初当選から15年目だという社民党の辻元清美が離党した。最初の印象は副大臣の味を忘れることができなかったのだろう、であった。例え一省庁に限った副大臣という立場からのものであっても、人を指示・命令して動かし、最終的な中身の成果は別にして、政策を形にしていく権力の行使、その達成感は何ものにも代え難いものがあるだろうからである。
社民党本部や大阪支部で後輩や事務員に指示・命令する権力の行使とはわけが違う。副大臣の場合はときには知事に対しても指示・命令する権力の行使もあったに違いない。
あるいは野党時代に国会で与党の総理大臣や閣僚を追及する場面では味わえない権力の行使であり、追及で得るのとは比較にならない達成感を与えてくれたに違いない。
一旦味わった権力行使の心地よさを再び味わうには民主党に戻ることで実現させることができる。
「MSN産経」記事が辻元清美の離党記者会見の詳細を伝えている。(主なところを抜粋、参考引用)
《【辻元氏離党会見詳報】「現実との格闘から逃げずに仕事進めたい」》(MSN産経/2010.7.27 22:35)
辻元「私自身、今の日本の政治状況をみて、政権交代を逆戻りさせてはならないとの思いや、さらにはかつて私も「総理!総理!」と言いながら批判の急先鋒として反対を唱えたり国会で活動をしてきた。しかし一方、今の日本の政治状況は非常に危機的で、私自身、かつて野党として批判や反対の急先鋒に立ってきたが、それだけでは日本を変えることはできない。政権の中で働く中で、今すぐにでもいろんなことを具体的に解決しいく方向の政治を進めていきたいとの思いが強くなった。昨日は一睡もできなかった。果たして今の政治状況の中で私がどんな役割を果たせるのかとか、進むべき道がこれでいいのか、何回も考えた。しかし本日離党届を出す決断をした。今日は文書にまとめて今までの思いや経過をつくってきたので読みたい」
辻元「私は今日まで、社民党で政策実現を果たしたい、果たすためにはどのようにすればいいのか考え続けて行動してきました。それは、小さな政党にとって決して容易なことではありません。いつも現実を1ミリでも前に動かそうと苦悩を抱えながら毎日、試行錯誤をしてきました。
しかし本日、私は離党の決意をするに至りました」
辻元「これからは無所属議員として活動を始めます。願うところは、参議院選挙後の流動的な政治情勢の中で、私の政治信条を果たすべく、新たな挑戦に進みたいということです。
辻元「この間、連立政権への参加、普天間問題をめぐる政権離脱、そして参議院選挙という一連の出来事がありました。振り返って社民党の政権離脱は基本方針に照らしてやむをえなかったことでありました。私は、政治の場で筋を通す意義を大切に思います。市民の運動と連携していく重要性も十分認識し、共に行動してきました。
一方で小さな政党にとって政権の外に出たら、あらゆる政策の実現が遠のいていくことも心配でした。何がこの先、社民党の正しい方向なのか最後まで悩みました」
辻元「参議院選挙では、社民党は比例区で2議席を確保したものの、残念ながら大きく得票を減らしました。これは一体なぜなのか。おそらく社民党の筋を通す行動は認めつつも、しかし政権とかかわりながらそれを実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判もあったかと思います」
辻元「今後も私は、憲法9条を守り、弱い立場の人たちのための政治を目指すこと、それはいささかも変わりません。また私は20代のピースボート時代から、沖縄の方たちと戦争と平和の問題に取り組んできました。普天間基地問題の解決のために沖縄の皆さんと力を合わせてこれまで以上にがんばっていきたいと思っています」
辻元「私はいま、現実政治のなかで政策の実現の可能性をギリギリまで求めていく政治活動に出発したいと思います。それは、大海原に丸太で乗り出すことかもしれません。しかし、精いっぱい前に進みたいと思います。
辻元「またもう1つ、一番気になったのが沖縄問題。沖縄基地問題はいささかも考えは変わっていないし、これからも一議員として今まで政権にも働きかけを必死にやってきた者として、沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい。一番気になったのは、沖縄の基地問題で頑張っているみなさんに、離党することで沖縄の皆さんに間違ったメッセージになったらいけない。私はおとといから沖縄に行ってきて、昨日帰りに幹事長に会ってきた。今日、届けを出したが、社民党の皆さんで議論いただいて結果を待ちたい」
質疑応答(以降全文参考引用)
--離党はいつごろから本格的に考えたのか。相談した人はいるか。
「参院選の前から自分なりに色んな事を考えてきた。地元の皆様と相談した」
--先輩議員でだれか相談したか。
「1人で決めた」
--土井たか子には相談したか。
「土井さんにはこの後ご報告したいと思っている。私の政治の母であり、決断が鈍るというか辛くて事前に相談することできなかった」
--今朝、福島党首と会談した際に具体的にどのような話をしたか。
「福島党首への面会は今日実現した。数日前からお願いしていたが時間が取れないということで今日になった。私の思いを伝えた。その中で私は福島党首には頑張ってほしいと伝えた。福島党首とは20代からの友人関係にある。福島党首が立候補するとき、土井たか子さんと一緒に私が口説きました。政権の中でも、毎日電話をしながら仕事をしてきた。しかし、野党となった社民党がこれからしっかりと主張していくためには、やはり社民党の独自性を大切にして、反対すべきところは反対し、批判するところは批判すると、政権にいるときはなかなか言いにくいこともあるが、はっきりと主張し社民党の存在感を発揮してほしいと申し上げた。
しかし私自身は社民党の独自性を発揮するということになると、野党での対応ということになる。ただ、私の場合は、地元の有権者に選んでいただいた過程も、社民党だけでなく、民主党や国民新党、力合わせて3年前の与野党逆転から積み上げて野党協力で政権交代をしてきたという小選挙区出身の議員。地元をはじめ有権者は社民党の主張だけで私を選んだのではないと理解している。そういう有権者の声を私が受け止めて国会活動するには、社民党の独自性を発揮していくというだけでは、私が有権者から選ばれた過程や立場からして難しくなってきているということも伝えた。
福島党首は全国比例区で社民党の顔としてがんばった。選挙もくたくたになってがんばった。社民党は日本で非常に大事な、権力の暴走をチェックしていき、批判すべきものはしっかり批判する勢力として大切だと思っている。だから福島さんには頑張ってほしいと申し上げた」
--文書の政権とかかわりながら実現する道をもっと真剣に探るべきだ、と書いているがあくまで連立政権にとどまることが正しかったという辻元さんの考えがあるからか。「小選挙区で私は勝ちたい」と話したと福島党首から聞いたが、社民党では次は勝てないと考えたからか。
「社民党が沖縄の問題で連立から離れたことは私は間違ってなかったと思う。一部報道で批判的だったと流れていますが、間違っていなかった。ただ、いろんな声を聞くと、もっと政権の中で粘って、国民新党は食らいついてでも離れへんぞという姿勢でいますが、政権の中にいていろんな沖縄のみなさんの声などを届けたほうが効果的だったのでは、というたくさんの意見があった。これはまっぷたつだったと思う。
小選挙区の話ですが、私たち議員は選挙という厳しい洗礼を受ける。大阪10区で選んでいただいた過程は、3党で積み上げるように協力関係を作り上げてそれぞれ立場や主張が違うところがある人たちとも政権交代ということで協力してきた過程がある。与党と野党に分かれたといって、普天間問題で分かれてしまったが、お互い批判したり、攻撃したりすることもあるが、選挙をやっていくのは非常に難しいと苦悩していた。苦悩していたのは事実」
--前原大臣が今回の離党を受け「ぜひ一緒の会派で」というように述べたが、今後一緒にやる気持ちがあるか。
「まだ今日、先ほど離党届を提出したばかりなので、これからのことはまったく白紙だ。党もどのように検討いただけるかわからない。やりたいことはいっぱいある。待ったなしで進めたいと思っているのは湯浅誠さんたちと生活困窮者への総合的なサポートシステムを作ろうという話があった。動き出してはいるが、まだまだ雇用が厳しい中、これは何かお手伝いできることがあればお手伝いしたいし、経済の立て直しということで、国交相の中では観光立国推進本部の事務局長をやっていたが、関西だと関空の活性化とか、経済政策、私自身はNPOを作ったが、これも超党派で活動したいと。やりたい政策はたくさんある。党派を超え、内閣の中外をこえて私からも積極的に働きかけたいと思っている」
--社民党を離党することで、政権とかかわりながら実現する道は社民党より無所属の方が遠のくとも考えられるが整合性は。先の参院選で社民党新人候補を立てながら民主党の個人演説会に行った。真意を聞かせてほしい。
「1点目は私も随分考えた点。しかし一方、社民党という立場の枠を超えてもいろんな活動していきたいとの思いも強くあったので、離党ということに至った。参院選の対応だが、私は党対党、尾立さんにも前の衆院選は応援していただいた。政権交代を一緒に果たした仲間でもある。特に大阪10区での選挙では一生懸命応援してくださった。私はお返しもしっかりしたいと思っていた。大阪10区の政権交代を果たした国会議員は1人。尾立さんの会で国政報告したいとの思いで参った」
--尾立さんの応援で民主党に秋波を送ったのでは。
「社民党府連合と相談して行った」
--これまで自身は社民党の党勢拡大にどのようなことをしたのか。
「党勢拡大は、大阪だと国会議員だけでなく、大阪で市会議員、全国で3人作った。20代、30代の女性議員を作った。小選挙区で1人何としても新しい議員を作りたいと、服部議員が当選した。こつこつやってきた青年議員だ。次の選挙で社民党が頑張るには独自色を伝えるのが非常に大事だ。それが私自身の立ち位置、選挙基盤とずれてしまったのは否めない」
--やぶからぼうで、なぜこの時期の離党だったのか。参院選敗北の党の総括は終わったのか。福島党首の責任問題も含め離党が関係あるのか。
「参院選前から考えていたのは申し上げた通り。次の国会が始まる前に態度表明した方がいいと考えた。離党も考えながら一緒にいるのは適切でないと思う。何か一緒にするのもいかがかと思ってこの時期になった」
--党から慰留されているが、政権とのかかわりを密接にやっていくとかがあれば思いとどまる可能性があるのか。国交副大臣の経験、国会議員の少ない辻元の離党は打撃だが。
「党の皆さんには本当に申し訳ない。しかし私たちは党のために政治をするのでなく、国民のために政治をする。有権者の思いを受けてやる。そこを総合的に考えて踏み切った。決意は非常に固い」
--民主党に入りたいと思うか。
「先ほど申し上げたとおり、今日決断した。これから政界もどうなるかわからない。流動的になる可能性もある。今言うことは難しい」
--離党届はいつどこでどう出したのか。無所属で活動するギャップを埋めるにはアクションが必要だ。社民党連立離脱は間違っていないと評価する一方で離党。社民党に見切りをつけたと判断する有権者もいると思う。
「私はそうは思っていない。非常に重要な勢力だと思っている。政党に所属すると、ある意味政治姿勢に枠がかかる。本日大阪10区幹事長に提出し、そこから大阪府連に提出した」
社民党辻元清美の民主党入党を前提とした自己利害からの離党(2)に続く
これから挙げる発言はすべて民主党入党を前提とした、もしくは入党を欲求する発言となっている。
「沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい」はのち程説明するが、「政権交代を逆戻りさせてはならないとの思い」は最終判断は国民が負っているものの、その判断をどう導くことができるかは政権の中にいる者のみが可能とする出来事である。
いわば既に自身が政権の中にいることを前提とした発言となっている。
「小さな政党にとって政権の外に出たら、あらゆる政策の実現が遠のいていくことも心配でした」も政権にとどまりたい欲求を表している。
「参議院選挙では、社民党は比例区で2議席を確保したものの、残念ながら大きく得票を減らしました。これは一体なぜなのか。おそらく社民党の筋を通す行動は認めつつも、しかし政権とかかわりながらそれ(政策)を実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判もあったかと思います」――
「社民党の筋を通す行動」よりも、「政権とかかわりながらそれ(政策)を実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判」に重点を置いた発言となっていて、明らかに入党前提、あるいは入党欲求を示している。
「私はいま、現実政治のなかで政策の実現の可能性をギリギリまで求めていく政治活動に出発したいと思います」――
政権に参加していてこそ可能となる「政策の実現」であって、既に政権に参加する気でいる。
「社民党が沖縄の問題で連立から離れたことは私は間違ってなかったと思う。一部報道で批判的だったと流れていますが、間違っていなかった。ただ、いろんな声を聞くと、もっと政権の中で粘って、国民新党は食らいついてでも離れへんぞという姿勢でいますが、政権の中にいていろんな沖縄のみなさんの声などを届けたほうが効果的だったのでは、というたくさんの意見があった。これはまっぷたつだったと思う」――
「社民党が沖縄の問題で連立から離れたことは私は間違ってなかったと思う」と言いつつ、「もっと政権の中で粘って、国民新党は食らいついてでも離れへんぞという姿勢でいますが、政権の中にいていろんな沖縄のみなさんの声などを届けたほうが効果的だったのでは、というたくさんの意見があった。これはまっぷたつだったと思う」と賛否両論だったとしながら、前後の発言から実際は後者の「政権の中にいて」の意見に賛成していることは明白なことも民主党入党前提、あるいは入党欲求の発言と言える。
それを隠す必要からだろう、自身は前者・後者のいずれの意見に組みするかは直接的な言葉では明らかにしていない。
社民党の支配的理念は護憲・非軍事・革新であろう。いわば護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)としている。バックボーン(背骨)とは、それなくして全体が成り立たない中心の柱としてある最重要の信念・信条を意味するはずである。
全体が成り立たない関係にあるなら、社民党という政党に所属する以上、例え国民生活に身近などのような政策を訴えようとも、バックボーン(背骨)としている信念・信条から離れることは許されない。例え世間目にはそうと映らなくても、常にバックボーン(背骨)の信念・信条を背負った上での各政策でなければならない。
辻元清美は色々と自己正当化の弁を施しているが、単なる物理的離党ではなく、要は社民党がバックボーン(背骨)とし、自身もバックボーン(背骨)としていた信念・信条から離れるということを示している。
そのことは次の発言に現れている。
「私は今日まで、社民党で政策実現を果たしたい、果たすためにはどのようにすればいいのか考え続けて行動してきました。それは、小さな政党にとって決して容易なことではありません」――
人間は利害の生き物であり、最大の利害が自身の生活である。朝日新聞社の2010年5月2日記事の憲法世論調査によると、憲法9条を変えない方がよいが67%(変える方がよい 24%)でありながら、そのような国民の圧倒的多数の護憲意識が選挙で社民党に有利に働かないのは、憲法問題が現在のところ直接的な生活利害とはなっていなくて、国民生活に深く関わる年金問題や景気問題等の生活利害を優先して、そのことに力ある政党に投票が向かうからであって、直接的な生活利害に程遠い護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)の信念・信条とし、それで名前が通っている以上、小さな政党であり続け、当然、政策実現が「小さな政党にとって決して容易なことでは」ないのは覚悟していなければならない事態だったはずだ。
だが、「小さな政党にとって決して容易なことでは」ないと困難を訴えている。覚悟を失ったか、自分から捨て去ったからだろう。このこと自体が既にバックボーン(背骨)としていた信念・信条から離れていることを物語っている。いわば、「小さな政党」のバックボーン(背骨)としている信念・信条から離れた自由な場所で生活利害に関係する政策実現に意欲を持ち出したというわけである。勿論政権に関わらなければ、可能とすることはできない。
尤も本人はそうではないようなことを言っている。
「今後も私は、憲法9条を守り、弱い立場の人たちのための政治を目指すこと、それはいささかも変わりません」
「一番気になったのが沖縄問題。沖縄基地問題はいささかも考えは変わっていないし、これからも一議員として今まで政権にも働きかけを必死にやってきた者として、沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい」――
「沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい」は、民主党に入って色々と意見を言うことが可能となることを前提とした発言である。だが、社民党自身も辻元自身も届けることはできなかった。沖縄県民の声に反する形で移設問題が進んでいる以上、今後とも届けることはできないだろう。いくら「一議員として今まで政権にも働きかけを必死にやってきた」としても何ら効果がなかった結果責任を負っていながら、さも沖縄県民の期待に応えることができるような発言は不遜であり、無責任である。
今後とも憲法9条を守るという発言にしても、護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)」としていない立場での「守る」は守れないを前以ての予定調和とした「守る」の形式的な反対姿勢も可能となる。
次の記事がこのことを証明している。断っておくが私自身は改憲論者で、集団的自衛権の行使も賛成する立場にある。
《「核持ち込ませず」見直しを提言 新安保懇の報告書案》(asahi.com/2010年7月27日3時1分)
菅首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長=佐藤茂雄・京阪電鉄最高経営責任者)が作成した報告書案の全容を伝えている。
1.日米同盟の深化のため、日本の役割強化を強調
2.非核三原則の見直しと米国の核の傘の積極的容認
3.必要最小限の防衛力を持つとする「基盤的防衛力」構想の否定
4.集団的自衛権行使の限定的容認
5.専守防衛の見直し
6.武器輸出三原則の見直し
〈報告書は8月上旬にも首相に提出され、今年末に民主党政権として初めて策定する新しい「防衛計画の大綱」のたたき台となる。〉という。
〈自公政権時代の主要な論点をおおむね引き継いだ上に、長く「国是」とされてきた非核三原則に疑問を投げかけた内容が議論を呼ぶことは必至で、菅政権がどこまで大綱に取り入れるかが焦点になる。〉と解説しているが、アメリカの要請・圧力、あるいはアジア全体を含めた地域情勢の要請・圧力を勘案しつつ、時代はこの方向で進むことは間違いないはずだ。社民党の前身である旧社会党が自衛隊違憲を党是としながら、時代の流れに抗し得ず、合憲とするに至ったように。
〈米国による日本への「核の傘」について、「地域全体の安定を維持するためにも重要」「究極的な目標である核廃絶の理念と必ずしも矛盾しない」と評価。非核三原則について「一方的に米国の手を縛ることだけを事前に原則として決めておくことは、必ずしも賢明ではない」と指摘し、事実上、三原則のうちの「持ち込ませず」を見直すよう求めている。 〉
〈日本周辺の安全保障環境について、中国の海洋進出や北朝鮮の核・弾道ミサイル開発などに触れ、「米国の力の優越は絶対なものではない」と位置づけた。そのうえで「日本を含めた地域諸国が、地域の安定を維持する意思と能力を持つかが、これまで以上に重要」とした。〉
これは防衛力の増強を促す報告であろう。
さらに、〈こうした認識を背景に、報告書案は、米国に向かうミサイルを日本が撃ち落とすといった形での集団的自衛権行使に言及した。
武器禁輸政策で国内防衛産業が「国際的な技術革新の流れから取り残される」とも指摘。先端技術に接触できることや開発経費削減などのため、米国以外の国々との間でも装備品の共同開発・生産をできるようにするため、武器輸出三原則を見直すよう求めた。
冷戦時代に採用された「基盤的防衛力」という考え方について、「もはや有効ではない」と明言。この考え方に基づく自衛隊の全国への均衡配備を見直し、中国海軍が頻繁に行き来する南西諸島周辺を念頭に置いた部隊の配備や日米共同運用の強化などの必要性に言及。潜水艦の増強も「合理的な選択」とした。ミサイル防衛に関して「打撃力による抑止をさらに向上させるための機能の検討が必要」として、「敵基地攻撃能力」の必要性にも言及した。 〉と、専守防衛の見直しを謳っている。
例え辻元が無所属にとどまっていたとしても、あるいは民主党に入党していたとしても護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)としない民主党政権下にあって、あるいは再度自民党に政権交代したとしても、議員個人の中にはバックボーン(背骨)としている者がいたとしても、大勢を占めるわけではなく、時代的状況を受けて報告書の方向に進む中で、このような進展をどう阻止するというのだろうか。阻止不可能を予定調和とした個人的な反対にとどまることは明らかである。
勿論、社民党にしても阻止不可能を予定調和とした反対にとどまるだろうが、あくまでも個人を出て、護憲・非軍事・革新のバックボーン(背骨)を貫いた党としての反対である点、小さな政党であることを承知して踏みとどまらせようとする点が辻元の予定調和と大きく違う。
社民党のバックボーン(背骨)である信条・信念としてある護憲・非軍事・革新に添う当面の具体的最重要な行動は沖縄基地の、鳩山前首相が唱えた「国外、最低でも県外」移設に同調する動きであった。鳩山前首相は変節したが、社民党にとってはバックボーン(背骨)としているタテマエ上、変節という選択肢はない。それが鳩山前首相から社民党党首福島消費者相が罷免を受け、連立離脱という形となって現れた。
節を守った結果の、「政策実現」の困難性、あるいは不可能性であろう。
辻元がどう言葉を繕おうとも、民主党入党を前提とした、あるいは入党を欲求した「政策の実現」となっている以上(入党もしくは連携・連立を組まないことには不可能である)、例え民主党の支持を必要とする自身の選挙区の事情があったとしても、このことを上回って社民党が党のバックボーン(背骨)としている護憲・非軍事・革新に関係ない業務を担当している国土交通省という役所で副大臣として政策を進めてきた経験が仕向けることとなった、護憲・非軍事・革新への思いよりも、副大臣としての権力の行使、その達成感の味を忘れることができない「政権交代を逆戻りさせてはならないとの思い」であり、政策実現が「小さな政党にとって決して容易なことではありません」であるのは間違いないように思える。