しばらく人形制作から遠ざかって、作業台である文机を眺めると、いかにも無理がある。かなり古い物だからそういうものかもしれない。私のイメージにあったのが、あの華奢で、繊細で神経質が着物を着ているような泉鏡花だったから、私も少しは身の程を知れ、という話であろう。腰に負担がかかるので、いつまでも粋がってないで引っ越し前に戻って、作業は机と椅子ですることにした。ただ、東京オリンピック以前の東京のイメージで来たから、今更パソコンデスク、という訳には行かない。 それでも、この文机からは、三島の椿説弓張月、松尾芭蕉、葛飾北斎の3体が生まれた。揃いも揃って日本が誇る世界的な人物ばかりであるから、まあ上出来といえよう。 寒山拾得については、頭を悩ませているうちは何も起こらない。ジタバタすればただホコリをたたせるだけである。寒山と拾得、豊干と虎の4匹が揃う予定の水槽は、水音ばかりで未だカラである。私は密かに、金魚達をダウジングの振り子やロッド代わりに使えないか、と考えている。口を開けて東の空を見ていたら、ぼた餅が落ちてくるようにイメージが浮かんだ、というより寒山拾得に見立てた金魚を眺めていたら、の方が形として良いのではないか。なので考えているうちはお話しにならないので、ユーチューブで金魚の飼い方を見たり、ラジオを聴いたり、傍から見ればただだらけているようにしか見えないだろう。実際、ただだらけてはいる。しかしこんな時でないとぼた餅は絶対降って来ないのが辛いとである。
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