四ツ木のイトーヨーカ堂に買い物と、曳舟川親水公園を水戸街道の方へ。広い道路をはさんで曳舟川は続きます。水戸街道の手前にある橋が「平川橋」。赤さびた雰囲気が時代を感じさせます。正面、向かい側にも古い橋の遺構が残っています。
かつての曳舟川はかなり幅広かった(二つの流れが並行してあった)ことが分かります。
「玉川橋」。ヨーカ堂の駐輪スペースのはずれに古びた橋がありました。気がつかなかった! ここはかつての水路跡。
葛飾区内には農業用水が縦横に走っていました。いつしか田畑がなくなり、宅地化され家が建ち並び、その路地裏をどぶ川のような流れになってもまだあちこちに残っていました。下水道の整備によって、そうした用水路は緑道として残ったり、道路に変わってしまいました。こんなショッピングセンターの脇にもこうして存在感がある「橋」。
そこで、ついついその跡をたどってしまいました。もともとは、立石地区の田畑を潤していた用水路の一つ。流れていく方向から見ると、下流は、曳舟川に合流していたようです。
ヨーカ堂の北側。左(東)から右(西)へと流れはあったようです。奥の森は、「四ツ木白髭神社」。この社は昔と変わらずにそのままの位置にあるようで、承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村したとき、鎮守として勧請した神社であると伝えられています。
曳舟川方向。水戸街道にぶつかります。
水戸街道の歩道とのところにコンクリート壁が。用水路との関連は不明ですが、こんなごついものがどうしてここにだけに。
水戸街道を越え、そのほぼ直線の先にある歩道。正面が曳舟川(親水公園)。合流点?
再びヨーカ堂に戻って駐輪場の脇。玉川橋東側の水路部分。
平和橋通りを越えると、葛飾警察署のすぐ裏手に一直線の緑道がかなり遠くまで続きます。「玉川橋」からのライン上(少し屈折していますが)。家々の裏手を通る道の両側は緑が連なっています。業者が剪定作業が行っていました。管理の行き届いた遊歩道。
十字路。こちらの道もかつての用水路跡のようです。
左右どちらも緑道。もともとは区の管理下の用水路? そのために整備がよくできているのでしょう。道の左奥にはシュロの木。
びわの木。実が色づく雰囲気。かつて、区内では、シュロの木やびわの木が目につきました。もうほとんど見当たらないのは残念です。
キョウチクトウ。この木も庭木としてありましたが、今はあまり見なくなった感じです。イチジクの木などもよく見かけましたが、今は全くないようです。
紫陽花。この花は、以前よりも増えてきているような印象。
ここで、終点。来た道を振り返る。こんな細くても一直線の道が残されていたのですね。道路に突き当たってこの先は不明でした。
戦前のようす。碁盤の目のような道の周囲はほとんど田んぼでした。―が用水路。○が神社。
戦後間もなくの頃のようす。次第に宅地が増えてきています。―が用水路。○が神社。
かつての曳舟川はかなり幅広かった(二つの流れが並行してあった)ことが分かります。
「玉川橋」。ヨーカ堂の駐輪スペースのはずれに古びた橋がありました。気がつかなかった! ここはかつての水路跡。
葛飾区内には農業用水が縦横に走っていました。いつしか田畑がなくなり、宅地化され家が建ち並び、その路地裏をどぶ川のような流れになってもまだあちこちに残っていました。下水道の整備によって、そうした用水路は緑道として残ったり、道路に変わってしまいました。こんなショッピングセンターの脇にもこうして存在感がある「橋」。
そこで、ついついその跡をたどってしまいました。もともとは、立石地区の田畑を潤していた用水路の一つ。流れていく方向から見ると、下流は、曳舟川に合流していたようです。
ヨーカ堂の北側。左(東)から右(西)へと流れはあったようです。奥の森は、「四ツ木白髭神社」。この社は昔と変わらずにそのままの位置にあるようで、承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村したとき、鎮守として勧請した神社であると伝えられています。
曳舟川方向。水戸街道にぶつかります。
水戸街道の歩道とのところにコンクリート壁が。用水路との関連は不明ですが、こんなごついものがどうしてここにだけに。
水戸街道を越え、そのほぼ直線の先にある歩道。正面が曳舟川(親水公園)。合流点?
再びヨーカ堂に戻って駐輪場の脇。玉川橋東側の水路部分。
平和橋通りを越えると、葛飾警察署のすぐ裏手に一直線の緑道がかなり遠くまで続きます。「玉川橋」からのライン上(少し屈折していますが)。家々の裏手を通る道の両側は緑が連なっています。業者が剪定作業が行っていました。管理の行き届いた遊歩道。
十字路。こちらの道もかつての用水路跡のようです。
左右どちらも緑道。もともとは区の管理下の用水路? そのために整備がよくできているのでしょう。道の左奥にはシュロの木。
びわの木。実が色づく雰囲気。かつて、区内では、シュロの木やびわの木が目につきました。もうほとんど見当たらないのは残念です。
キョウチクトウ。この木も庭木としてありましたが、今はあまり見なくなった感じです。イチジクの木などもよく見かけましたが、今は全くないようです。
紫陽花。この花は、以前よりも増えてきているような印象。
ここで、終点。来た道を振り返る。こんな細くても一直線の道が残されていたのですね。道路に突き当たってこの先は不明でした。
戦前のようす。碁盤の目のような道の周囲はほとんど田んぼでした。―が用水路。○が神社。
戦後間もなくの頃のようす。次第に宅地が増えてきています。―が用水路。○が神社。
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