おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

サクラもやっと満開。

2012-04-05 17:48:21 | つぶやき
 春の嵐どころか、季節外れの台風の猛攻といった感じ。日本列島をなぎ倒し、東京でも夕方から夜、大荒れ。帰宅困難者も多くいた。早々と帰宅指示が出た会社、職場もあったようでしたが。3・11の教訓がどこまでいかされたか。
 そして、うって変わって、昨日、今日と春らしいうららかなお日和。激しい風雨に、咲き始めたサクラの花も散ってしまったかと思いきや、元気に咲き誇っています。近所の公団でも遅ればせながら、夜桜見物用のライトアップの準備が進んでいます。
 「願はくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」と詠んだ西行法師。その願い通りになったらしい。
 旧暦では、睦月(1月)から弥生(3月)が春の季節。如月(2月)はその真ん中の月。サクラ(当時はヤマザクラでしょうが)もちょうどいい時期。西行さんは、たしか2月の満月・15日か、翌十六夜・16日だったかに亡くなった、と(うろ覚え)。たいしたものです。奈良・吉野山(千本桜)には、奥まったところに「西行庵」があります。吉野山は、サクラの季節にぜひ行ってみたい場所です(東京から行くとなると、大変でしょうが)。
 ところで、今日は、旧暦の3月15日。都会の、満月の下での夜桜見物もまたそれはそれで乙なものです。
シダレザクラも開花。紅色の花がすてきです。
違う種類のサクラ。
根元にも咲いています。
根っこの生えた細い枝にも花。ソメイヨシノには、生命力があるのでしょうか。
タンポポも咲き始めました。
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読書「平和のリアリズム」(藤原帰一)岩波現代文庫

2012-04-04 22:36:13 | 読書無限
 国際政治学者としてマスコミでも大活躍の方。発言もまさに表題のごとく、現実の国際政治をリアルにとらえている。この書は、2004年に刊行されたものを2010年に「岩波現代文庫」に再録されるのを機会に、全面的に再編集された。
 国際、国内の時事問題を論評するという行為は、その時点ではインパクトがあっても、その後は情勢の大きく急激な変化とともに、発言の持続性は失われてしまいがち。時代を瞬時に切り取りながらも、その発言の根本、狙い、提言において、今もなお広く読者の関心を呼び、また究極には現実の政治や経済の行く末に現実的な働きかけを持ちうるのは、大変難しいことだ。その点で、この書は再編集されたとはいえ、現実の国際政治のダイナミックな変化に呼応しつつ、今もなお新鮮であることに驚く。
 振り返って、ここ20年間の国際社会の変化は、冷戦の終焉から9・11事件、イラク戦争を経て、一方では、EU、ロシア、中国等の台頭による国際経済の新たな動向、ギリシャの破綻、北朝鮮核開発問題等、これまでの既成の枠組みを超えて、ますます混沌としてきている。
 日本の国内においても、バブル経済、その崩壊、その後の、今もなお続く経済低迷、政治の混迷・・・。
 日本も世界も、同じような多くの問題を抱えながら、日本として、国際社会への積極的なアプローチ(とりわけ平和問題に関する)もできず、政治も経済も解決の方向が見いだせないまま、昨年、3・11を迎えてしまった。その後の展開はご承知の通りの有様。民主党政権によっても、展望は開かれず、ますます惨憺たる状況になっている。自民党もしかり。相変わらず、既成政党による国民不在の不毛な政争に明け暮れている。
 こうして閉塞感が漂う中で、唯一、橋下市長が率いる「大阪維新の会」が圧倒的な国民の期待と支持を受けて、意気盛んである。
 その方向性は、かつてのサッチャーやレーガンなどが積極的に推し進め、日本では少し遅れて小泉が呼応して進めて途中で放り出した、「小さな政府」「規制緩和」「競争原理」「市場原理」「自己責任」などをもとにした政治の実現。「みんなの党」もその流れ。ネオ・コン。その大きな弊害がイギリスやアメリカでは問題になっているにもかかわらずだ。
 国内的には、地方分権という「ロマン」的オブラートをかぶせ、具体的には公務員改革(公務員攻撃)、教育改革(教員攻撃)など、敵を鮮明にして徹底的に攻撃するというやり方。一方、国際的には、反中国、反北朝鮮、反ロシアという立場。こうして、外には反共・反アジア意識を助長させ、内には、第9条を中心とした日本国憲法の改「正」、「国歌・国旗」問題に象徴される、日本人としての国家意識の涵養などに、国民の目を向けさせる、その攻撃の仕方に、拍手・喝采を送る国民も多い。見事な政治手法ではある。
 そこに、この著の表題としての「平和のリアリズム」は、まさに「「戦争のリアリズム」との裏腹の関係にあることを実感した。現在の日本の政治状況を捉える眼差しとして、現実の閉塞感が戦後60年以上にわたる平和主義がもたらしたものとすれば、それを打破するためには、「戦争」(無論、かつての戦争の形態ではなく)手段を取るという、現実主義的な思考家・実践家たちが、大きく力を持ちつつあるのではないか、という眼。
 「戦争のリアリズム」。その視点から行動することが必要ではないか、と考える政治家たちが出現してきた。そうした流れが今や大きなうねりとなり始めていることを、深く危惧することが大事ではないか、と。
 真のリアリズムには、その根底に豊かな想像力(イマジネーション)がなければならない。
 
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葛飾区役所・さくら通り

2012-04-02 21:13:31 | つぶやき
 いよいよ春本番。例年よりも少し遅れ気味の桜の開花。春風に誘われて、葛飾区役所へ。
 昨日の午後。久々に車の掃除。晴れた日には、あちこちに傷が目立つ。誰がぶつけたのか、運転手二人でお互いに疑心暗鬼。そこで部分補修、といってもシルバー色のペンで塗るだけ、とカー用品の店までその傷だらけの車での買い物がてら、ちょっと寄り道、葛飾区役所の前の通りへ、というわけ。
 この通り、区役所と学校にはさまれた、言ってみれば区内の文教地区を通る直線道路。かつては、農業用水路。戦後まもなく、区役所建設などで整備され、ついでに道の両側にソメイヨシノが植えられた(その前からあったのもあるかな)。樹齢は、すでに50年以上。古木が目立つ。 この通りは、桜の時期には恒例の「桜まつり」。茶店が出たりで、夜桜見物もできる。始まったばかりの桜まつり。でも、残念ながらまだまだ2分咲き、3分咲きといったようす。それでも、人はそぞろ歩きを楽しんでいます。
 ところで、学校の始業式・入学式には、桜がつきもの。入学の記念撮影も桜の花のもとで。ところが暖冬で、ソメイヨシノはすっかり散ってしまって、葉桜のもとでの記念撮影ということもしばしば。シダレザクラならば、ちょうど満開、というような。が、枝垂れ桜は風情があるがどうも記念撮影の背景にはちょっとそぐわない(ありきたりですが、京都・円山公園のしだれは見事です)。樹の下からたくさんの顔が出ていたんじゃ、まるでお化けの学校。
 そういえば、都立両国高校(JR「錦糸町駅」下車)の正門から通用門にかけては、いろいろな種類のサクラが植えられていて、通用門の緋寒桜から正門付近の八重桜まで、けっこう長い時期、桜が楽しめます。
 芥川龍之介の出身校(その影響かどうか、戦前戦後と文学者が多くいます。最近では石田衣良さんとか小池昌代さんなども、そのうちの一人)で、正門脇には芥川の文学碑もありますので、今の季節、お出かけなさるとちょうどいいでしょう。
覆いかぶさるように桜並木。
直線道路。満開になると、実に見事なものです。
車もけっこう通るようで、こんな注意書きまで立っています。
こんなふうにへばりついて自己主張している花も。
そこそこの古木です。苔むして。
桜の木の根元には、ユキヤナギ。
今一歩で、満開。
このサクラは何という種類か、もうすでに満開。
近所の公園。緋寒桜。ソメイヨシノはまだでも、春休みの一日。何組もの親子連れが。ビニールシートの上でご歓談のひと時。
 一転、明日はこの前の土曜日を超える大荒れの天気になるとのこと。今年の春の空は、例年以上に激しく変化する気候のようです。
 
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伊東温泉

2012-04-01 21:17:05 | つかのまの旅人
 慰労会続きの今日このごろ。いつもの錦糸町から今回は1泊温泉旅行。といっても、安くて、手近なところということで、久々に伊東。東京駅からのんびりとJRの旅。大荒れの天気。快速が各駅停車になり、途中で何度も停止信号。車体がグラグラ揺れる、と春の嵐どころではない、そんな中での旅。伊東に着くとすっかり晴れてきました。東京でも被害があったとか、久々の大嵐でしたが。
 温泉街を流れる「松川」沿いのサクラもほぼ満開。宿に着くなり酒盛り(車中から引き続き)、一風呂浴びてまたアルコール。夜桜見物もそこそこにバタン、キュウ。単純明快でよかった。持つべきものは、古くからの、それも若き後輩でした。連日の飲み疲れ。さすがにご老人、帰りは一人、熱海から新幹線でした。
 そうそう、以前のCM「伊東に行くなら、ハトヤ」はインパクトの強い宣伝でしたが、未だに健在のようす。大津波が来たら、ひとたまりもありませんが。
由緒深い木造の旅館「東海館」。夜になるとライトアップして、なかなか、よし。

 「東海館」は大正末期から昭和初期の温泉情緒を今に残す木造三階建て温泉旅館群の一つ。昭和3年(1928)に創業、昭和13年頃(1938)、昭和24年頃(1949)に望楼の増築など、幾度かの増改築を行いながら旅館業を営んでいましたが、平成9年(1997)、70年近く続いた旅館の長い歴史に幕を下ろしました。
 その後、伊東温泉情緒を残す街並みとしての保存要望もあり、所有者から建物が伊東市に寄贈されることになりました。
平成11年(1999)には、昭和初期の旅館建築の代表的な建造物として文化財的価値をもち、戦前からの温泉情緒を残す景観として保存し、後世に残す必要があるという理由から市の文化財に指定されました。
平成11年から平成13年にかけて保存改修工事が行われ、平成13年(2001)7月26日、伊東温泉観光・文化施設『東海館』として開館しました。
(観光協会の説明文による)

駅からちょっと離れた商店街は、シャッター通りに。かきいれ時の季節なのに。
野良猫が4匹。しっぽしか見えませんが。
種田山頭火の句碑。川沿いには、木下杢太郎にちなんだモニュメントが遊歩道に沿って置かれています。
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