日本的遠近法は、取り入れるのはほぼ諦めている。主役の人物をリアルに作っておいて、空間だけ歪んでいるというのは矛盾でしかない。様々な歴史的作品を眺めても、人物が、リアルになるにつれ、遠近感も正しくなって行く。考えてみれば当たり前のことだが、写真を始めた当初から、レンズ越しの遠近感を悪戯?するのが面白かったものだから、ここへ来ても、何かやれるのではないか、と考えたのだが、空間は歪んでいるのに主人公の人物だけが正立しているのは、さすがに無理であった。それはともかく。 森鴎外が書いた寒山拾得は、寒山拾得詩の序文に書かれた文章を、解説を交えほぼそのまま書いている。序文によると痩せた乞食のような人物だそうだが、寒山拾得図の名作には肥満型も多い。そもそも中国は寒山寺の土産物の拓本自体が相撲取りのようである。確かに寒山と拾得のキャラクターからすると、ゲラゲラ笑って走り去ったり、唐子のような、コロコロした子供染みた人物の方が愛嬌もあり、と思うが、寒山詩の徐には痩せている、と書いているのだから、とまた、私の律儀さが頭をもたげてくる。おそらく実在しなかった説話上の人物なのだし、長年ほんとうのことはどうでも良い、などどほざいていたわりには、簡単にはなかなかなそうはならない。何しろ書いてあるのだから。 作り始めるにしても、まずそこが決まらないと話しにならない。
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