鳩山前首相が首相時代に普天間米軍基地移設問題を09年末決着を翌10年3月決着に先送りし、10年3月末決着を5月末決着に先送りして、沖縄・連立与党・日米3者合意を日米合意のみの完全決着で完成させたように、10年6月2日の民主党両院議員総会で首相退陣を表明、その日の記者会見で宣言した、「次の総選挙には出馬いたしません」と結論づけた結論を翌11年の春に先送りするということだが、多分普天間問題と同様の姿形を変えた完全決着で完成させる予感が100%する。
《鳩山前首相、「バッジ外すか来春に結論」》(asahi.com/2010年7月17日21時29分)
昨17日の地元・北海道苫小牧市の鳩山由紀夫後援会会合――
鳩山前首相「相談せずに結論を出そうとして『唐突だ』と(言われている)。来年春の統一地方選を一つの目安に結論を見いだしたい。・・・・首相を経験した人間が、この地域のためにバッジを外した方がやりやすいのか。あるいはやりにくくなるのか。自分なりに決めて参りたい」
記事は、〈突然の引退表明への反発が根強い地元に対し、時間をかけて話し合う姿勢を強調したものと見られるが、引退表明の「撤回」と受け取られかねない発言だ。〉と解説。
地元の反撥が強かろうと弱かろうと、自身の意志で結論づけたことだと思うが、周囲の意向に揺れるところが鳩山前首相らしいとも言えるが、逆に周囲の意向を利用して自身の意志の撤回を図るという手もある。
記事は、〈鳩山氏は退陣表明した6月2日、記者団に「次の総選挙には出馬しない」と明言していた。〉と書いている。
そこで6月2日の記事。《「身を引くことが国益につながると判断」2日の鳩山首相》(asahi.com/2010年6月2日20時57分)
6月2日に民主党両院議員総会で首相退陣を表明したその夕方の首相官邸でのぶら下がり記者会見。
――去年7月、首相を終えた後は、政界に残ってはいけないと発言した。議員辞職する考えは。
まだ鳩山首相「私は国会議員としてのバッジを与えて頂いた、有権者が選挙で選んで頂いた。それを途中で投げ出すべきではないと。しかし総理たる者、その影響力をその後、行使しては、行使しすぎてはいけない、そのように思っています。従って私は、次の総選挙に出馬はいたしません」
――すぐに辞職するわけではないと。
「次の総選挙には、出馬をいたしません」 ――
例え淡々とした言葉遣いであったとしても、内心に強い決意を秘めていたはずだ。言葉の重みを知っている首相だからこそ、そうでなければならない。
《民主・鳩山代表「総理大臣終えた後は政界引退を」》(asahi.com/2009年7月26日20時46分)
麻生内閣の支持率が20%を切り、政党支持率でも民主党が自民党を上回り、どちらが次期首相にふさわしいかでも鳩山民主党代表が麻生首相よりも上回り、政権交代が現実味を帯びてきた時期であった。
7月26日の新潟県新発田市での講演。
鳩山民主党代表「総理大臣を終えた後、政界に残っちゃいけない。政治家たるもの影響力を残したい、という方が結構おられる。総理大臣まで極めた人がその後、影響力を行使することが政治の混乱を招いているんじゃないでしょうか」
記事は、自民党の森、安倍両元首相を念頭に置いた発言だとしている。自身はそうはならないという、思い描いた在るべき姿への強い決意表明でもあったはずだ。
そして首相引退後の一つのモデルケースともなり得る発案であった。
講演後の即席記者会見。
記者「自身も首相になって退任したら、次の選挙に立候補しないのか」
鳩山民主党代表「基本的にそのように考えている」――
政治家の言葉は重い。一般人の言葉とは桁違いに重いはずだ。重いからこそ、7月26日に表沙汰にした、多分かねてから結論づけていた自身の進退に関わる思い・決意を約10ヵ月後の翌年6月の首相辞任時に改めて国民への約束として持ち出した。
「次の総選挙には、出馬をいたしません」
そう、こう在るべきだとかねてから結論づけていた自身の進退を結論づけていたとおりに提示した。言葉の重みを知っている稀有な政治家なのだから、当然の結論であろう。約束は約束として常に守る世にも稀な政治家なのである。拍手!
地元紙「苫小牧民報社」が鳩山前首相へのインタビューを試みている。参考引用。
《進退、結論急がず 鳩山前首相が苫小牧入り》(苫小牧民報社WEB/2010年 7/17)
次期不出馬発言の経過を説明するため、苫小牧入りした鳩山由紀夫前首相は17日、市内のホテルで苫小牧民報社の取材に応じた。次期衆院選に出馬しない考えを示していることに、鳩山氏は「基本的な考えは変わらない」としながらも、「(首相経験から)国益への責務の果たし方としてどういうことがあるのか、もう一度真剣に考えていく」とも述べ、議員を続けることを含めて検討する考えを示した。鳩山氏は18日まで、胆振、日高管内の各市町を訪れ、民主党や後援会の会合に出席する。
インタビュー骨子は次の通り。
―参院選の結果をどうとらえているか
「民主党惨敗と見出しに書かれても仕方ない負け方だった。首相を辞める判断をして、その結果失った信頼がV字回復した。菅新政権が消費税の問題について、唐突に打ち出さなければ敗北にならないような戦いは十分にできた」
―鳩山政権時代の影響は
「普天間問題や政治とカネの問題がすべて影響しなかったと言うつもりはないが、V字回復した現実と各地でおわびしながらの応援の中で、批判的な言葉はなかった。その意味では消費税の議論と、みんなの党に対して選挙中に協力の呼び掛けに聞こえるような発言をしたことが大きい」
―次期衆院選に出馬しないというのはどういう思いからか
「自民党政権下で、首相経験者が内閣や政権に影響力を行使するのはいかがなものかと考え、運営している政権がやりにくいと見えた。自分が首相になった場合、辞めた後は潔くすべきとの思いからだ」
「それはわたしの考え。わたしが今日あるのも、バッジを着けているのも有権者が1票を投じて期待をしてくれたから。当然、辞める時にもそのことを理解してもらうことが最低限求められている。発言は発言として、もう少し丁寧に有権者や後援会の皆さんと話して、認めてもらえるか判断していきたい」
―首相経験者としての役割があるのでは
「24年間、国会議員として首相まで経験した責務がある。それが選挙に出ないことで果たしたことになるのか。これからの自分の生きざまは国益にかなわないといけない。長く居続けることが国益に反するのではないか、と判断した。鳩山としての国益への果たし方があるのかどうかをもう一度真剣に考えていく。菅首相も3年間選挙がないと言っている。その間にさまざまな動きがあるので、後援会や議員仲間とも相談しながら急いで結論を出すつもりはない。だから後継も考えていない」
―今後、どういう政治活動をしていくのか
「新しい公共や地域主権などの考えが順調に進んでいくのかを見守る。領土問題を含めた日ロ問題など国際的なテーマをバッジを着けている環境の中で任を果たしたい。また、二酸化炭素25%削減について、首脳同士や首脳経験者が何回か議論することになっている。それをやってほしいと菅首相からも言われており、受けるつもりだ」
要するに、結論ではなかったと言っている。「総理たる者、その影響力をその後、行使しては、行使しすぎてはいけない、そのように思っています。従って私は、次の総選挙に出馬はいたしません」は、かねてから首相経験者はこう在るべきだと結論づけ、一つのモデルケースにしようとしていた自身の進退に関わる思い・決意ではなかったと。
大体が結論づけた約束を違えるとき、その正当化の口実に政治家はそう言えばすべてが許されるかのように「国益」を持ち出す。「これからの自分の生きざまは国益にかなわないといけない。長く居続けることが国益に反するのではないか、と判断した。鳩山としての国益への果たし方があるのかどうかをもう一度真剣に考えていく」と。
すべては国益のためで、私益からの発意ではないと。
国民の支持を失ったのは国民が首相にしておいても国益にならないと見たことの間接的表現であったはずだが、少しも気づいていない。
そしてインタビューの最後の回答は議員引退の撤回宣言となっている。「新しい公共や地域主権などの考えが順調に進んでいくのかを見守る。領土問題を含めた日ロ問題など国際的なテーマをバッジを着けている環境の中で任を果たしたい」
残す衆議院議員の任期は解散がなければあと3年。結論づけたとおりの議員引退を守るつもりなら、普通は、「残す3年の任期の間、できる限りのことはしたい」といったふうに任期への執着よりも使命への執着に重点を置く言葉となるはずである。
それを解散がない限り3年間は「バッジ」は保証されているのだから、わざわざ持ち出すまでもない言葉を持ち出して、「バッジを着けている環境の中で任を果たしたい」と、使命への執着よりも「バッジ」への執着にウエイトを置いた発言となっている。
当然、この「バッジ」は現在の衆議院議員としての任期までの「バッジ」ではなく、次の任期をも視野に入れた「バッジ」であり、そのことへの執着と見るべきだろう。
このことはロシアが返還する気のない北方四島返還問題はロシアが返還する気がないのだから、衆議院議員のあと3年の任期の間に、途中解散があればなおさらのことだが、解決する可能性は限りなく低いことも証明している引き続いての「バッジを着けている環境の中で任を果たしたい」であろう。
「asahi.com」記事の題名は《鳩山前首相、「バッジ外すか来春に結論」》となっているが、自身の中ではその進退に関して既に「外さない」方向に向けて、このように在るべきだと結論づけているようにも思える。
あとは体裁のいい口実、「支援者が今後とも国益のために尽くして欲しいという要望が強く、失望させるのは忍び難かった」とかの理屈をつくり上げて、少しは票が逃げていくのは覚悟で次の衆議院選も立候補する。
要するに鳩山前首相の中ではこう在るべきだとする結論づけは一時的な姿でしかなく、最後まで貫き通すこう在るべきだの結論づけではないようだ。
だから、こう在るべきだと結論づけた普天間移設の「国外、最低でも県外」も、「自然への冒涜」も、「腹案」も、結論としての姿を最後まで維持することができなかった。
今後ともこう在るべきだの結論付けがそうではないことの場面の数々を見せてくれるのではないだろうか。乞うご期待!