小沢さんにちなんで、もう少し。むろん政治家小沢にとって身を退くということばはないようです。政治家としての人生を全うせんがための、今の生き様。
しかし、陶淵明の「帰去来の辞」。小沢さんにとって本当はこれが一番ふさわしい、と思う。ぼろぼろになる前に、と。
陶淵明41歳の作。
帰去来辞 陶淵明
歸去來兮 歸去來兮(かへりなん いざ)
田園將蕪胡不歸 田園 將に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
既自以心爲形役 既に自ら心を以て形の役と爲す
奚惆悵而獨悲 奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
悟已往之不諫 已往の諫めざるを悟り
知來者之可追 來者の追ふ可きを知る
實迷途其未遠 實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
覺今是而昨非 今は是にして 昨は非なるを覺る
舟遙遙以輕 舟は遙遙として 以て輕く
風飄飄而吹衣 風は飄飄として 衣を吹く
問征夫以前路 征夫に問ふに 前路を以ってし
恨晨光之熹微 晨光の熹微なるを恨む
乃瞻衡宇 乃ち 衡宇を瞻(あふぎ)み
載欣載奔 載ち欣び 載ち奔る
僮僕歡迎 僮僕 歡び迎へ
稚子候門 稚子 門に候(ま)つ
三逕就荒 三逕は荒に就(つ)けども
松菊猶存 松菊は猶ほ存す
攜幼入室 幼を攜へ 室に入れば
有酒盈樽 酒有り 樽に盈つ
引壺觴以自酌 壺觴を引きて 以て自ら酌し
眄庭柯以怡顏 庭柯を眄(なが)めて 以て顏を怡(よろこば)す
倚南窗以寄傲 南窗に倚りて 以て傲を寄せ
審容膝之易安 膝を容るるの安んじ易きを審らかにす
園日渉以成趣 園は日に渉って 以て趣を成し
門雖設而常關 門は設くと雖も 常に關(とざ)す
策扶老以流憩 策(つゑつ)き労を扶け 以て流憩し
時矯首而游觀 時に首を矯げて 游觀す
雲無心以出岫 雲 無心にして 以て岫を出で
鳥倦飛而知還 鳥 飛ぶに倦みて 還るを知る
景翳翳以將入 景 翳翳として 以て將に入らんとし
撫孤松而盤桓 孤松を撫でて 盤桓す
歸去來兮 歸去來兮(かへりなんいざ)
請息交以絶遊 交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
世與我以相遺 世と我と 以て相ひ遺(わす)れ
復駕言兮焉求 復た言(ここ)に駕して 焉(いづく)にか求めん
親戚之情話 親戚の情話をび
樂琴書以消憂 琴書を樂しみ 以て憂ひを消す
農人告余以春及 農人 余に告ぐるに春の及べるを以てす
將有事於西疇 將に西疇に於いて 事有らんとす
或命巾車 或は巾車に命じ
或棹孤舟 或は孤舟に棹さす
既窈窕以尋壑 既に窈窕として 以て壑(たに)を尋ね
亦崎嶇而經丘 亦た崎嶇として 丘を經(ふ)
木欣欣以向榮 木は欣欣として 以て榮に向かひ
泉涓涓而始流 泉は涓涓として 始めて流る
羨萬物之得時 萬物の 時を得たるを羨み
感吾生之行休 吾が生の 行くゆく休するを感ず
已矣乎 已矣乎(やんぬるかな)
寓形宇内復幾時 形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
曷不委心任去留 曷ぞ心を委ねて去留を任ぜざる
胡爲遑遑欲何之 胡爲れぞ遑遑として 何にか之かんと欲す
富貴非吾願 富貴は吾が願ひに非ず
帝不可期 帝は期す可からず
懷良辰以孤往 良辰を懷ひて 以て孤り往き,
或植杖而耘子 或は杖を植(た)てて耘子す
登東皋以舒嘯 東皋に登り 以て舒(おもむろ)に嘯き
臨流而賦詩 流に臨みて 詩を賦す
聊乘化以歸盡 聊(ねが)はくは化に乘じて 以て盡くるに歸し
樂夫天命復奚疑 夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん
東日本大震災、さらに福島第一原発事故で人間も自然も地域も荒廃しきってしまった東北。復興の道もまだまだ険しい。その故郷へ。もちろん陶淵明のように「田園生活」「田園詩人」になることはありえないが、毀誉褒貶激しい政界を退き、引退生活を送るのもまたよしではないか、と。
田園將蕪胡不歸 田園 將に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
・・・
感吾生之行休 吾が生の 行くゆく休するを感ず
樂夫天命復奚疑 夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん
その立ち戻るところもなくなっていたとしたら、・・・。
しかし、陶淵明の「帰去来の辞」。小沢さんにとって本当はこれが一番ふさわしい、と思う。ぼろぼろになる前に、と。
陶淵明41歳の作。
帰去来辞 陶淵明
歸去來兮 歸去來兮(かへりなん いざ)
田園將蕪胡不歸 田園 將に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
既自以心爲形役 既に自ら心を以て形の役と爲す
奚惆悵而獨悲 奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
悟已往之不諫 已往の諫めざるを悟り
知來者之可追 來者の追ふ可きを知る
實迷途其未遠 實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
覺今是而昨非 今は是にして 昨は非なるを覺る
舟遙遙以輕 舟は遙遙として 以て輕く
風飄飄而吹衣 風は飄飄として 衣を吹く
問征夫以前路 征夫に問ふに 前路を以ってし
恨晨光之熹微 晨光の熹微なるを恨む
乃瞻衡宇 乃ち 衡宇を瞻(あふぎ)み
載欣載奔 載ち欣び 載ち奔る
僮僕歡迎 僮僕 歡び迎へ
稚子候門 稚子 門に候(ま)つ
三逕就荒 三逕は荒に就(つ)けども
松菊猶存 松菊は猶ほ存す
攜幼入室 幼を攜へ 室に入れば
有酒盈樽 酒有り 樽に盈つ
引壺觴以自酌 壺觴を引きて 以て自ら酌し
眄庭柯以怡顏 庭柯を眄(なが)めて 以て顏を怡(よろこば)す
倚南窗以寄傲 南窗に倚りて 以て傲を寄せ
審容膝之易安 膝を容るるの安んじ易きを審らかにす
園日渉以成趣 園は日に渉って 以て趣を成し
門雖設而常關 門は設くと雖も 常に關(とざ)す
策扶老以流憩 策(つゑつ)き労を扶け 以て流憩し
時矯首而游觀 時に首を矯げて 游觀す
雲無心以出岫 雲 無心にして 以て岫を出で
鳥倦飛而知還 鳥 飛ぶに倦みて 還るを知る
景翳翳以將入 景 翳翳として 以て將に入らんとし
撫孤松而盤桓 孤松を撫でて 盤桓す
歸去來兮 歸去來兮(かへりなんいざ)
請息交以絶遊 交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
世與我以相遺 世と我と 以て相ひ遺(わす)れ
復駕言兮焉求 復た言(ここ)に駕して 焉(いづく)にか求めん
親戚之情話 親戚の情話をび
樂琴書以消憂 琴書を樂しみ 以て憂ひを消す
農人告余以春及 農人 余に告ぐるに春の及べるを以てす
將有事於西疇 將に西疇に於いて 事有らんとす
或命巾車 或は巾車に命じ
或棹孤舟 或は孤舟に棹さす
既窈窕以尋壑 既に窈窕として 以て壑(たに)を尋ね
亦崎嶇而經丘 亦た崎嶇として 丘を經(ふ)
木欣欣以向榮 木は欣欣として 以て榮に向かひ
泉涓涓而始流 泉は涓涓として 始めて流る
羨萬物之得時 萬物の 時を得たるを羨み
感吾生之行休 吾が生の 行くゆく休するを感ず
已矣乎 已矣乎(やんぬるかな)
寓形宇内復幾時 形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
曷不委心任去留 曷ぞ心を委ねて去留を任ぜざる
胡爲遑遑欲何之 胡爲れぞ遑遑として 何にか之かんと欲す
富貴非吾願 富貴は吾が願ひに非ず
帝不可期 帝は期す可からず
懷良辰以孤往 良辰を懷ひて 以て孤り往き,
或植杖而耘子 或は杖を植(た)てて耘子す
登東皋以舒嘯 東皋に登り 以て舒(おもむろ)に嘯き
臨流而賦詩 流に臨みて 詩を賦す
聊乘化以歸盡 聊(ねが)はくは化に乘じて 以て盡くるに歸し
樂夫天命復奚疑 夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん
東日本大震災、さらに福島第一原発事故で人間も自然も地域も荒廃しきってしまった東北。復興の道もまだまだ険しい。その故郷へ。もちろん陶淵明のように「田園生活」「田園詩人」になることはありえないが、毀誉褒貶激しい政界を退き、引退生活を送るのもまたよしではないか、と。
田園將蕪胡不歸 田園 將に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
・・・
感吾生之行休 吾が生の 行くゆく休するを感ず
樂夫天命復奚疑 夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん
その立ち戻るところもなくなっていたとしたら、・・・。
東京教育大学の臺灣人の漢文教師が東晉時代の発音で白文を読んで、音律の美しさにも感嘆したものです‼️
古典乙IIの教科書は諳誦したくなる文章ばかりで、漢文の授業がとても楽しみでした🎶 白居易の長恨歌だけは難しくて諳んじることが叶いませんでしたが、歸去來辭は全部覚えてます。
現代国語は苦手でしたが、古文と漢文は楽しかったですね。
中には漢文などという中国のものは扱うな! と声高に叫ぶ方もいる昨今、日本人が中古の昔から培ってきた漢文の素養がなくなる時代に。
寺子屋でも子どもたちが漢文の素読をやっていたんですがね。