明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



石塚式ピクトリアリズムは、そもそも小さい人形が被写体であることが前提で、切り抜いて配するので写真の空気感は犠牲になり、レンズの味は邪魔になるだけである。そうするからこそ、初めて日本画調になる。グループ展に出品していのは、オイルプリントの再興しか頭になかった頃の作品である。レンズはニューヨークのロチエスター辺りに点在した、小さなレンズ工房の一つで、名前からすると、ドイツからの移民だろう。5×7インチ用ぐらいの広角レンズで、前玉をはずして焦点距離を2倍に伸ばして使った。絞りはなく、シヤッターは、何かのキャップだった。お陰でレンズの味、空気感は過剰に出ている。それから幾年月。写真から陰影を排除することになるとは。まさに"思えば遠くに来たもんだ'。感慨深い。 豊干禅師のイメージにピッタリな渋い青文魚を入手し、続いて脇役のつもりで入手した志村養魚場産桜東錦があまりに可愛く、主役の一人拾得に昇格。となれば寒山も桜東錦で、と寒山顔を時間をかけて選んだ。方向性が決まって来た。キャラクターに合った魚を選ぶ。といっても単に私の思い込みであるけれども。ペット愛好家の親バカ症状が、早くも現れて来ている。それまで嫌いだった物が好物に変じて来た私だが、こうなると、本郷の金魚坂に今行ったら昨年とはまったく違って見えるだろう。嫌いな物が好きに転じた場合の前言翻しぶりは、私にはお馴染みの物で、何も感じなかった物が輝いて見えてしまう。よって冷静さを欠きつつある今は、行ってはならない。この水槽内に、こんな配役が必用、と目ぼしがついてからにすべきである。今行ったら、登場もしない役者をスカウトしてしまうことになる。ただし今回に限っていえば、寒山拾得制作のため、という大義名分があるので、金魚をただ眺めていても罪悪感を感じないところが喜ばしい。 しかし金魚を飼うことが何故そうなるのか?やってる本人が判っていない。いや、寒山拾得を解ってやるなんていう奴が今までいたのだろうか?解っでいないからこそやるようなモチーフなのではないか?なんだそれは?私は何をいっている。

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