仙谷官房長官菅首相擁護発言に欠けている「人間は利害の生きもの」であることの視点(1)

2010-07-09 10:58:28 | Weblog

 「Google」を検索していたら、次の記事が目についた。《「メディアは野党的」官房長官がマスコミ批判》MSN産経/2010.7.7 16:52)

 仙谷官房長官が7月7日に東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演したときの発言として載っていた。

 菅内閣の支持率の低下について――

 仙谷官房長官「ジャーナリズムは基本的に野党的でなければ存在理由がない」

 仙谷官房長官「雨後のたけのこのように小党が出て、テレビ番組で平等に時間や出番が与えられた。選挙になると野党が、途中から(支持率が)伸びてくるという傾向がある」

 最初の「ジャーナリズムは基本的に野党的でなければ存在理由がない」は、「野党的」だから、与党に不利に働いて、与党は支持率を下げることになるとする示唆であろう。果して必ずそうと決まっていることなのだろうか。明らかに菅首相の消費税発言の唐突さ、中身の曖昧さ、発言のブレが増幅させた菅内閣への不信と支持率の低下であり、その反動としての野党への支持の流れであろう。

 一般的には与党の支持率と野党の支持率は相対関係にあるからだ。この野党の中には無党派層を加えなければならない。与党の支持率が勢いを失った場合のみ、失った分をほぼ吸収する形で無党派層を加えた野党が支持率を上乗せする。

 また、「ジャーナリズムは基本的に野党的」はごく当たり前の姿勢であろう。御用ジャーナリズムでなければ、一般的には権力の監視者の役目を自らに課している。

 尤も左派系、右派系に分かれていて、政府が自らの立場と対立する系統なら、監視者の役目を、同じ立場なら、同調者の役目を担う。

 例え立場を同じくする政府・権力であっても、個別の政策で自らの立場に反する場合はその政策に限って批判者の姿を取るケースもある。

 決して「野党的」であること、あるいは、「選挙になると野党が、途中から(支持率が)伸びてくるという傾向」であることが原因の支持率の低下ではないはずだ。

 鳩山政権が「政治とカネ」と普天間問題で支持率を下げたにも関わらず自民党が支持率を上げることができなかったのは、党内抗争があったことにもよるが、自民党政治が何よりも支持を失った時期が、いわば国民の多くが自民党政治そのものにノーを突きつけた時期が余りにも近いことも原因していたはずである。健忘症に罹るには時間がそんなには経っていない。
 
 ノーを突きつけておいて、時間も経たないうちにそれを撤回するのは自身の責任に絡んでもくる。

 民主党の場合は鳩山政権から菅政権に代ったことによって、有権者の多くはそれをクリアすることができた。

 また、野党時代の民主党はメディアの「野党的」であることの「存在理由」と響き合って、有利な評価状況を手に入れることができ、政権交代にそれなりの恩恵を受けたはずである。

 政権を取ることによって、プラスマイナスが働いたということではないのか。

 記事はこの二つの発言を伝えているのみで、批評も批判も加えていない。だが、記事題名は「メディアは野党的」なる発言を「マスコミ批判」の発言だとしている。

 より詳しい発言の内容を知ろうと思って、動画を探したところ、《官房長官の動き- 日本外国特派員協会 講演 -平成22年7月7日 - 政府インターネットテレビに出会うことができた。(後出参考引用)

 てっきりこの発言があるもとした予定調和で、あるいは最初から決めつけた固定観念で順次文字化していったが、これと思しき発言に一向に出くわさない。動画は講演のみを伝えて、普通は講演後にある記者との質疑応答がない。インターネット記事の中には、「講演」ではなく、「日本外国特派員協会での記者会見で」と表現し、「質問を受け」と書いているから、仙谷官房長官と各メディアの記者との質疑応答があったのは間違いないから、「政府インターネットテレビ」は記者会見の部分を省いたのだろう。

 前半の講演と後半の記者会見で全体を成すはずだが、それを前半の情報のみの提供で、後半の情報を未提供としたのは一種の情報操作に当たらないだろうか。疑うなら、そこに個人の発言としてなら構わないが、政府の見解とされた場合、まずいことになるからと証拠として残さないことにしたとも考えることができる。

 さしずめ、〈日韓請求権協定で消滅した個人の請求権について「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか、物事が済むのかという話だ」と述べ、政治的判断で個人補償を行うべきだとの考えを示唆〉、〈仙谷氏の発言は日韓両国の間に波紋を呼ぶ可能性がある。〉(《日韓戦後処理は不十分=「改めて決着必要」-官房長官》時事ドットコム/2010/07/07-19:35)といったところが証拠として残しては不都合な箇所かもしれない。

 証拠さえ残さなければ、発言自体は時間の経過と共に風化するのを待つ・・・。

 仙谷官房長官は上記「MSN産経」記事の「選挙になると野党が、途中から(支持率が)伸びてくるという傾向がある」と同じ趣旨の発言を5日午後の記者会見でも行っている。

  《仙谷官房長官「この種のことはよくあること」 内閣支持率低下に》日本経済新聞電子版/2010/7/5 17:38)

 報道各社の世論調査で内閣支持率が低下傾向にあるとの指摘に対して――

 仙谷官房長官「選挙になれば、(メディアで)与党と野党がまったく平等に扱われる。この種のことはよくあることだ」

 仙谷官房長官「自らがこの(消費税や財政、社会保障の)問題に対して、本質的にどう考えているかをわざと外すために、説明の仕方が良い悪いとかいうところだけを主張されるのはいかがなものか」

 この発言を「日本経済新聞電子版」は、消費税に関わる〈野党の論調について〉述べたこととしている。

 何日か前に当ブログで扱った「asahi.com」記事―― 《「世論調査、メディアの設問に問題」仙谷官房長官が苦言》(2010年7月5日22時1分)は題名が示しているように、メディアの世論調査の設問に対する批判として扱っている。

 6月5日の記者会見――

 仙谷「(首相の)説明の仕方が良いとか悪いとかいうところで評価するのは、ある種の(責任)回避的傾向だ」

 記事はこの発言について、〈報道機関の設問の設定の仕方に問題があるとの見方を示した。〉と解説している。

 さらに、〈仙谷氏は「メディアが消費税、財政、社会保障問題のポジション(立場)をちゃんと言った方がよい」とも述べ、報道機関はこれらのテーマへの主張を明確にした上で、首相発言などを取り上げるべきだとの認識も示した。 〉とも書いている。

 いずれの把え方であっても、菅内閣支持率低下の責任は野党にあるかマスメディアにあるかの外部責任説であって、菅首相自身の対応に責任がるとあるとする内部責任説を一切取っていない。

 「日経新聞電子版」は官房長官の消費税増税問題についての次のような発言も伝えている。

 仙谷「現在の日本の有権者、中学生、高校生までそういうことを真剣に議論しなければならないというところまで成熟度はあるのではないかと私は理解している」

 だから、菅首相の消費税発言は間違っていないと間接的に主張している。

 だが、この発言には人間は利害の生きものであるという視点を完璧に欠いている。それも生活が最大の利害であるということを。だから、キリスト教をこのことを諌めるために、「パンのみにて生きるにあらず」と言った。裏を返すまでもなく、人間がどうしようもなく「パンのみにて生きる生きもの」となっているからだ。

 分かりやすい一例を挙げると、平成20年度の育児休業の女性取得率90.6%に対して男性は1.2%。男たちにとっても育児休業を取って女性の育児負担を軽くしなければならないと「いうところまで成熟度はある」はずだが、頭ではそう理解していても、会社で男性が育児休業を取ったら、会社の評価が悪くなるのではないか、誰かに仕事を取って代わられるのではないのか恐れて実際行動となるとなかなか実行できない。

 消費税の議論をしなければならないと頭では理解する程のに「成熟度」に達していても、生活のことを考えると、上げて欲しくない。

 そういった中低所得層の生活の利害から発した不安を先ず下げるところから出発すべきを菅首相はいきなり「自民党10%案参考」をぶち上げた。自民党は野党である。実際に増税案を国会で成立させて施行まで運ぶ当事者は与党民主党の菅政権であって、野党自民党ではない。当事者が言い出したことだから、当然、収入が少ない国民に向かう程、切実さを身近に受け止めることとなって敏感に反応したに違いない。

 だが、仙谷官房長官は野党かあるいはマスメディアに責任を転嫁し、菅首相には責任なしとしている。これも消費税増税の必要性を頭では理解していても、収入の点で増税を簡単には受入れることがなかなかできない、人間が生活の利害の生きものであることに真に目を向ける視点を欠いていることからの責任転嫁に違いあるまい。 

 仙谷官房長官菅首相擁護発言に欠けている「人間は利害の生きもの」であることの視点(2)に続く

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仙谷官房長官菅首相擁護発言に欠けている「人間は利害の生きもの」であることの視点(2)

2010-07-09 10:06:25 | Weblog

 仙谷官房長官/外国特派員協会講演(10年7月7日)

 (思いついたことは丸カッコつき青文字)
 
 《官房長官の動き- 日本外国特派員協会 講演 -平成22年7月7日 - 政府インターネットテレビ》

 「えー、ご紹介、を、いただきました、アー、仙谷で、ございます。えー、今度の、オー、菅、んー、政権のことで、官房長官という役目をー、与えられております。えー、仙谷時代、という、お話がございましたが、エー、実は、あの、私自身は、あの、1964年に生まれておりまして、えー、日本が、アー、ポツダム戦争、ポツダム宣言を受諾して、えー、戦争が終わって、自由な時代になったということで、私の、オー、その下の名前と言うか、ファーストネームが、アー、つけられた。えー、由人というのは自由な人を、自由な時代に生まれてきた人間と、オー、リベラルなのか、フリーマンなのか、えー、分かりませんが、まあ、そういう、意味でございまして、まあ、悪く言うと、オー、半生は割りと自由奔放に、あの、勝手なことを、オー、考えながら、勝手なことをして、エー、生きてきたというのが、アー、40、4、5歳までの、ことでございますが、あの、それから政治の世界に入って。

 選挙をやるようになればですね、あんまり勝手なことを言って、、勝手なこともできない。衆人環視の元で日常生活を送ると言う、ウー、窮屈さを、感、感じながら、仕方がないかと。そしてこのたび、ま、昨年の9月から、アー、アー、行政刷新担当大臣に、なり、国家戦略も担当し、今度は、官房長官でございまして、この官房長官というのは、ますます、ウー、セキュリティの関係もあって、みなさんが、周りを囲んでくれますので、衆人環視どころかですね、箸の上げ下ろし、トイレの仕方まで、すべて、あの、守られているという存在でございますので、えー、甚だ、あのー、自由人としては、窮屈な、あの、思いをしておりますが、しかし、それも役割、あの、使命でございますんで、エー、何とか、その役割、を果たすことができるように、イー、やってみたいなあと思って、おるところでございます。

 あのー、さて、短時間で喋れと、ということでございますので、えー、大きく言えば二つ、お話をしたいと思います。

 えー、第一点は、この鳩山政権、えー、民主党政権の、オ、そして菅政権の持つ、ウー、歴史的、意味、といいましょうか歴史性ということでございますが、もう一つは、あのー、私が、野党時代からも、あのー、オ、あのー、この国には全く、ウー、とりわけパブリックセンターには、経営という、ア、観念がないと、ウー、ガバナンス、マネジメント、いう観点がなさ過ぎると、いうふうに感じて、おりまして、えー、今公務員制度改革、あるいは今行政刷新と、いう名前で、えー、言われている、ウー、事柄は、改めて日本に、イー、パブリックマネジメントを、ヲー、確立すると、ヲー、新たなこの時代にふさわしい、イー、マネジメントを確立すると、いう、思いで、えー、まあ、色んな抵抗があったり、あるいは、メディアからの、いわゆる批判の、に、ありますけども、まあ、そんなことはあんまり頓着しないでやってみようかなと思っていることを、ヲー、お話を、ヲー、させていただきたいと思います。

 で、先ず、その、鳩山政権、あるいは菅政権、が持っている歴史性でありますが、これはみなさん方がご存知のように、一つは、長く続いた、アー、自民党一党支配と、半分の民主主義と言われているような状況を、ヲー、完璧な、ア、形で、選挙によって、エ、政権交代が成し遂げられたと、いうことであります。

 これは民主主義、という、ウ、ものの、本質から言って、えー、銃砲や、大砲で政権ひっくり返るのではなくって、あるいはゼネストで選挙がひっくり返るのではなくって、投票で、政権が、えー、政権が変わるということの持つ意味というのは、ある意味で、えー、人類の、オー、この世界にとって、極めて、重い意味を持つと。

 (国にとっての選挙による初めての政権交代という形式の転換に関しては重い意味があるが、交代した政権の中身や結果・成果まで重い意味を持つとは結果・成果を見てみないと不明。)

 効率は悪いけども、そしてときどき選択が間違うけども、しかし、政権が変わることによって、エー、もたらされる、その政治の、オー、その進歩と申しましょうか、成熟、あるいは、アー、被害を受ける、ウー、人々が、そういう、透明度の高い、イー、政治によって、えー、被害を受ける人々が少なくなるという、ある種の私は人間の知恵だと思いますけども、そこに日本がようやく到達したという意義があります。

 (これは交代した政権が国民生活に役立つ運営をして初めて言えること。今のところ未知数。今後の判断。)

 もう一つは、アー、時代が、アー、みなさん方も、これもよくご存知のように、先進国に於いては、アー、基本的に、イー、産業の、大転換、サービス化せざるを得ない、状況に立ち至っている。少々、日本も、オー、立ち遅れているかもしれませんけれども、しかし、知識経済と言われているようなところに、世界経済、あるいは先進国の経済が、あー、入ってしまったと言うか、入らざるを得なくなっている。この、歴史的な、分水嶺の中で、成立した政権であると。

 (経済のサービス化は競争がもたらしている現象であろう。過去の独占時代から比較独占時代に入り、種々の規制緩和によって、新規参入が起こり、競争が激しくなったためにふるい落とされないために、あるいは生き残るための戦い――競争が激しくなったことがサービス化の現象として現れた。政権交代が当たり前となると、政権を得るための大衆迎合の政策、大衆に受入れやすい政策でおもねる負の面が露出する欠点も生じる。民主党自体がそういった側面を戦術として使用しなかったとは決して言えない。マニフェストに国民への約束として掲げながら、実際には実行できない政策が生じたということは、必要不可欠としていなかったことになり、迎合と取られても仕方があるまい。)

 こういう二つの、オー、大きな政治、歴史的な、アー、意味を持った、政権だということを、先ずは頭の中に入れて、えー、政策、提言、あるいは政策実行を、していかなければならないと、いうふうに、イー、考えているところでございます。
 
 えー、その文脈の中で、成長戦略、当然のことながら、考えていく。強い経済・強い社会保障、そしてぇー、えー、強い財政、ということを、大目標に掲げ、これから政策の展開と、実行を、行っていくわけでございますが、私共が知識経済、というのは、労働力という観点から見ると、良質の労働力、サイ、再生産、を、ヲー、これを効率よく。そして、エ、できる限り、イー、その落ちこぼれのない、イー、社会構造を、つくると。すべての人がそうなるとは、なかなか、アー、夢のような話でありますけれども、しかし、エ、知的能力を上げて、そのことによって、生産性を上げていくということが、この知識経済の基本であると、私は思っておりまして、そのためには、何よりも、年金制度も、収拾(?)はつきませんけれども、何よりも私は日々の労働力の再生産のためには医療、そして世代的な労働力の再生産のためには、これは教育と、あるいは職業再訓練も含めた、子どもの教育、大人の教育。ここに重点的に投資をするというのが、アー、非常に大きな意味を持つであろうということを思っております。

 で、まあ、あの強い経済、日本の得意とするモノづくり。エ、川上から川下。川中、川下までですね。エー、素材から部品から、アー、そして組み立てから、アー、あるいは、その前段階の・・・能力(?、聞き取れず)開発、いうことを含めて、えー、日本の得意な技も発揮しつつ、しかし、改めて、人材、人づくり戦略というものを、進めていかなければならない、というのが私の基本的な考え方でありまして、まあ、成長戦略のつくる際にも、たまたま、そのポジションにおりましたので、そういう観点から、人づくり、そしてグリーンイノベーション、グリ-ンイノベーションに基づく、ウー、システム輸出と申しましょうか、まあ、パッケージ輸出と申しましょうか、あるいは、世界に、グリーン、日本の持てる、環境技術で、貢献をすると、いうことを、大目標に、したわけでございます。

 それから、次のガバナンス、マネジメントの、点なんですが、私は、あの、まあ、商売人の家系に、生まれておるわけですが、それ程たいした商売人ではありません。そしてまた、倒産した、アー、ちょうど、昭和大恐慌、1929年の恐慌の頃に、うーん、多分、破産した、倒産した、えー、家系でありますが、アー、しかし、多少は、あるいは商売人の血がDNAであるのかなと、いうふうに思っておりますが、あのー、政治をー、ウー、経営的な発想で、エー、考えてみると、どうなるんだろうと。

 で、私が、アー、経営学、経営術で、エー、割と親しくさせていただいたり、教えていただいたのは、、ミスミグループの会の三枝匡さんというですね、この人、私よりも歳が一つ上でありますが、その当時としては珍しく、スタンフォードでMBAを取って、そしてボストンでコンサルティングをやっていたと思いますけども、日本人で初めての正式社員になって、帰って、エ、日本に帰ってきてからは、あの、企業再建の契約で(意味不明、酔っていてろれつが回らない感じ)、この方の、本を読んだり、話を聞いたりしますとですね、やっぱり企業の経営というのは、一番重要なのは、造って、造って売ると。このサイクルを如何に回せるかだと。

 こういう話をですね、先ず最初に造るのは商品をつくる。次は、その、その商品を売るための組織をつくる。そして売る。で、売るのはまさにマーケット、の現場との接点で、売れるかどうかだと。ま、こういう話でありますが、売れないのは売れない理由があって(笑う)、あるいは売れる場合も、その、長続きできるかというのが問題だと。

 で、その、そのマーケットの情報をまたつくるところにちゃんとフィードバックする。このサイクルを如何に回せるかだと、いうふうに彼は言うわけであります。で、これを、政治に応用すればどうなるのかと。エー、先ず、商品はやっぱり政策だろうなと。あるいは政策は、幻想かも分かりませんが、まあ、そういう、コンセプトをですね、えー、売っていくと、オー、いうことだろうと思います。

 で、これは、次のつくりは、これは政党であり、あるいは、アー、我が霞ヶ関の官僚組織を如何にうまくマネージメントできるか、あるいは、もっと言えば、官邸が、ヘッドクオーターとしてですね、その、総司令部としての、役割を果たせるかどうかということだと、思っております。

 (第一番に持ってくるのは製造・販売目的とする商品(政策)を製造・販売する会社(政党)の立ち上げであり、次が商品(政策)の製造であって、言っていることの順序が逆。)

 で、売れるかどうかは、選挙の結果だと。まあ、こういう話になるわけですから、あー、選挙の結果で、政策を修正し、あるいは微修正して、あるいは、これは選挙のみならず、今の時代は世論調査、というものがございますし、マーケットという存在も、オー、ございます。で、そこでの反応をやはり注意深く、そして、その意味を読み取ることに、が、重要でありますけれども、ここはやはり、それなりの各分野の、専門家のみなさん方の、お知恵を拝借する。あるいは、よくお伺いして、政策を修正し、あるいは、改めて、えー、選択と集中ですね、廃案をしたり、改めて政策をつくったりということもあるかもしれませんが、そういうマネージメントをやらなければならないと考えて、今も進めているところでございます。

 もう一つは、これは、さはさりながら、アー、会社そうでありますが、アノー、ソノー、組織の運営であり、マネージメントということになってくると、ダメージコントロールが、アノー、大変重要だと、いうふうに思います。

 で、アノ、私は、この間(かん)、この、気がつきましたのは、ダメージコントロールというのは天災や、あるいは、アー、事故・事件、ということだけではないだろうと、いうふうに考えておりましたから、おりました、おりました。ということで、えー、というのは、私が、まあ、法律家で裁判を、20年間は、相当、裁判の第一線でですね、やってきた経験もございまして、霞が関に入って先ずビックリしたのはですね、えー、まあ、よく言われる無謬、オー、・・・無謬主義と言いましょうか、無謬性神話と言いましょうか、そういうのが、この霞が関には相当多い、されています。

 そのために間違いは犯してはならないと、間違いを、オー、例えば訴訟が起こるということは、間違いを指摘されているに等しいと。あるいは訴訟に対しては、アー、これはできるだけ、隠密裏に処理できないかと、先ず苦労してみるとかですね、あるいは訴訟というものがマイナスのものであるという、こういう文化があるのではないかと思うぐらいの風潮に気がつきました。

 これは実は必ずしもその、日本人総体がですね、こういう物事の解決の仕方で、えー、日本の世の中を、オー、治めてきたというか、纏めてきたと、いう部分がございまして、これは、ある意味では、アー、アメリカ的訴訟社会と言われるもののような、あるいは弁護士だけが大儲けをする、あの、今度のメキシコ湾の、あのー、オー、あの(頭を下向きに目をきつく閉じて、記憶を呼び起こそうとする。)あの重油の、あの重油の、流出事故でも、最後に蓋を開けてみると、儲かったな、と言うのは弁護士だけちゅうことになるんじゃないかというような、冗談がときどき聞こえてきますけども、そこまで行過ぎた訴訟社会というのはですね、えー、私は決して望みませんけども、しかし、物事を、ア、社会的な紛争解決、アノー、社会的な紛争、あるいは病理現象を解決するのに、訴訟という手段は、これはまた人間が考え出したですね、えー、優れたシステムだと、私は思っております。

 で、それも、ある程、ある程と言うよりも、基本的に、イー、独立した司法権の元で、えー、その判断をしていただくという作業をですね、これは談合で、えー、物事を処理するよりは、遥かに健康的で、あるかもしれません。そしてまた、そのことに税金が使われるとすれば、そういったオープンなところで、えー、こう、堂々と、あの、解決が図られればですね、それは、それで国民にとっては、納得性の高いものになるのではないかと思います。

 (裁判の決定がすべて「国民にとっては、納得性の高いものになる」とは限らない。酔っ払い運転で人を殺して、軽い刑で済んだ場合、あるいは利害、立場、主義主張の違いによって、裁判の結果に対する受け止め方がそれぞれに異なる場合、「納得性」を得ることが難しいことも起こり得る。自身が日韓間に横たわる従軍慰安婦等の補償問題で、「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか。(日韓関係の)改善方向に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければいけないという案件もあるのではないかという話もある」と言っていることは裁判の決定が「納得性」を必ずしも与えないことを自ら証明していることであろう。)

 で、それに対してどうするんだと、私は、この間、先だっても、沖縄の、オー、宜野湾市の、伊波さんが訴訟すると言っているけれども、記者会見で問われたんで、いや、それはどうぞおやりくださいと、私共は堂々と受けてですね、まあ、どういう訴訟か分からないんですから、アノー、裁判所で、えー、議論を展開してですね、そこで、裁判所が出した結論に従うと言うのは、それは大いにいいことじゃないですかと。

 (従わずに控訴・上告ということもある。最終的な最高裁の決定には従わざるを得ないが、不服を抱えた裁判結果に対する従属と言うこともある。)

 その前には、あれは(再び目をきつく閉じて、思い出そうとする。)何のときだったか分かりませんが、多分ですねぇー、地方に対する補助金だったんですか、あのー、宮崎県の、あのー、オー、オー、東国原知事が、訴訟をやるとか何とか、言ったんで、いやあ、訴訟、あのー、大いに結構、と、いうふうに言いましたけどねぇ、その後、沙汰止みになりましたが、いずれにしても、アノー、オー、訴訟で、訴訟をかけられることを恐れるなと。で、これ程いい解決方法システムはないと、いうふうに思ったほうがいいんじゃないかというふうに最近は考えております。

 で、これは実はですね、あのー、オー、大臣も政治家が訴訟にかけられているということの意味を、何かマイナスイメージで把える癖があると。現に、あのー、各省大臣も、あるいは官邸もですね、現に起こされている訴訟、あるいは、あのー、オー、送り起こされるかも分からない、訴訟というようなものに、イー、非常に無頓着、ウー、であります。知らぬ顔をしていると、してきたというのが、今までの経過、であったんではないかと、いうふうに思いまして、ここは解決するについての政治家が判断すべきことと、訴訟で、例えば進めるという、ことについて、それぞれ、恐れることはないと、いうことを霞ヶ関のみなさんに申し上げたい。

 これは実はですね、私がずうっと、10年ぐらい、あの、憲法調査会で、えー、まあ、会長代理とか筆頭理事で行ってきまして、あの、ヨーロッパ等々を、その憲法論的に拝見したときに気がついたのですが、これ企業も含めてですね、えー、トラブルを、つまりマーケットとの関係のトラブル、当事者との関係のトラブル。で、そのトラブルを。ヲー、社内的に処理するんじゃなくて、その対応・処理をアウトソーシングするということの方が、実は図って効率がいいことに、ヨーロッパ社会を、は気がついたんじゃないか。

 で、そのことが、オンブズマン制度であったり、色んな、機関、という、準司法的機関行政、エ、サービスを、でということが、そういうことを、アノ、つくっていかれている。つまり裁判との中間段階に、そういう解決機能を持たす、ているということに気がついてきました。

 そうだとすると、これは、アー、企業と、それを巡る、消費者とのトラブルのみならずですね、行政と行政サービスを巡る、ウー、タックスペイヤーとのトラブルもですね、ガイセイカ(外政化?外注化?)できれば、これ程いいことはないというふうに考えた方が、私はこれからの知識経済とか、あるいはサービス化経済とか、あるいは、もっと言えば、インターネット社会に於ける権力と、一人ひとりのアトム化された個人というふうな状況の中では、このー、行政の、を、フェアに、進めていくにとっては、その方がいいのではないのかと、いうふうに考えております。

 いずれにしても、あのー、よく言われる、これは別に霞ヶ関だけではないわけでありますが、官僚組織が成熟化して、くればくる程、無謬性と、そのための前例踏襲、ウー、主義、とでも言いましょうか、そういうものが、アー、政治の側から、それは違うと、こういう方向で、ちゃんと物事を考えて一緒にやろうという、そういうガバナンスを、オー、効いた、アー、政府をつくっていかなければならないと、いうふうに思っておりまして、ま、そういう観点から、これから官邸からの、オー、発信も、オー、進めて、えー、いきたい。そのことが、あのスピードを持った、そして、あのー、この歴史的な、ア、菅直人政権がですね、えー、その、ある種の自民党政権、自民党政治、オー、政治の下での行政と、違った、アー、色合いを出せるのではないかと、そんなふうに、今考えて、えー、まあ、難題ばかりですけれども、頑張ってまいりたいと思っておるところでございます。

 えー、それじゃあ、ちょうど・・・・(声が小さくなって聞こえない。)いただきます。ありがとうございました」

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