おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

古隅田川跡をたどる④(東京拘置所裏)

2012-07-08 12:25:23 | 河川痕跡
 古隅田川の流路。現在、水戸橋付近で終わっている水路も、かつては(昭和30年代までは)荒川河川敷付近に荒川放水路に取り残されたように三日月型に残っていましたが、それもまったくなくなりました。
 ここから先(西側)は、現在の綾瀬川、荒川の流れにさまたげられ、流れの痕跡は確かでありません。現在の隅田川に鐘淵付近で合流していた旧綾瀬川と合わさっていたようですが(荒川と隅田川の間にある水路が旧綾瀬川の痕跡。ちなみに墨堤通りに架かる橋が「綾瀬橋」)。
 他にもまだ残されています。その一つが東京拘置所の北側の水路。また、「京成関屋」駅・東武牛田駅付近北側に道路として・・・。
 今回は、東京拘置所(地元的には「小菅刑務所」)北側の水路。ただし、明治13年頃の地図では綾瀬川の流れの一部で、本来の古隅田川の流れとは異なるようです。途中から五反野親水公園が接続しています。
 かつては、平和橋通り~JR綾瀬駅南~伊藤谷橋~東武五反野駅までよく自転車で通りました。それから25年以上。久々に訪れ、その変わりように驚きました。
中央奥に見えるのは、常磐線。水路にせりだして遊歩道ができています。かつては、ただの濁った堀割のようでした。その後、水質改善事業が行われ、魚を放流したり、亀などを生息させたりと努力したようです。ずいぶんときれいな水になりました。そのせいでしょうか、「釣り禁止」の立て札がやけに目立つのが気になりました。
右手が拘置所側にある官舎。かつては、刑務所を囲む堀のように思っていましたが。世間とは隔絶した世界。以前は、刑務所の外側に高い壁が二重に設置されていた記憶が。拘置所も近代的な建物に変わってそれもなくなったのでしょうか。ここには、例のアサハラ(松本)が収容されています。
西のはじ。
ここから水が流れ出ている。本来は逆で、ここから北千住方向に流れていたはず。現在は、綾瀬川の方に向かって流れています。
ここから「五反野親水公園」北西に向かっていきます。
せせらぎ公園風。以前はただのどぶ川でした。
新しい伊藤谷橋から下流(水戸橋方向)を望む。以前は何の変哲もない橋でしたが、ずいぶんと立派になりました。

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