明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



以前から不思議であったが、写真やデジタル、何かを参考にしながら作るなど、嫌ったり、苦手な物に限ってやる事になってしまった。嫌いな物には必ず自分の要素があると言ったのは、友人の精神科医であった。それにしたって、と言う話である。その中でも、何かを観ながら作るというのは足を洗いたい、と昨日のブログで書いた。 鏑木清方の三遊亭円朝像が、残された写真と違うことに、なんでこうなる、と身悶えしてしまった私である、顔だけでなく、脚も異様に長い。円朝を直接知る清方ならではの表現であり、それを私が知ったかぶりして創作するのは違うと考える。過去とはいえ、実在した人物に敬意を払い、残された写真をもって、私が円朝を作るとこうなる、と、清方の円朝像とあえて同じ構図にした。しかし実在した人物制作から足を洗えば、本人やその子孫の方々へ気を使うこともなく、のびのびとやれる訳である。 

それにしても暑い。先日閉店した私が30年以上通ったエアコンもない居酒屋の、亡くなって1年以上経つ女将さんは、「暑いといったら罰金だよ。」と言いながら自分が1番言っていた。何故か未だに納骨されていない、と聞いている。夜、通りすがりに黙祷を捧げた。いつか同じく常連のMさんとサイゼリヤでマグナム数本空け泣いたので、もう涙は出ない。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷『金魚坂』にて。29日はお休みです。8月1日は犀星生誕130周年。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

HP

旧HP 

『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夜中に地震があったらしい。思い出した。薄目を開けると首のない室生犀星(首は展示中の座像に)がろくろ台の上に立っている。このぐらいの地震じゃ私の人形は倒れない。と思ったのは夢ではなかった。96、7年より作ってきた作家シリーズも、すでに頭部が出来ている人物以外は作らない、と言いながら、金魚坂が350年続く金魚問屋と聞いて、作ってしまったが、もうこれを最後としたい。小学生の頃から写生嫌い、何かを見て制作することが大の苦手。しかも他人の作った物を描く石膏デッサンなど数える程しかやったことがない。そう思うと、残された写真を見ながら、漱石は鼻を修正している事を見つける程見つめながら良くやって来たと思う。実在者の頭部の制作は、私にとってまさに苦行であった。最初に粘土を取り、作り始めに、ちゃんと完成に至れる、と思った事はただの一度もない。 そもそもデビューは架空のジャズやブルースのミュージシャンであった。実に楽しかったが、毎日作るうち、段々細かくリアルになり、それに伴い、他人の作った製品である楽器を作るのが苦痛となった。作家シリーズが、写真を参考にしながら私が続けられたのも作家の顔が作られた物でも製品でもなかったからである。それまでは、今思うと素人考えで写真を見てしまうと〝本当の事〟が頭に入ってしまい、それが邪魔になる、とかたくなに信じていた。それもこれだけ作家シリーズを続けてしまうと、十分過ぎる程情報が入り、後戻りは出来ない。来年1月か2月のふげん社の個展は、三島とその他でやることになりそうだが、2カットも作れば三島でやりたいことはもうない。勿論三島は頭部はすでにある。と言うわけで最後の苦行が室生犀星ということになるだろう。

『我が肌に魚まつわれり』 (蜜のあはれより)

 7月17日~8月4日本郷『金魚坂』にて。29日はお休みです。8月1日は犀星生誕130周年。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

HP

旧HP 

『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )