明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日のお祝いの会の後、ほとんど寝ていないのに、様々なエレキやアコーステイックギターがずらりとならんだ店に連れて行かれ、帰ったら朝の5時であった。エレキギターという物は、発明されてほどなく完成の域に達したようで、以後、多くはそのコピーを作るようになる。最近は貴重なオリジナルや、ミュージシャンの愛機そっくりに、経年変化を施したギターが出回っている。その世界にも名人がおり、塗装の剥げやぶつけた跡、タバコの焼けこげまで再現する。ボデイの裏側にはベルトのバックルでついた傷を付けるが、その様子を何かで見たら、職人が使っていたのがバックルをいくつか束ねた物で、ちゃんとバックルを使う律儀さが可笑しかった。 塗装面にできるヒビをウエザーチェックというそうだが、下地の木材とラッカーの収縮率の違いからできるようである。このヒビを見ていて連想するのは陶器の釉薬にはいる貫入である。これも同じく下地との収縮の違いでおきる。陶器の専門学校にいたときのことであるが、私は普段グズグズしているくせに作品ということになるとせっかちである。窯で焼成した後は何時間もかけて冷まし、急激な温度変化を避けるのだが、どうにも早く見たくて我慢ができない。学校近くのアパートにいたこともあり、懐中電灯を手に忍び込み、うっすらと窯の蓋を開けるとピンピンピンピンとガラス質の釉薬にヒビが入る音がしてあわてて締めた。もちろんそのことは黙っていたのはいうまでもない。 それにしてもボロボロな物に惹かれるというのは、何故か多くは男性のようである。ギターに限らずカメラなどもそうであろう。昔知人の引っ越しの手伝いにいった時、奥さんが旦那のコレクションに眉をひそめながら、「なんで男はこういうボロボロなものが好きなの?」といったのを聞いて『そういえばそうだな」と思った。奥さんは旦那と違って奇麗な物好きである。しかし奥さんを独身時代から知っている私は『あんたの男は旦那を含めてボロボロばかりだがな』。私は思ったことの八割は口に出さない。

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表紙の河童の三郎は制作時に、ある有名なジャズアルバムのジャケットが頭の中にあったのは明白だ、と先日書いた。そのジャケットと三郎は、一見たいした隔たりがあるように思える。なので久しぶりにクイズにして、正解者にプレゼントも良いな。と考えていたが、出版のお祝いの時に、スライドで早々にバラしてしまった。後で考えると、このアルバムを知らないと面白くなかったろう。客筋からすると知っている人はほとんどいなかったに違いない。まったく反応がなかった。マックス・ローチの『ウイ・インシスト』である。当時の公民権運動を勇気付けたといわれる。いわゆる“プロパガンダジャズと称された問題作である。K本の常連席ではありません、といったらようやくウケた。 以前知人が一人でK本に飲みにいって、デイープサウスの黒人ばかりの店に一人で入った白人の気持ちだった、と訊いて大笑いしたが、実際はそんなことはなく、どんな未開の土地へもパンツを履かせにやってくる、白人の宣教師に怯えているような心優しい人ばかりである。その白人の気持ちだったといった人は、南青山で有名な店を経営している人物であるが、私が二十代で始めてその店に入った時、ただ商品の値段を尋ねただけなのに、何が気に入らないのか怒られているようであった。しかし現在、フェイスブックなど観る限りすっかり変身して、いつもニコニコしていて随分話が違う。やはりパンツを履かせられたくなかった口なのであろう。というわけでこの三郎。特に何を考えて制作したわけではなかったが、「俺にパンツを履かすなよ」。という三郎にしたかった。

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一日  


ようやく人心地ついて個人的な本の発送の準備をしている。発送でなく準備、というのが私らしい。その間もスライドとともに流した今拓哉さんの朗読を聴いている。鏡花は体言止めなど、様々な術を駆使し、鏡花独特の世界に読者を引きづり込む。 私は本を読んでいると、常に頭の中に映像が浮かび続ける。今“鏡花独特の世界に引きづり込む”と書いていたら黒紋付き姿の鏡花が河童のように。必死で嫌がる人間を沼に引きづり込む姿が浮かんでしまった。河童は人間の尻子玉を抜く、というが、それは水死体の肛門は、ぽっかりと開いているそうで、それが河童が尻子玉を抜いたせいだ、となったらしい。それはともかく。 鏡花には判りにくい表現も多く厄介ではあるが、それも引きづり込むためのツールであろう。訳の判らないうちに鏡花世界にはまってしまう。私は一度だけ友人等と四泊五日のツアーでニューヨークにいったことがある。もしもう一度来ることがあったら、濃縮のそばつゆを持参し、就寝の前に杯に一杯飲んで、この変な物ばかり喰う国を呪う気持ちを鎮めることにしようと思ったが。(その日はライブハウスでフライドチキンに透明なシロップが添えられていた)さらに長期滞在の場合は鏡花本を持参するべきだ、と考えたのを覚えている。周りの空気をたちどころに一変させ加湿してくれるであろう。 それにしても鏡花には縁がない、と思われるご近所の方々が、飲酒しながらに関わらず、ジッと一時間も画面に集中し朗読に聞き入ってくれたのは嬉しかった。もっともあれを聴いたおかげで読まないで済む、という不埒な輩もいたが。今回は録音であったが、これは是非生で聴いてみたいものである。私は事前にバージョン違いを聴いていたが、一息で長く語るほど迫力が増すのが判った。生であればさぞかし。

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昨日は極身近な方々限定で集まってもらった。k本の常連から主にえらんだ出演者だったこともあるし、私が制作中、ヘロヘロになって閉店間際に現れたりしていたのを知っている方々に、まずはお礼をいいたかった。何しろ下町の人達である。銀座で個展をすると、歩いて来られる場所なのに娘に連れて来てもらい、硬直した顔のまま帰られたりするのを何度も体験していると、お知らせするのも申し訳なかったりする。気兼ねなく集まってもらおうとすれば、できるだけ近所で、知り合い限定にする必用があった。硬直して帰った一人が聖路加で心臓手術したばかりのGさんで、昨日書いたように長い握手で、この集まりを持ててよかったと実感した。 元大工で80過ぎて元気なSさんは前日に、最近胃痙攣を頻発し、明日は迷惑かけそうだから参加できない、とわざわざ知らせに来てくれた。あまり暑いので、昼間から飲んでいたのが悪かったのかもしれない、と呆れた分析をしていたが。Sさんは以前から、私が何をしているか判っていないような気がしていた。人形を作っていることも知っているが、作品を見てもただ黙っている。これがなんで実物大になって写っているのか?それが原因ではないだろうか。今回は、メイキングのスライドを見てもらいながら解説をした。これでSさんに感想をいわせることができると思っていたのだが。残念だがまたの機会となった。 30人収容の部屋といってもパイプ椅子を並べて、というわけで融通は利く。十代の頃から付き合いが続いている工芸の専門学校の友人5人も呼んだ。そろそろ帰る、というので出口まで送ったが、Hが本を持ってない。「あれ?お前本は?」するとHはいった。「本てなに?」。 皆で乾杯をし、朗読とともに作品のスライドを観、さらに長年の友人の制作行程の解説を聴き、母とも話し、4時間以上過ごしたあげくの帰り際のセリフである。一応いっておくが、アクセサリーの工房を営む男で決してバカではない。しかし笑わそうとしていっている訳ではないことも私は良く知っている。よってこの4時間。お前はどういうつもりでここに居たのだ。と訊く予定もない。つまり様々な人とともに、ここまで取りあえず生きて来た私である。ということで本日はお開きに。

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出版に際して個展など催すべきだろうが、当ブログをお読みいただいている方はご存知のとおり、締め切りの土俵際で粘ったおかげで、出版後のことを考えている余裕はなかった。出版時期もギリギリまで決まらなかったのではしかたがない。しかしご近所の方々に、手足だけ、目と唇だけまで含めると9人も被写体として参加いただいている。取りあえずは皆さんに出版の報告をしたいと思っており、出演者のお一人がまとめ役を引き受けてくださった。会場は近所の古石場文化センター会議室。 昨晩から朗読に合わせて上映する画像データの整理でほとんど寝られず。会場に到着すると、お借りしたPCが会社用で、セキュリテイーが厳しくすんなり作動せず、代わりのPCが到着したのが開場直前。リハーサルが一度もできなかった。パワーポイントを使うはずが、私自身が理解しておらず、結局朗読に合わせてただ画像を送るだけとなった。おかげで前後の画像が見られないので、没カットもこの際、と2割ほど加えていたのが少々アダとなる。それにしても稽古の合間を縫って朗読を録音いただいた今拓哉さんが素晴らしく、私はこの鏡花作品を脚注なしで、画だけで判るよう制作したつもりであったが、そこに今さんの声での解釈が加わり、より立体的になった。痛恨事といえば上映時間一時間、なんと最後の1カットを残し、トイレが我慢できず、急遽横で控えていてくれたKさん(もちろんアレじゃなく)に託してトイレに立ってしまい、帰って来たら終わっていた。 第二部では、完成前と完成後の画像を比較し、私が一人、どう格闘していたかを見てもらった。その辺りは努力の跡は決して見せてはならず、現地へ出かけてただ撮ってきました、というように見えないといけないわけである。本日限定のメイキング画像に、こちらも喜んでいただけたようである。 そして仕事でお疲れであったところ、K本の女将さんが駆けつけてくれ、会場の盛り上がりも最高潮に達した。さらに今さんも稽古場から間に合った。数日前心臓手術を終えて参加できない、といっていたGさんが、来て良かった。と握手の手をなかなか離してくれなかったのが、また嬉しい。 その後、何故かこんな夜なのに関わらず、某所で区の土木課の人とブルースを演奏し、暗いフォークソングメドレーを4時半まで聴くはめになったことは長くなるので止めておく。

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今拓哉さんにお願いした朗読の録音は、本日も午前中頭から2回聴いてしまった。当初音楽があったほうが、と考えていたが、静かにじっくり聴いてもらったほうが今回の場合良いような気がして来た。鏡花に親しんだ人など皆無であろう。生涯最後の鏡花になる人も多いであろう。そのためにも、アルコールが沁みないうちにやったほうが良いというのが、集まっていただくメンバーをおおよそ知っている私の感想である。市ヶ谷の三島にはなりたくない。 稽古の空いた時間に録音してもらっているので、いくつにも別れている。それを編集しなければならないのだが、音の編集などやったことがない。期日も迫り、私が触ったことのないソフトで何かしようということ自体に無理がありそうである。何がなにやら判らないうちに、結局ご本人が編集までやってみてみる、ということに。申し訳がない。 書籍に使用した画像はたしか74カットだったと思うが、スライド上映用に、ボツになったカットを差し挟んでいたら90カット近くなった。午後から取りかかり、画像データのサイズ変更と順番にナンバーをふった。これで今さんのおかげで、本をくばって、ただ飲酒に耽るだけの会にならずに済んだわけである。 7日には店頭にならぶので表紙画像をアップした。帯には“この河童、鏡花に見せたかった!”どこかで聞いたことがあるような?同じ編集者の私の一冊目『乱歩 夜の夢こそまこと』は“こんな乱歩が見たかった!”確かに違うっちゃあ違うが。 サプライズというにはセコいが、帯の下には動物が一匹隠れている。

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午前中『貝の穴に河童の居る事』の朗読の録音をお願いしていた、舞台俳優の今拓哉さんが、稽古場にいくついでに、録音データを届けてくれた。忙しいのに有り難い。書き込みだらけの原稿を見てしまったし。読み込んでいる、という話も漏れ伝わって来ていた。お礼もそこそこにとっとと部屋にもどり聴く。そもそも今さんにお願いしようと思ったのは、様々な声色を使うのを時々耳にしていたからで。主人公の河童は勿論だが、年頃の娘や年増の女房、女顔のミミズクなど、徳川夢声に頼むより良いだろう。ページをめくりながら笑わずにいられないところや、女顔のミミズクが色っぽかったりさすがの表現力である。機会があれば生で聴いてみたい。ご近所のド素人の出演者の方々、レミゼ俳優に声の吹き替えされるのはどんな心持ちであろう。録音に合わせて上映するスライド用の画像をストーリー順に制作する。本とまったく同じにすることもない。この際、ボツになったカットも所々入れてみた。 ご近所限定のお祝いの会は、定員30人ほどで、できるだけご近所の方に来ていただきたいので、舞台となる神社の撮影に付き合ってくれた友人以外は誘わなかったが、区の文化センターで普段、講座や教室をやるような部屋を借りるので、パイプ椅子を増やせば融通はきく。十代からの付き合いである工芸の専門学校の友人も誘った。一人の先輩は「ネクタイ着用?」というので「当然そうですよ」。まさか、という答えを想像していたのだろう。絶句している。ひっかけた後、一日くらい放っておいて面白がりたいのだが、私にはそんな根性はない。 他にも方々に連絡したり本を発送したり。私はあれをやったりこれをやったりが苦手である。ようするに要領が悪い。なんでこの場面でギターを爪弾く?たいしたことをしないまま時間だけが経ち、二度と戻ってこない一日がまた終わる。

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夕方、近所にある『深川』編集部に『貝の穴に河童の居る事』を持っていく。隔月刊の地元のミニコミ誌だが、昔作家シリーズを6回だったか連載したことがある。永井荷風はまだしも村山槐多まで。2冊目の本はこの時の文章が元になっている。 風濤社のSに渡す物があり、ちょうど鏡花展をやっているので、通っているという千代田図書館に行く。近所の人達がやってくれる出版祝いの打ち合わせがあるので、さっとしか見ることができなかったが、大きなパネルの『貝の穴に河童の居る事』の出版年が昭和6年のところ9年になっていた。関東大震災で東京が被害にあい、それをきっかけに鏡花は旅に出て、それにもとづいた作品を何編も書く。その房総物の一編がこの作品である。柳田國男に演じてもらった鎮守の杜の翁は、油差しと灯心を携え、神社の灯籠に灯をともす役割である。その灯籠に昭和何年、と作られた年が刻まれていたが、それを鏡花がこの神社を訪れた年か出版年に換えたら面白いかな、と考えたが別に面白くないので結局消した。数字が覚えられない私が、それで覚えていた。 数日経つが、未だにちゃんと読んでいない。文章としては私ほどこの作品を熟読した人間はいないであろう。鏡花は己の世界に読者を引っ張り込む為に、あらゆる術を使う作家だと、嫌になるほど実感させられた。本作はそこに鏡花の幼児性とでもいうものがプラスされている。サインでも失敗すれば私の物として気安く読めるが、もったいなくてちゃんと開いて読んでいないのである。 8時閉店のK本に間に合う。たまたま紙袋に一冊入れていた。「何それ?」「ダイナマイトが入ってます」。中学生の頃だろうか、『ミュージックライフ』のゴシップ欄で読んだ、旅客機の中で二ューアルバムを鞄に入れたサンタナのメンバーが、酔っぱらってそう叫んで大騒ぎになったというの思い出していた。

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昨晩より寝ずにマントを着けた変身ヒーローの着彩、仕上げ。本日入稿である。河童に続いて変身ヒーローとは。私もなかなか間口が広い。その前はドストエフスキーだし。著者のご指名ということであるが、奇妙なヒーローである分、私にはやりがいがある。すでに変身後だが、普段は普通の男で、あるきっかけで筋肉がバンプアップし大きくなる。もっともハルクのように色が変わったり巨大になるわけでもない。ヒーローらしからぬところがミソであろう。 デジタル写真の良いところは数カット撮ってはPCでチェックができるので、入稿ギリギリまで粘れる。時間の指定は特になかったが、ここで一度寝て午後再開するかもうろうとしながら考えたが、結局続行。眠気で何度もマウスを落としながらも悪い感じではない。むしろ河童に取り組んだ最後の三週間の夢のような日々が蘇ってくる。 ベテランのデザイナーから良くいわれたものである。『プロなんだからさっさと済ませてあとは遊ぶんだよ』。私の場合、遊んでいても今家で仕事してたら、もっと良くなったかもしれない、と気が気ではないだろう。近所でばかり飲むのもそのせいである。デザイナー氏としては、追いつめられる前に実力を出して、さっさと遊ぶのがプロだよ。ということなのであろう。最後のひと絞りで一変することもあり、なかなかそうスマートにはいかないのである。 午後何時であったろうか。S社にデータを送る。編集者より、すぐに電話をもらう。喜んでもらっているのが電話から伝わってくる。F社のSとは大違いである。完成して逆転したように喜んでもらうことが今年は続いている。

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母に本を送ったら電話が来た。登場人物に母も見知った顔がある。「Mさん随分顔がでてるわね」。一般人なので顔は隠すと思っていたらしい。素人役者衆は、その素業人格は審査項目になく、ただ顔だけで選んでいる。母が次回は私の出番?というので「妖怪はもういいよ」。

私くらいフレッシュな作家だと、フレッシュなボクサー同様、チケットならぬ書籍を自分で売ってギャラに換えなさい、と。ジムならぬ出版社よりある程度現物が送られてくる。そこで前の二冊同様、HPでサインや為書きなど入れて販売したいと考えているが、昨年まで使っていたウインドウズが壊れて以来、今年に入ってHPをまったく更新していない。そもそもパソコンを始めたのはHPを作るためであった。 作家シリーズを始めて作品を見てもらおうと某出版社に電話をしたが、“作家の人形を作ってその写真を撮ってます”。自分でいってて実につまらなく聴こえる。私だったらこんな奴会わない。いかにもちょっと変ったことをして一人で喜んでる可哀想な奴にしか思えないではないか。と思ったら先方もそう思ったらしい。そこで営業用のツールとしてHPを立ち上げた。これで職員室に呼び出されて説教されているような気分から解放される。日本にいる限り、見りゃ解るだろ、という訳にはいかないのである。 2000年当時はネット環境も今とは大分違い、HPの画像はとにかく軽く、という時代であった。作品をデジタルでとは夢にも思わず、マックは全体からすれば、一部のデジタル加工するような変わり者用だと思っていたのでウインドウズにした。ワープロすら触ったことがなかったので、HPビルダーのマニュアル本を、隣の部屋のすみまで放り投げたりしながら格闘したものである。そういえば編集者Sは、彼が某美術雑誌にいた頃、稲垣足穂特集のインタビューで知り合った。昔別の雑誌のインタビューで、私がでデジタルに対しボロクソいったのを覚えていて未だにいうのである。何がどうなるか判らないので、最近は私はこうである!などと大きな声でいわないようにしている。

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