明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今にして思えば5月の『三島由紀夫へのオマージュ展 椿説男の死』は、コロナ禍のその後の状況を考えると、延期せず決行して本当に良かった。ハードル間隔を突然変えたら.保っていた歩幅がガタガタになっていただろう。お陰でそれまでのスピードを保ったまま、ゴールを駆け抜けることができ、寒山拾得に見立てた金魚の水槽は眺めている。水槽の金魚を二年間眺め暮らし、寒山拾得展に備える、なんてことを本気で考えてはいなかっただろう。60センチの水槽内に金魚を揃えているのは、確かに寒山拾得の制作のためだが、他にどんな策があるというのか?後は寒山詩集を読むくらいしか思い付かない。といいながら、満更悪い策ではないだろう。とどこかで思っている。 日曜日が最終日の江東区文化センターのグループ展は、どうもメンバーの方々には出品作『E嬢像』が私が作った人形と思われていたようである。私はほとんど女性を作らず男性ばかり作っている。様々な理由を申し述べて来たが、同じ手法、同じサイズで男女を同じ土俵に上げられる気がまったくしない。男性漫画家には、男のキャラクターにはバリエーションがあるのに、女は皆同じような顔なんて人がよくいる…。あれは私には良く判る。逆に女性の漫画家は、中年男が宝塚見たいで冴えない。まあ色々事情がある。 文化センターを出たところで、先日センターの金魚をいただいた管理者の方に声をかけられる。そして見た目はトウモロコシの軸みたいな、盧材をいただく。素焼きの焼き物状の物で多孔質で、そこにバクテリアが住み着き、水を浄化するという。帰宅後、洗濯用ネットを買いそれを詰め込み水槽へ、さらにいただいたペットボトルのバクテリア溶液を投入。子供の頃はバクテリアのことなど知らず、バクテリアを単なる汚れだと思い、水道水の塩素で死滅させていた。


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