明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


近所にできる、撮影の必要がある生き物がいる店だが、店のアクセサリーではなく、そのものを販売するペットショップだという。なんであんな所に。妙なペットに詳しそうな連中に、その類の店について訊いていたから、私の引きの強さに皆驚いていた。しかしこの引きの強さは、作品制作にしか発揮されないのが惜しい。開店準備中の店内にはやたらと大きいそれがいた。 『貝の穴が河童が居る事』は一巡して、最初に制作を始めた主役の河童の三郎に戻ってきた。今のところ表情は一種類しかないので、これを原型として型を取り、泣いたり笑ったり怒ったり、場面に応じた表情を作ることになる。素人の皆さんに、当初想定していた以上の表情をされてしまい、主役はそれに負けてもらっては困る。この短編小説は、河童のキャラクターあってこそである。若い娘に一目惚れし、尻を触ろうとして、見つかりそうになって小さな貝の穴に隠れ、そうとは知らない人間が、貝を掘り出そうとしステッキを突っ込み、河童の腕を肩から折ってしまう。元は自分が悪さをしようとしたのが始まりであるが、河童は姫神に仇討ちを頼む。この自分勝手な河童のドタバタぶりが可笑しく、また哀れである。
制作を続けながら来年何を制作するか考えている。谷崎潤一郎はいずれ手掛けることになるだろうし、開催中のギャラリー・ビブリオで、こたつに入って我が乱歩作品を眺めるうち、続編をやってみたい、という気もわいてくる。そういえば初日に来ていただいた嵐山光三郎さんが、乱歩は谷崎になりたかったのだと仰っていた。 今回近所の方々に登場願った。しかしいずれ谷崎などビジュアル化するとなると、女性の出演者が必要である。そこで本日、十人以上の女性を抱える、○○の女性と会食をした。彼女を通せば話がはやいと聞いている。彼女は黙って指で私の手の甲に条件を示す。良いだろう。微笑を交わし乾杯する私達であった。※最後は少々事実と異なります。

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何度となく書いているが、集中して制作していると、これを使え、あるいは参考にせよ、などと、まるで私の制作する様子を、高いところから眺めている存在があるかのようなことが起こる。 制作中の作品には、不可欠な生き物が登場する。それはおそらく爬虫類より飼う人も少なく、そこらにはいない物であろう。ずっと検索していた。都内にもいることはいるのだが、オフシーズンだったり、ハードルが高そうな施設だったり、今ひとつであった。関東圏内に範囲を広げれば、たとえば千葉県の自然豊かなあたりまで行けば、撮影可能な施設はありなんとかなりそうである。 そうこうしていたら、その生き物と身近に接することができる店を、数駅の距離に見つけた。しかも10月にオープンしたばかりで、まるで私のために用意したかのようである。やはりこういうことは起きるものだな。と思っていた。ならば慌てることはない。悠長に構えていた。だがそんな私に早く撮れ、という天の声であろうか。自宅から2百メートルも離れておらず、T屋から数10メートル。T千穂から見えるところに“それがいる店”ができることを知った。これはいったいどういうことか?このネットカフェにもその店の前を通ってきたが、近日オープンの張り紙があり、あれだけ探したそれがいた。不思議としかいいようがない。このまま放っておけば、隣人がそれを飼い始めることは間違いないであろう。

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一日  


PCの調子が悪く、以前使っていたPCでネット、メールをやっていたが、もともと調子が悪いのが使い物にならなくなってきた。これもネットカフェで書いている。ネットにつなげるにも書類が出てこず再発行をしてもらうことに。 MXTVの取材。 展示中の夢野久作。せっかく動いているので田村写真の田村さんに柱時計の夢野久作をユーチューブにアップしてもらった。 何か書くつもりがネットで勝新の『悪名』と『座頭市』を観て終わる。国立には土曜、日曜に顔を出す予定である。



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国立というと地元からはいささか遠いので、近所の方には展示を知らせていなかった。昨日の東京新聞。多摩版だから、と思っていたら、印刷しているのが近所で、そこで働くT千穂の常連Fさんが午前中もって来てくれたそうである。悪いことなどできるものではない。 毎日のようにお会いする常連が、それを見て私が思ったより年を食っていたといっていたそうである。 フィリピンパブのフィリピーナにカタコトで“苦労ガ足リナインジャナイ?”といわれた私だが、若く見えるといってお会いするたび不思議なのは、昨日来ていただいた、翻訳家の金原瑞人さんである。どうみても私より年上には見えず、ビートバンドでリッケンバッカーあたりを抱えている青年のようである。  あのフィリピーナに今度会うことがあったら、日本で長生きしたかったら、ああいう場合せめて“苦労が顔に出ないタイプね”というべきだとアドバイスしよう。
私が子供の頃からエレキギターを分解しては壊してきたのは、電気回路を理解していないのに、余計なことをするからだが、65年製の玩具みたいな国産ギターが、スタジオで大きな音を出したら、意外なくらい良い音で、相棒が持ってきた100万のギターと、少々ジャンルが違えど、充分対抗できるな音であった。もちろん見た目は育ちの違いが一目瞭然であったが。そこで、いつか2800円で落札した音も出ないジャンクギターを、ネックの反りから直し、色々していたら音がでてきた。弾きにくさは当然で酷いものではあるが、それを越えて愛着が涌いてきた。よくアフリカのミュージシャンが、当時の安い日本製ギターを弾いているのを見かけるが、あの味わいである。この感じは十年以上前に、中古カメラ店にいっては、真鍮鏡胴の妙なレンズを集めていた頃を想い出す。あの頃は東京のカメラ店でも二束三文でゴロゴロしていたが、今は海外のオークションが盛況のようである。
ビブリオには土、日は顔を出す予定である。掘りごたつもある。ノートパソコンを持ち込んでフンドシ姿の漁師の続きでもやっていようか、と思っている。どちらかというとゴム製のルアーのような芋虫グミも、一匹は口に入れたい。

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ケーブルTVの取材があるので昼前に到着。近所の連中が観ないと思うとなんということなくこなす。他に某新聞社など。一段落後、昼食に出かける。初日といっても、まだ誰も来ないだろうと本屋で買い物をし、昼食をとっていると、廊主より携帯に嵐山光三郎さんがみえているとメール。 国立在住の嵐山さんには、国立での嵐山さん企画の落語会、ジャズライブなどに御邪魔し何度かお目にかかっているが、まとめて作品を観ていただいたのは始めてである。お会いするたび、三島、澁澤その他のリアルなお話を伺うが、今回かなりの時間、ここでは書けない話ばかりうかがった。書けることといえば、錦糸町のキャバレーで金粉ショーに御自身がかり出された時の話。昔から疑問であったが、皮膚呼吸ができなくて、という007ゴールドフィンガーで、金粉塗られて殺される女。あれは嘘であることを聞く。 『中央公論Adagio』の『芭蕉と森下を歩く』でイメージをするために嵐山」さんの『悪党芭蕉』を参考にさせていただいた。プリントをさしあげる。全国に何千とある、適当な爺ィ像に反発し芭蕉の三人の門弟が描いた芭蕉像だけを参考に制作したものである。いくら時代が違うといえ、私より年下の男を痩せこけた老人にされてはかなわない。地元深川にすら何体もある芭蕉も、どこの先生が作ったのか知らないが、適当な物ばかりである。 夕方、エッセイストの坂崎重盛さん、乱歩作品だけでなく、アダージョの谷崎号でも登場いただいた鶴沢寛也師匠、翻訳家の金原瑞人さん、エッセイストの岡崎武志さんにも相次いで御出でいただき宴会。寛也さんは義太夫の太竿の三味線を弾いていただいた。畳に掘りコタツで聴く贅沢。 今回、芳名帖のわきに、廊主が奔走して入手した“芋虫”のグミ。ご丁寧にシャーレに入っている。ご自由にどうぞ、ということだが廊主本人も含め、口に入れた人は皆無であった。

夜の夢こそまこと ふたたび~江戸川乱歩2012冬~」
日時:2012年12月6日(木) ~12月18日(火) 11時~19時  水曜休廊 最終日は17時まで。
・会場:国立駅前「GALLERY BIBLIO (ギャラリービブリオ)」
http://www.gbiblio.jp/



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ベランダの排水口その他の防水とかで、3日間洗濯物を干せないし水も流せないという。慌てて昨日洗濯したが、それよりまた荷物を室内に入れなければならない。一挙にやってくれ、と思うのであるが。業者が来る前に生乾きの洗濯物および雑物を室内へ。戻すこと三度目。 明日よりギャラービブリオで旧作であるが、乱歩の写真作品を展示する。国立駅前に知人が始めた、生家を画廊にしたてた場所である。鍵っ子であった私など、託児所代りに通わされた学習塾、ソロバン塾を想い出す。今回プリントを二十数点展示するが、立体は夢野久作1体である。久作に関しては、資料として入手した九州帝大學卒業写眞帖も展示する。久作が記者として出入りしていた丁度その頃のもので、これを見ると、映画『ドグラマグラ』に正木教授役に、桂枝雀が起用された理由が判る。 たまたまこの写眞帖の企画者で、理事の一人に名前を連ねているのは、この数年後に、撃墜され捕虜となったB29の搭乗員の生体解剖を母校に持ちかける、いわゆる『九州帝國大学生体解剖事件』の張本人、小森拓こと藤田拓が卒業生として写っている。どれだけ企画立案好きな男だ、という話である。空襲の負傷が元で破傷風で死んでいる。 柱時計の久作は、できるだけ時打ちのゼンマイを緩くしてくれるようお願いして、床の間に設置していただいた。 昔の乱歩の作品を見ていると、少々気恥ずかしいが、再び見ていただけるなら有り難いことである。

『夜の夢こそまこと ふたたび~江戸川乱歩2012冬~』
日時:2012年12月6日(木) ~12月18日(火) 11時~19時  水曜休廊 最終日は17時まで。
国立駅前「GALLERY BIBLIO (ギャラリービブリオ)」
http://www.gbiblio.jp/

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6日から始まる展示は出版のために制作した旧作品だが、その出版社はすでにない。そこで2Lサイズのプリントを用意しようとチェックしているが、古いパソコンの中にそのまま残されていた。まるで夜逃げでもしたかのようにやりっ放しである。目的さえ完遂すれば、後はどうでも良いという性格そのままである。(念の為にいっておくが、これは作品制作においての話である。) 切断された手足もとっ散らかったまま。 私は作者の乱歩本人を作中に登場させるため、実は常識人で、残酷なシーンを書いておきながら後で悔やんだりする人柄を考慮し、バラバラの死体が浴槽に浸かっていても、その切断面はリアルにせず、ソーセージを切ったかのように綺麗にやっている。もっとも乱歩のいうことを真に受けていいものかどうか。嫌々書いていたとは思えず、世間には常識人だと思われたい、ということであろう。その気持ちは良く判る。私にしても、浅草寺の上空を風船にぶら下げられた切断された脚を飛ばしても、乱歩先生がそう書いているのだから仕方がない、という顔をしたいし、実際するのである。 今ほどではないが、友人知人に協力してもらいおかげで『人間『椅子』も完成した。女流作家に義太夫三味線の鶴沢寛也さん。当然椅子の中には私が入るつもりであったが、自分で撮れそうにないので、友人の中央線が誇るブルースベーシスト谷口“タニヤン”英視さんに譲った。くやしいので谷口さんには『目羅博士』で首を吊ってもらった。 他に『パノラマ島綺譚』『陰獣』『青銅の魔人』なども迷った末に時間が足りず断念していた。この頃は合成が下手糞であったが、作り物めいたわざとらしさを出したかったので、かえってそれでよかった。乱歩にはこの調味料が効くのである。そして本人の乱歩は無表情で終始“私には一切責任はない”という顔をしている。 この頃は人間との共演も稚拙であったが、今回の『貝の穴に河童の居る事』で人間を演出し撮影することにすっかり味をしめてしまった。今後これにより自由度は拡がるであろう。私はだいたいこうやって枝葉を伸ばすように変化してきた。乱歩を制作していた頃にはもう戻れない。

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急に気温が下がり、猫舌の私も温かいお茶など飲みたくなるが、先日ラジオでどこかの医者が、猫舌は熱いものを口中で冷ますのが下手なのだといっていた。猫舌でない人は、ハフハフやって空気を混ぜて冷やすのが上手いのだという。技術の問題だといわれても俄かには納得しがたい話である。 家族では亡くなった父が猫舌で、葬式で叔父がお茶を飲んでいるのを見て、猫舌は父方由来のものだと知った。母は猫舌ではなく、そもそもフーフーだハフハフだとやっている記憶がない。夕飯時、平然と炊き立てのご飯を食べる母を、スタートで出遅れる父と私は、神経の鈍い野蛮人を見るように眺めたものである。高校時代など腹ペコなのに食べられず、モーモーたる湯気に腹が立った。ハフハフもなにも、口に入れられないのだから技術もへったくれもないのである。いつしか私がウチワ、時に扇風機で冷ます役目になった。私は猫舌だけでなく、熱い風呂もダメだし熱い物も持てない。これも平気な母に笑われるのだが、手の皮がツラの皮と同じくらいの厚さなんだろうといってやる。 冷ますといえば昔から疑問なのは、熱いスープなどを飲む時、フーフー冷ましながら飲む。散々冷まして飲むことはなく、吹いては飲みを繰り返すが、杯に入った少量ならともかく、風が当たった部分は移動し混ざってしまうので、吹くたびに飲むほどの効果があるとは思えないのである。となると、むしろ唇の方を冷やしているのではないか、だったらスープに向ってフーフーする必要はない、ということになる。 この冷却効果に対する疑問は随分前からもっていた。人前でするのも、あまり格好の良いものとはいえないし。だったらフーフーしないで飲んでみて、冷却効果がたいしてないのかどうか試してみればいいだろう、ということになろうが、猫舌がそんなこと試すわけがない。

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