第一部(昼の部)最後の演目は、「元禄忠臣蔵~御浜御殿綱豊卿」である。
日本人が大好きな「忠臣蔵」は、言わずと知れた「仇討ちもの」に属するが、これも「身代わりもの」と同じくレシプロシテ原理に淵源を発している。
御浜御殿綱豊卿
「御浜御殿は甲府徳川家の下屋敷で、あるじは後に六代将軍家宣となる徳川綱豊。綱豊の寵愛を受ける中臈お喜世に、今日のお浜遊びを隙見したいと懇願しているのは、義理の兄の赤穂浪士富森助右衛門でした。実は今日の客の中に吉良上野介がいるのです。とりあえず祐筆江島のはからいで許されますが、さらに何と綱豊自らが助右衛門に対面します。綱豊は浪士たちに仇討ちをさせたい心情を学問の師新井白石に打ち明けていましたが、浅野家再興の話が持ち上がり、再興と仇討ちは両立できないと困惑していたところでした。綱豊と助右衛門のあいだに、仇討ちを巡って激しい論議が展開します。そしてその夜更け。上野介が余興の能の装束を着けて舞台へ上がると思い、槍で襲い掛かった助右衛門。しかしそれは綱豊卿その人でした。綱豊は「身のほど知らずの大たわけ、それは天下義人の復讐とは云われぬ、道理が分からぬか」と助右衛門を打ち据えるのでした。」
何と綱豊(後の六代将軍)は、浪士たちに「仇討ちをさせたい」と思っていた!
作者:真山青果の巧みなところは、「浅野家再興」の話を持ち出して、「再興と仇討ちは両立できない」というシチュエーションを作り出した点にある。
枝分節集団である「イエ」(=浅野家)は、定義上、頂点(=内匠頭)が無くなれば崩壊する運命にある。
なので、内匠頭が自害したことにより、部下たちは失業して「浪士」となった。
その原因を作った敵=吉良上野介を殺害する行為(仇討ち)は、言うまでもなくレシプロシテ原理の発動だが、これは、あえて言えば、(亡くなった)内匠頭という個人のための復讐である。
これに対し、「浅野家再興」は、(生きている)浪士たちを含む浅野家という「イエ」=集団が再生するための措置であり、ここに「個人=死者」VS.「集団=生者」という対立状況が生じるわけである。
つまり、「「イエ」のトップ」の雪辱を果たすのか、それとも「イエ」全体の利益を取るのか、というトレード・オフ関係が浮かび上がった。
私はこのストーリーの結末を知らないので、興味津々である。
以上をまとめると、「元禄忠臣蔵~御浜御殿綱豊卿」ではまだ結論が出ていないので、ポトラッチ・カウントはゼロとなる。