古い家屋。屋上のコンクリート製の手すり。
奥の突き当たりが「龍閑児童公園」。この辺は、問屋街。
西側を振り返る。左が中央区、右が千代田区。
日本家屋風のトイレ。ここには、「千代田区」と表示が。
石橋のモニュメント付近が西からの流れが直角に南に折れるところ。このあたりは、「中央区」の立て看板。
1880年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。この時期には、上流部分は堀割になっていない。また、「龍閑川」もなくなっている。1883(明治16)年、再掘削の直前の地図だろう。赤丸が合流点。
堀割跡の道路(都有地)から北を望む。中央線が両区の区界になっている(左が中央区、右が千代田区)。この辺で、区界は広い道路を北東に向かう。
左が千代田区(北側)、右が中央区(南側)。
ビル街。
古びた街並み。「エトワール海渡」関連のビルが区界を越えてあちこちに。
古い趣の店構え。
「靖国通り」に出て、JR浅草橋駅西口へ。
神田川に架かる左右衛門橋。ここが台東区と千代田区の区界。左が千代田区、右が台東区。
神田川。左衛門橋から東を望む。右岸が中央区、左岸が台東区。
橋のたもとにある「旧町名由来案内」。「浅草上右衛門町」と「浅草左衞門町」。左衛門町は、明治25年成立。
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