岐阜県可児市鉄道高架下市道冠水、死者発生に見る危機管理の矛盾・手落ち

2010-07-20 09:58:14 | Weblog

 岐阜県可児市の鉄道高架下市道が6月15日、集中豪雨による可児川氾濫で冠水、通行中の車が流されて3人が行方不明、18日26歳の男性の遺体が発見され、残る2人は依然行方不明のままの状態になっている。

 「毎日jp」記事――《豪雨:岐阜・可児3人不明 通報装置作動せず 不具合か》(2010年7月18日 2時35分)が事態の推移と市の対応の状況を時系列で伝えている。

 先ずは当時可児市が高架下道路の出入口に設置した水位上昇時の通行注意を促す警報赤色ランプは作動せず、尚且つ高架下道路の警戒水位到達の場合と侵入雨水排出のポンプ故障の場合の市への自動通報が不通状態になっていたという。

 〈可児市維持管理課によると、名鉄広見線の高架下を走る現場の市道は、流れ込んだ雨水をためるタンクが地下にあり、タンクから近くの可児川へ水を流す排水ポンプも備えている。タンク内には水位計があり、タンクの水位が市道の最深部の下5センチまで迫ったり、ポンプが故障すると自動通報装置が作動。市にファクスと音声で通報され、高架から東西約20メートル地点など3カ所に設置された赤色ランプが点灯する仕組み。〉だと解説している。

 但し、赤色ランプ作動と自動通報〈装置は停電した場合、発電機の電力に切り替わるが、発電機も水に浸かった場合は作動しないという。〉ことだが、そこまでは想定していなかった危機管理となっていたことになる。

 この非想定危機管理判断の当否が問題となる。だが、記事が、〈市は06年に作製した洪水ハザードマップで、現場を市内唯一の「危険な地下道」に指定〉していたと伝えている「洪水」のケースを想定して構築しているはずの危機管理体制に合致した、発電機に関わる妥当な非想定危機管理判断であったと果して言えるだろうか。

 「洪水」のケースを想定する危機管理意識を持ちながら、発電機が冠水する場合を想定した危機管理態勢を取っていなかった。

 これは責められるべき矛盾・手落ちと言えないだろうか。

 時系列で見た事態の推移と市の対応――

 6月21日 赤色ランプと自動通報装置の1カ月点検――異常なし
 7月15日午後7時     1時間雨量73.5ミリの激しい雨
     同午後7時     市職員が警戒で現場巡回。ポンプ正常に作動、通行に支障なし
     同午後7時20分頃 現場の停電通報 ポンプ管理会社が社員を派遣   
     同午後7時40分頃 可児市会社員男性(34) 車で現場の高架下道路を進入 水位20センチ程
              だったが、車が流され、辛うじて逃げる。
              男性の弁「赤色ランプがついていれば通行は避けていた」
     同午後8時頃    ポンプ管理会社社員到着 道路は完全に冠水状態 この間、市に水位上昇の
              通報記録なし――

 他の記事によると、高架下出入口手前の擁壁上端に取り付けた、そこに下る手前の一般道路面とほぼ同じ高さの、多分高架下路面から2メートルかそれ以上の高い位置の赤色ランプも冠水していたいう。

 時系列で事態の推移を見ると、短時間で急激に水位が上昇したのが分かる。可児川が氾濫したのは他の記事を見ると、午後8時頃だったようだが、雨水だけではなく、可児川の氾濫による河水まで流れ込んだとすれば、当然の急激な上昇と言えるが、氾濫時間に合致する推移となっている。

 このような経緯についての可児市維持管理課のコメントを記事は伝えている。

 可児市維持管理課「通報はなく冠水の把握が遅れたのは事実。ただ停電の通報を受けて現場に向かっており、対応が遅れたとは考えていない」

 市幹部「停電時にも発電機は(完全に冠水した)午後8時ごろまでは正常に動いていたと確認されており、原因は調査中」

 両者とも責任なしの弁となっている。だが、自動通報がないからと、自動通報のない道路状況を正常な状態だと想定していたことが第一の問題ではなかっただろうか。「停電の通報を受けて現場に向かっ」たとか、「発電機は(完全に冠水した)午後8時ごろまでは正常に動いていた」とかの問題ではないという認識を持たなければならなかったはずだが、そのことに気づいていない。

 短時間に集中的に激しい雨が降っていたこと、可児川の水位が急激に上昇しているということの情報は刻々と把握していたはずだ。把握していなければならない立場にいた。当然、警報ランプを含めた各種災害防止・警告装置設置箇所周辺の状況の把握、及び自動通報装置が設置してある場合はその装置からの通報の把握に務めなければならない危機管理責任を負っていたはずだ。務めないとしたら、設置した意味を失うだけではなく、危機管理責任の放棄となる。

 上記「毎日jp」記事は、既に触れたようにタンクは〈地下にあり〉、〈タンクの水位が市道の最深部の下5センチまで〉達した場合、あるいは〈ポンプが故障〉した場合に〈自動通報装置が作動。市にファクスと音声で通報され、高架から東西約20メートル地点など3カ所に設置された赤色ランプが点灯する仕組み〉と書いている。

 いわばポンプが故障することまで想定した危機管理となっている。だが、発電機が冠水し、作動しなくなることまでは想定しない危機管理体制となっていた。

 だとしても、周辺の集中豪雨と可児川の急激な水位上昇の情報を併せ考えた場合、自動通報装置による通報を当然とした前提で通報を待ち構える危機管理態勢に入っていなければならなっかたのではないだろうか。何よりも、〈市は06年に作製した洪水ハザードマップで、現場を市内唯一の「危険な地下道」に指定〉していたのである。

 もし待ち構えていたにも関わらず、その時点で自動通報がなかった場合、現場の高架下道路は正常か、あるいはそれに近い状態にある、あるいは発電機が冠水した場合は作動しなくなることまでは想定しない危機管理となっていたとしても、何らかの障害によって自動通報が不作動となっていると考える危機管理判断を持たなければならなかったのではないだろうか。

 現場の高架下道路は正常か、あるいはそれに近い状態にあるとする判断は激しい雨と可児川の急激な水位上昇から無理があるから、何らかの障害による自動通報の不作動を想定する危機管理判断に立つのが常識的対応となる。

 あくまでも不可抗力であって、そこまで要求するのは酷ということなら、市は点検時に故障がなければ、機械は常に正常に作動して、機械の判断に任せ従った市の判断を正しいとすることを絶対前提とした危機管理意識に支配されていたことにならないだろうか。

 《災害時、通報装置作動せず 可児高架下道路》岐阜新聞WEB/2010年07月19日08:16)が、〈道路下のタンクに設置された排水ポンプの排水口は可児川方向に向いており、当時は可児川から押し寄せた水で逆流した可能性もあるという。〉と伝えていて、排水パイプが可児川の氾濫を待つまでもなく、可児川の水位上昇した河水まで吸い込んで逆流させる給水パイプの役目まで果たした可能性を指摘している。

 可児川が氾濫したのが午後8時頃。可児川の河水が排水パイプを逆流したとしたら、排水口は河堤(かてい・川の堤防)頂上部から下の位置に取り付けるのが当然の処置だから、氾濫する前から逆流が始まっていたことになる。

 「岐阜新聞WEB」がポンプ故障についての市のコメントを載せている。

 可児市「市道の排水ポンプは雨水を想定したもの。可児川のはんらんまで想定していない」

 高架下の危機管理範囲は雨水の想定までで、可児川の氾濫まで想定した危機管理ではないから、不可抗力だと訴えている。

 しかし、〈市は06年に作製した洪水ハザードマップで、現場を市内唯一の「危険な地下道」に指定〉していた。現場の高架下市道を洪水のケースを想定した危機管理体制下に組み入れておきながら、「可児川のはんらんまで想定していない」、雨水までを想定した排水ポンプの設置のみで済ませる危機管理態勢を取っていた。

 このことも責められるべき矛盾・手落ちのうちに入らないだろうか。

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