が並行する。武蔵水路と最も近接する野合橋下流左岸に佐間水門があり、増水時には忍川の一部が武蔵水路に放流される。鴻巣市に入り、武蔵水路が元荒川を伏せ越す地点のすぐ上流で、元荒川左岸に合流する。
※「忍(おし)」と名付けられた城に「忍城」がある。行田市内を流れる「忍川」の近くにあったお城。
埼玉県行田市(武蔵国埼玉郡忍)にあった日本の城。埼玉県指定旧跡。
室町時代中期の文明年間に成田氏によって築城されたと伝えられており、北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした構造となっている。数度の城攻めを受けて、一度も落城しなかった要害堅固な城として知られる。戦国時代には関東七名城の一つ、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称された。
少し迂回し、忍川に架かる橋を渡り、元荒川に出ます。
「新屋敷橋」。
元荒川との合流方向。
住宅地を通り、元荒川に架かる「川面橋」へ。下流方向。
この先、左岸の土手を歩くことにします。が、途中から大変なことに。
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