文藝春秋は、どこから読めばいい? 池上さんに聞いてみた。
「「春秋」とは、中国の史書から来ています。要は年月や歳月のこと。文藝は一般的には小説や戯曲を意味しますが、広く文学作品や学問を指すこともあります。
「文春」を「センテンス・スプリング」と訳した人もいますが、文藝春秋の略称ですから、敢えて英訳すると、「ノベルズ・イヤーズ」ですかね。それとも「リテラチャー・イヤーズ」でしょうか。どうも語呂が悪いですね。」
桑原武夫先生の「文学入門」によると、文学の大衆化、商業主義化の一転機を象徴するのが、菊池寛による「文藝春秋」の創刊(大正12年(1923))であるという(p79)。そして、桑原先生は、「低俗な文学が日本文学をおおい去る」(p96)ことを危惧していた。
だが、今や大衆文学=文藝は衰退しており、「文藝」春秋よりも「週刊文春」の社会的な影響力の方が強いといっていい。
この現象を桑原先生が見たらどうおっしゃるか興味深いが、おそらく、精神的な緊張を要求する「フィクション」を読むことに耐えられない「民衆の疲弊」などを背景事情として指摘なさるのかもしれない。
「「春秋」とは、中国の史書から来ています。要は年月や歳月のこと。文藝は一般的には小説や戯曲を意味しますが、広く文学作品や学問を指すこともあります。
「文春」を「センテンス・スプリング」と訳した人もいますが、文藝春秋の略称ですから、敢えて英訳すると、「ノベルズ・イヤーズ」ですかね。それとも「リテラチャー・イヤーズ」でしょうか。どうも語呂が悪いですね。」
桑原武夫先生の「文学入門」によると、文学の大衆化、商業主義化の一転機を象徴するのが、菊池寛による「文藝春秋」の創刊(大正12年(1923))であるという(p79)。そして、桑原先生は、「低俗な文学が日本文学をおおい去る」(p96)ことを危惧していた。
だが、今や大衆文学=文藝は衰退しており、「文藝」春秋よりも「週刊文春」の社会的な影響力の方が強いといっていい。
この現象を桑原先生が見たらどうおっしゃるか興味深いが、おそらく、精神的な緊張を要求する「フィクション」を読むことに耐えられない「民衆の疲弊」などを背景事情として指摘なさるのかもしれない。