明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



スケッチブックに何か描いて構想を練ると、往々にして、最初の一枚目のイメージが固定化してしまい、面倒なことになる。メモ用紙の悪戯描きを深夜ゴミ箱あさって探したこともある。よって本当はあ ああだこうだ、とスケッチブックブック相手にやりたいのだが、一切やらない。だがしかし、人間が登場しない芭蕉庵だったら大丈夫であろう。スケッチブックと鉛筆と物差しを買って来た。遅くとも、今月中に寸法出しは済ませたい。深川は水が出やすい土地であるから、床下を高めにしたい。どんな高さに設置されるかにもよるが、屋根が邪魔で、芭蕉が良く見えないのも困る。門弟の中には、そこそこの商人もいたようだし、それなりの庵だったかもしれないが、華美を好まない質素な人物だったそうであるし、俳句の枯れたイメージもあることだし、と芭蕉像制作時にいっていたことと一転、パブリックイメージに殉じようという、私である。しかし記録が残されているわけではなし、様々な人が描いた芭蕉庵も憶測に過ぎない。そうであれば、パソコンの空き段ボール箱を乱歩が潜む屋根裏に仕立て上げた経験しかない私とすれば、美しい芭蕉庵よりは、経年変化も著しい、ボロ屋を作る方が面白いに決まっている。先日のグループ展に出品した、人形制作者の仕事場風景には、しゃれこうべが置いてあったが、何人かの方に「ホンモノですか?」と聞かれた。澁澤龍彦邸の骸骨でさえレプリカであるから、私の家にホンモノがあるわけがない。単なるプラモデルである。しかし撮影用に、と、リアルな塗装をしているうちにやり過ぎてしまい、夜が明ける頃には、すっかり佃煮じみてしまった。つまりやるなら醤油で煮しめたような芭蕉庵の方が、作るなら面白い。

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