明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



新しい金魚が新たに水槽に参入するたび、眼を開かされ、イメージにも変化がおき、よってキヤストの変更を余儀なくさせられている。脇役で買ったはずの桜東錦。頭の肉瘤、フラダンスのような泳ぎ、両方ともかつて金魚の嫌いな要素であったはずが、それが見たくて水槽の前に行く。写真、パソコンなど、嫌いだった物に限って創作上の大事な手段に変じてきた私だが、嫌いだった物が好きになると、深い影響を受ける。それにしても新たに魚を水槽に参入容れるときの楽しさは、子供の頃と変わらない。寒山拾得'には寺の僧侶など、まだまだ金魚を導入する余地はあるが、最終的に室内の水槽は寒山と、拾得、豊干の"三聖"と虎に限り、後のキャストは大部屋行き、ベランダ住まいとなるだろう。そちらの方が管理はしやすいらしい。そもそもは金魚は、上から眺めるものということになっている。 何が原因か、あまり良くなかった体調も少しずつ上向いて来ている気がする。動き出しの目眩はまだ残っているが、ゆっくり行動すれば。さっそくホームセンターに行き、桜東錦をもう一匹。家にいる方が、なんとなく拾得という気がしたので、寒山という顔をしているのを探す。特に好ましい特徴があるわけではないが、あれが拾得ならば、これが寒山かな、というのにした。やはり主役を決めてから脇役を決めべきであった。なにしろ最初の四匹は、雨の中かろうじて捕まえられた玉サバで、選らんだわけではない。肝心の寒山と拾得と豊干が、泳ぎの下手なしっぽの持ち主で揃ってしまい。フナ尾で泳ぎの上手い連中は寒山拾得劇団からはじかれることになりそうである。しかし、私に金魚の良さを教えてぐれた功労者達である。大事にしよう。実はつい最近、愛情がなくなった魚を邪険にした友人が、その水槽に新な魚を入れると翌日死ぬことが続いた。幼魚とはいえ、タフで知られた魚だったのだが。冗談で盛り塩しろ、といったらおさまった。

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