明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


何度も繰り返しになるが、ガラケーから始まってスマホに変わり、相変わらずろくなことがない。先日修理が終わり、と思ったら、電話は出来るがスピーカーから音が出ない。また修理である何度壊れるんだ。以前と違ってバスで行かなければならず、いい加減にしろ、という話しである。富⚪通の製品は二度と買わない。 寒山拾得は、とりあえず、寒山詩をぼんやりと目にする程度にして、後は寒山拾得に見立てた金魚を眺め暮らすことにする。私にしてはなかなかの名案である。説話上の連中ともなれば、金魚の観察が適当であろう。もっとも、頭を空っぽにできるという効用が主目的であり、そういう状態の時にしか、棚ぼた式に閃きは訪れない。 いただいた四匹は、捕まえられたのを貰ったので、選んだ訳ではないので、そう都合良く寒山と拾得、豊干というわけには行かない。兄弟のような寒山と拾得二匹に、毛色の違う豊干一匹、といきたいのだが。しかし、眺めているうちに、脳内のイメージに修正が施され、1番大きい赤いのと、体格では劣るが尾が長い分体調は互角で赤白の更紗模様の一匹、まったく似ていないが、この二匹が寒山と拾得になりつつある。となると、豊干禅師は水槽外から連れてくるしかない。明日、数ヶ月前ぶりにホームの母の所に面会に行く。許されているのは30分だけだが。そのついでに、一キロ程の所に江戸時代から続く金魚屋があるので、豊干禅師をスカウトしてこようと思っている。うちには赤と白しかいないので、それ以外の色味が欲しい。そして寒山拾得展開催の暁には、金魚を参考に作った、とか何とか、柿見て赤色を思いついた陶工柿右衛門みたいな事を言ってみたい。柿右衛門エピソードは嘘っぱちだが。

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