熱血?暴力? バスケ部顧問、割れる評価(朝日新聞) - goo ニュース
そうとうの強豪チームだったバスケ。学校の知名度もその大活躍によって上がる。そのために、鉄拳制裁を含む情熱的な「熱血」指導(者)を学校側も受け入れてきた。多くの保護者もそうではなかったか。インターハイを目指し、レギュラー・出場メンバーに入るために我が子を鍛える「熱い」指導を望む。そうでもしないと、選手の座は勝ち取れない、と。
今回の生徒に対して、「敗残者」くらいの認識の保護者もいるのではないか。かえって不名誉なことをしてくれた、と。たぶん、自殺した生徒、即、「負け犬」というような感覚(おそろしく退廃した感性だが)。一人、競争相手がいなくなった程度の認識だとすれば、かなりおぞましい。
でも、こうして公に出なければ、それで済んでいたはず。有名高校にスポーツ推薦で入学してきた子が怪我や能力で落ちこぼれていく(時には人生そのものにも)悲惨な現実を見聞きした者にとっては、何とも言いようがないが・・・。
中学・高校の部活動。野球、バスケ、バレーなどの運動系はもちろん、吹奏楽や演劇、美術など、顧問の力量、熱意、指導力によって俄然伸びてくる。それは中学校などでは顕著。親も子も、学校選択制の導入などによって裏付けられ、そうした「熱血」指導を求めてその中学校に入学してくる。高校ではそうもいかないが、東京の区立中学。熱心で戦績が上位の部活顧問の先生が転勤すると、一緒に新しい学校に転校する生徒もいるらしい。一方で、そういう「熱い」顧問が異動していなくなると、とたんに成績が落ちる学校も多くある。
そうしたスポーツ・エリート(?)が集まってくる名門高校であろう、今回の高校。府立高に比較しての「市立」ゆえの悩みも焦りも多いはず。人材発掘、指導力のある教師(顧問)は限られている。学校も生徒が活躍するのはタイヘン名誉なこと。教師はなかなか異動しない(むしろ、学校や保護者がさせない)。
その背景には、特色ある学校づくり「政策」によって、部活強化のための予算もつけ、学校の評価も高くなる、ということもありはしないだろうか。ジャンルも範囲も異なるが、受験指導。都立高校では、難関大学進学者数を競わせる政策が導入され、成果に応じての優遇策を取り入れている。また、国体などに出場する選手養成のため、学校を指名しての予算や人を振り向けている施策も実施中。
「いじめ」「体罰」による「自殺」。痛ましい事件が起こるたびに、当事者と学校を非難する風潮が多い。それは当然のことだが、部活動などの学校を取り巻く環境・状況の深刻さを抜きにしたマスコミの取り上げ方にも目を向けないと、橋下さんの目論む「教育委員会」憎し・不要論に与することになって、かえって橋下さん自身が煽っている「競争による学校づくり策」への「ちょっと待ってください」がうやむやになってしまいそうだ。
今回、朝日新聞があえて「割れる評価」と表現したのは、甲子園に燃える「熱血」「高校野球」の指導へのあり方に飛び火するのを警戒したためなのだろうか(「うがった見方」)。
それにしても、真の指導者(という言葉があるかどうか分からないが)たるもの、せめて、この生徒がリーダー・主将に適しているか、この子を叱ったら(まして体罰を加えたら)どうなるか、この子の才能を引き出すにはどういう指導がふさわしいか、伸びるかを見極める、人間育成のプロでなければ、と思う(「千里を走る名馬はいても、その才能を引き出すことのできる伯楽はいない」という中国の故事をつい思い浮かべる)。
「いい」大人が感情(誤った信念・はき違えた情熱のもと)のおもむくままに、年端もいかない(抵抗できない)青少年を相手に、暴力を振るって支配しよう(恫喝によって)という「えせ」指導者根性そのものが、卑しい(最近、アベさんの出身大学では、年老いた部活のOB指導者に対して、指導を受けていた学生が暴力を振るって死なせるなんていうこともあったが)。
それを持ち挙げている(きた)学校も、保護者も、OBも、同罪。市教委も。そして、鬼の首でも取ったように責め立てる大阪市長も。
そうとうの強豪チームだったバスケ。学校の知名度もその大活躍によって上がる。そのために、鉄拳制裁を含む情熱的な「熱血」指導(者)を学校側も受け入れてきた。多くの保護者もそうではなかったか。インターハイを目指し、レギュラー・出場メンバーに入るために我が子を鍛える「熱い」指導を望む。そうでもしないと、選手の座は勝ち取れない、と。
今回の生徒に対して、「敗残者」くらいの認識の保護者もいるのではないか。かえって不名誉なことをしてくれた、と。たぶん、自殺した生徒、即、「負け犬」というような感覚(おそろしく退廃した感性だが)。一人、競争相手がいなくなった程度の認識だとすれば、かなりおぞましい。
でも、こうして公に出なければ、それで済んでいたはず。有名高校にスポーツ推薦で入学してきた子が怪我や能力で落ちこぼれていく(時には人生そのものにも)悲惨な現実を見聞きした者にとっては、何とも言いようがないが・・・。
中学・高校の部活動。野球、バスケ、バレーなどの運動系はもちろん、吹奏楽や演劇、美術など、顧問の力量、熱意、指導力によって俄然伸びてくる。それは中学校などでは顕著。親も子も、学校選択制の導入などによって裏付けられ、そうした「熱血」指導を求めてその中学校に入学してくる。高校ではそうもいかないが、東京の区立中学。熱心で戦績が上位の部活顧問の先生が転勤すると、一緒に新しい学校に転校する生徒もいるらしい。一方で、そういう「熱い」顧問が異動していなくなると、とたんに成績が落ちる学校も多くある。
そうしたスポーツ・エリート(?)が集まってくる名門高校であろう、今回の高校。府立高に比較しての「市立」ゆえの悩みも焦りも多いはず。人材発掘、指導力のある教師(顧問)は限られている。学校も生徒が活躍するのはタイヘン名誉なこと。教師はなかなか異動しない(むしろ、学校や保護者がさせない)。
その背景には、特色ある学校づくり「政策」によって、部活強化のための予算もつけ、学校の評価も高くなる、ということもありはしないだろうか。ジャンルも範囲も異なるが、受験指導。都立高校では、難関大学進学者数を競わせる政策が導入され、成果に応じての優遇策を取り入れている。また、国体などに出場する選手養成のため、学校を指名しての予算や人を振り向けている施策も実施中。
「いじめ」「体罰」による「自殺」。痛ましい事件が起こるたびに、当事者と学校を非難する風潮が多い。それは当然のことだが、部活動などの学校を取り巻く環境・状況の深刻さを抜きにしたマスコミの取り上げ方にも目を向けないと、橋下さんの目論む「教育委員会」憎し・不要論に与することになって、かえって橋下さん自身が煽っている「競争による学校づくり策」への「ちょっと待ってください」がうやむやになってしまいそうだ。
今回、朝日新聞があえて「割れる評価」と表現したのは、甲子園に燃える「熱血」「高校野球」の指導へのあり方に飛び火するのを警戒したためなのだろうか(「うがった見方」)。
それにしても、真の指導者(という言葉があるかどうか分からないが)たるもの、せめて、この生徒がリーダー・主将に適しているか、この子を叱ったら(まして体罰を加えたら)どうなるか、この子の才能を引き出すにはどういう指導がふさわしいか、伸びるかを見極める、人間育成のプロでなければ、と思う(「千里を走る名馬はいても、その才能を引き出すことのできる伯楽はいない」という中国の故事をつい思い浮かべる)。
「いい」大人が感情(誤った信念・はき違えた情熱のもと)のおもむくままに、年端もいかない(抵抗できない)青少年を相手に、暴力を振るって支配しよう(恫喝によって)という「えせ」指導者根性そのものが、卑しい(最近、アベさんの出身大学では、年老いた部活のOB指導者に対して、指導を受けていた学生が暴力を振るって死なせるなんていうこともあったが)。
それを持ち挙げている(きた)学校も、保護者も、OBも、同罪。市教委も。そして、鬼の首でも取ったように責め立てる大阪市長も。
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