明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ベランダで金魚を飼うためセメントを練るときに使うを注文。昨日もらって来たホテイアオイを入れよう。そもそもいただいた玉サバという種類の金魚に目覚めさせられたのであったが、我が"寒山拾得劇場"のキャストを考えると、主役がヒラヒラした尾びれの桜東錦となると、とフナ尾の玉サバが元気で目立ち過ぎ、ベランダに"出向"を命じざるを得なくなった。餌みんな食っちやうし。もっとも自然光を浴び、ホテイアオイもあり、金魚にとってはこちらの方が快適に違いない。 友人が今度は家で金魚の撮影か?どういう風に出品するのだ?というから金魚なんて出品しないよ。ただ眺めるだけだと聞いて呆れる友人。今度ばかりは私が自身が呆れている。だがしかし、腕組み眉間にシワ寄せていたら100%何も浮かばないのはわかっている。もし何か浮かぶとしたら金魚を眺めている時だろう。 金魚の動きをただひたすら目で追っているだけで、何も考えない。これは好都合なツールとなるだろう。 釘抜きを買って来た。先日解体現場から救出して来た木場は『河本』のカウンターから釘を引っこ抜くためである。思い出は心の中にあれば良い。勿論である。しかしこの年期の入ったナラの一枚板に、手術を終えた大門美智子のように手を添えたならば、間違いなく遠くを見る目になるだろう。昔、私か河本で撮影した、長見順さんのCDジャケットをアップ。我が家にあるのは、労働者風のオヤジ、しかして実体は怒涛のドラマー岡地曙裕さんの、あのカウンターである。


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