彼岸花。(幸手「権現堂堤 」にて)
すすき。(「向島百花園」にて)
夏日が続く東京地方。やっと涼しくなる気配。でも、最近。秋雨前線の影響か、時ならぬ豪雨がところ選ばず襲ってくる。
今朝のお天気。 日差しはあるが、けっこう涼しく感じる。
さて、昨日は、二十四節気の第16番目「秋分」。「春分」と同じように、太陽が真東から昇り真西に沈む、昼と夜の長さが同じになる日。
※じっさいには、昼の方が少し長い。
「秋分の日」をはさんで前後7日間、仏教寺院では、「秋季彼岸会」が行われます。
※「彼岸」とは、サンスクリット語の「パーラミータ」(波羅蜜多)の訳語。「至彼岸(彼の岸に至る)」また「度(渡る)」と音訳します。
仏教では、私たちが生活しているこの世界を穢土(えど)、または娑婆世界と言い、穢れた苦しみの世界であると説いています。そして、この娑婆世界を此岸(しがん=こちら側の岸)に、煩悩・業・苦の三道という苦しみを大河の流れに、涅槃(ねはん=成仏の境界)を彼岸(向こう岸)に、それぞれ譬えるのです。
「彼岸会」はわが国の仏教一般に広くおこなわれている行事の1つで、古くは聖徳太子の頃からおこなわれていたようです。その内容は時代によって移り変りがありましたが、現在では世間一般に先祖の供養をすることが主になっており、お寺へ参詣して塔婆供養をしたり、お墓参りをする事が通例となっています。
※「秋分の日」は、1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」(昭和23年法律第178号)によって制定された。同法第2条では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことを趣旨としている。(「Wikipedia」より)
※「暑さ寒さも彼岸まで」。これからしだいに秋が深まっていく(はず)。
「白露」 →「秋分」 →「寒露」
※「秋の日はつるべ落とし」
秋の日は、井戸のつるべ(釣瓶)が落ちるように早く沈み、暮れてしまうことのたとえ。秋になると、日没の時刻が早まるだけでなく、その後の薄明の時間も短くなり、日が沈んで間もなく真っ暗になる。
※つるべ(釣瓶)は、井戸で水を汲み上げるために使われる道具で、桶を縄の先にとりつけたものを滑車に掛けて使用する。
(渋川・白井宿にて)
「七十二侯」でいうと、
・初侯 9月22日〜9月27日頃
雷乃収声 かみなりすなわちこえをおさむ
夏の間に鳴り響いた雷が収まる頃。空にはもこもことした鱗雲があらわれます。残暑も落ち着き、秋の気候へと変わっていきます。
(荒川・四つ木橋にて)
・次侯 9月28日〜10月2日頃
蟄虫坏戸 むしかくれてとをふさぐ
外で活動していた虫たちが冬ごもりの支度をはじめる頃。虫たちは秋冬が終わるのを、約半年間も土の中で静かに待ちます。そして、啓蟄の頃に再び姿を現します。
水始涸 みずはじめてかるる
田の水を落として、稲穂の刈り入れを始める頃。
刈り入れが終わった田んぼ。(幸手にて)
(この項、「暦生活」HP参照)
秋分の日には仏壇におはぎをお供えします。春は牡丹が咲くので「牡丹餅(ぼたもち)」、秋には萩が咲くため「御萩(おはぎ)」と呼ばれています。
はぎ。(「向島百花園」にて)
おはぎ。
春に食べられるぼたもちは基本的にこしあんで、秋に食べるおはぎは粒あんで作られます。これは小豆の収穫時期の違いが理由。
小豆は秋頃に収穫されるため、おはぎは収穫してすぐの小豆を使って作られます。収穫したての小豆は香りもよく、皮も柔らかいので、粒をいかして粒あんで食べるのです。
「半殺し」とは東北地方や長野県、静岡県、四国地方などの方言で、比較的山間部で使われていることが多いようです。小豆をこしあんにすることを皆殺し、粒あん(粒が残っている状態)にすることを半殺しと表現します。いずれもお米や豆をすりつぶした状態をさした言葉として流布しています。
(この項、「」HP参照)
次は、10月8日(火)「寒露」。だんだんと秋も深まってきます(くるはず)。