労使紛争の当事者、刑事事件の被害者など、法曹の世界には怒りや悲しみの真っ只中にいる人がたくさんいる。だが、そういう人たちを傍から見ていると、彼らは余りにも状況に「囚われている」と感じる。これは間違いない。
余りにも大きなショックを受けた不幸な人たちにとって、時間は止まったままである。だが、外界では、何事もなかったかのように時間が流れていく。だから、悲嘆にくれているうちに自分だけ取り残されていく。「取り残された」という感覚がさらに悲しみを増幅させ、ますます孤独は深まっていく・・・・・・
この連鎖を断ち切るためには、憎き相手を許すことはできないまでも、相手から「離れる」ことは可能である。例えば、アメリカの隣人紛争の役3分の2は、アボイダンス、すなわち、「引越し」によって解決されている。いやな相手と顔をつき合わせながら行くていくよりも、いっそ遠くで無関係に暮らしていく方がよい、というのがアメリカ流の合理的発想なのだろう。
もっとも、こんな余裕のある考え方が可能なのも、自分は当事者ではないからだろう。
余りにも大きなショックを受けた不幸な人たちにとって、時間は止まったままである。だが、外界では、何事もなかったかのように時間が流れていく。だから、悲嘆にくれているうちに自分だけ取り残されていく。「取り残された」という感覚がさらに悲しみを増幅させ、ますます孤独は深まっていく・・・・・・
この連鎖を断ち切るためには、憎き相手を許すことはできないまでも、相手から「離れる」ことは可能である。例えば、アメリカの隣人紛争の役3分の2は、アボイダンス、すなわち、「引越し」によって解決されている。いやな相手と顔をつき合わせながら行くていくよりも、いっそ遠くで無関係に暮らしていく方がよい、というのがアメリカ流の合理的発想なのだろう。
もっとも、こんな余裕のある考え方が可能なのも、自分は当事者ではないからだろう。