奇遇だが、先日のロイヤル・バレエ「ロミオとジュリエット」と同様に、最前列・中央付近の席が取れたので大満足である。
但し、字幕が見づらいのが難点。
1幕でやたらとフィンガー・スナップ(指パッチン)が出て来るのが面白く、「シンフォニック・ダンス」でも、オーケストラの団員さんは冒頭でみんなこれをやるのである(楽譜の解釈(2))。
(それにしても、バーンスタインが "America" を「シンフォニック・ダンス」に入れなかったのは理解できない。”Tonight” はダンス要素が希薄だから(バレエとは違い、バルコニー上でのダンスは危険)やむを得ないとしても。)
よく指摘されているのが、「ウエスト・サイド・ストーリー」でジュリエット役=マリアがラストで死なないのは不可解だという点である。
これは、やはり原典にあたるのが良いだろう。
Capulet. As rich shall Romeo's by his lady's lie --- Poor sacrifices of our enmity!
(彼の愛妻の像の傍に、それにおとらぬ貴い(=純金の)ロミオさんの像を並べましょう。可哀想に、われわれ(老人)の宿怨の犠牲になった者たちよ!)(p296)
モンタギュー家とキャピュレット家の間のレシプロシテの応酬の中で、結果的に、ロミオとジュリエットは”犠牲”、つまりéchange の対象となってしまった。
ロミオはマーキューシオを殺されたことの報復(とはいえ、正当防衛に近いが・・・)としてティボルトを殺し、結局は自殺することとなったし、これを見たジュリエットも自殺するという風に、レシプロシテの連鎖が続くわけである。
これに対し、ミュージカル(演出・振付のジェローム・ロビンス)の方は、トニーは報復行為により殺害されるものの(この点では原作よりレシプロシテ原理が明瞭にあらわれている)、マリアは死なないストーリーとなっている。
「おさんさん。お覚悟はよろしゅうございますな」
「私のために、お前をとうとう死なせるような事にしてしもうて。許しておくれ」
「何をおしゃいます。茂兵衛は、喜んでお供するのでございます。今輪の際なら、罰も当たりますまい。この世に心が残らぬよう、一言お聞きくださいまし。茂兵衛は、茂兵衛はとうから、あなた様をお慕い申しておりました」
「ええっ! 私を?」
「はい。さあ、しっかりと、しっかりと掴まっておいでなさいませ。 さあ・・・ おさんさん。どうなさりました? お怒りになりました? 悪うございました」
「お前の今の一言で、死ねんようになった」
何と、おさんは、茂兵衛と一緒に死ぬことを拒否した。
これが、échange の拒否=レシプロシテの切断にあることは明らかだろう。
つまり、マリアが死ななかったのは、ジェッツとシャークスとの間のレシプロシテの連鎖を切断し終了させるためだったと解釈することが出来るのである。