Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

3月のポトラッチ・カウント(7)

2024年04月02日 06時30分00秒 | Weblog
 歌舞伎座・3月大歌舞伎の第二部(夜の部)は、「伊勢音頭恋寝刃」の全3幕の通しと、舞踊「喜撰」であるが、法学的・社会学的観点から分析となるのは前者である。
 
思わぬ縁切り
 「貢とお鹿に問い詰められても、そこは百戦錬磨の古だぬきで、万野はのらりくらりと嘘をならべ、逆に貢に恥をかかせる。しかも奥から現れたお紺までが、お鹿を呼んだ不実をなじり、満座の中で貢と縁を切ると言い出す。思いもよらぬお紺の愛想づかし。お鹿と万野にさんざんに追い詰められた貢は逆上する。重なる恥辱を必死にこらえて、貢は喜助から預けた刀を受け取り、油屋を出てゆく。

 実際にあった事件を基にして作られた演目。
 ネットでは、「2月の『籠釣瓶』に続く”愛想尽かしと妖刀シリーズ”」という評が出ていたが、なるほど、「籠釣瓶」(2月のポトラッチ・カウント(3))とストーリーが良く似ている。
 ちょっとややこしいが、
・「籠釣瓶」 事件発生:享保年間(1716~1735)、初演:1888
・「伊勢音頭」 事件発生・初演とも1796
ということで、「籠釣瓶」の方がだいぶ先に起きた事件で、「伊勢音頭」の作者も当然これを参考にしているだろう。
 だが、気の毒なことに、「籠釣瓶」の完成度の高さとは比較にならないほどインパクトが弱いのは、実話を大きく改変してしまったことによるものではないだろうか?
 やはり、実話に近い筋立ての「籠釣瓶」の方が、インパクトが強いのである。
 「伊勢音頭」のストーリーを弱くしたのは、実話には出て来ないであろう「青江下坂(妖刀)と折紙(鑑定書)」のすり替え・だまし取りの筋書きである。
 刀の真贋を「折紙」(おりかみ)という紙切れ一枚で判定してしまうという思考は、おそらく西欧・北米の文化では理解不能だろう(こうしたところに「クリティックの欠如」を見てしまうのはちょっと飛躍かもしれないが・・・)。
 私見では、西欧・北米の人たちからは、「どうして真贋を『フォルム』で判定しないのだ?」というお叱りが飛んでくるはずであり、実際、私の前列に坐っていた外国人の方たちは、2幕が終わった時点で一斉に帰ってしまった。
 さて、「万座で恥をかかされる」主人公の貢は、まず彼に恥をかかせた仲居の万野を、次いで首謀者である岩次と北六を「青江下坂」で叩き斬る。
 このエンディングは、「十人斬り」と呼ばれているらしいが、私が見た限り、殺されたのはこの3人のほか、お鹿と男3人の計7人だった。
 お鹿と男3人は巻き添えになったという印象である。
 なので、純粋に「万座の恥」の代償として命を奪われたのは、万野、岩次と北六の3人だけと認定する。
 以上を総合すると、「伊勢音頭恋寝刃」のポトラッチ・カウントは、15.0(★★★★★★★★★★★★★★★ )となる。
 というわけで、3月のポトラッチ・カウント(と言っても、国立劇場の文楽、「メディア/イアソン」と歌舞伎座の演目について)は、45.0という数字となった。
 さて、4月はどうなりますことやら?
 ・・・と思いきや、今日は歌舞伎座・4月大歌舞伎の初日なのだった。
  

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