「籠釣瓶」が「カルメン」と決定的に違うのは、次郎左衛門と八ツ橋の関係は「個人VS.個人」ではなく「集団VS.集団」であるという点である。
「カルメン」の別れ話は、あくまでカルメンとドン・ホセという「個人VS.個人」の間の問題だった。
ところが、「縁切り」の場で分かる通り、次郎左衛門と八ツ橋は、いずれも背後に集団を背負った男女であり、集団間の贈与が不成立に終わったことが悲劇の根本原因となっている。
八ツ橋には間夫である栄之丞がいるが、浪人者であるため「当主」の資格を欠く(「イエ」を構成できない)。
権八は単なる寄生者であり、これも八ツ橋一家の構成員ではない。
「イエ」秩序のアウトサイダーであるこの二人が生きていくためには、八ツ橋がいつまでも花魁でいてくれることが必要である。
対して、八ツ橋の”後見人”である長兵衛(夫婦)は、次郎左衛門に八ツ橋を身請けしてもらい(次郎左衛門の「イエ」に入ってもらい)、多額の金銭を得ることを望んでいるが、問題は、長兵衛は「当主」の力を持たない”お飾り”に過ぎないことである(この状況は現在の清和会に似ているような気がする。)。
このように、「八ツ橋グループ」は分裂しているところ、実権を握る栄之丞の一存で「愛想尽かし」、すなわち次郎左衛門に対する「縁切り」が実行される。
だが、次郎左衛門は個人として登場しているのではなく、地元の絹商人仲間と連れ立って、公式に「身請け」を申し入れているのであり、集団=「次郎左衛門グループ」として贈与(しかもポトラッチ的贈与)を行おうとしている(ポトラッチ・カウント1.0)。
これを八ツ橋は、「万座の中で恥をかかせる」形で拒絶する。
かかる行為は、モース先生が言うところの「贈り物を受領する義務」(l'obligation de recevoir)に対する重大な違反行為であり、大量虐殺を招きかねない(命と壺(10))。
案の定、次郎左衛門は、地元で身辺整理をした後、再び吉原に出向き、「よくも恥をかかせてくれたな!」と叫びながら八ツ橋を斬り殺す。
ここには、ドン・ホセのような、愛が反転したものとしての「憎しみ」(おやじとケモノと原初的な拒否)は存在しない。
その代わり、「恥」、すなわち「準拠集団内における地位喪失」への代償として、八ツ橋の命が要求される(人命が失われたので、ポトラッチ・ポイントは5.0)。
以上を総合すると、「籠釣瓶」のポトラッチ・カウントは、6.0(★★★★★★)となる。