前原国交相の矛盾だらけ、合理的判断能力ゼロの二つの発言

2010-07-31 05:11:34 | Weblog

 二つの発言共、昨30日午前の閣議後の記者会見で飛び出した発言。

 一つ目は菅首相が29日の両院議員総会で、「9月の代表選で改めて私自身の行動を含めて判断いただく」(asahi.com)と代表選に立候補することを正式表明したことに対して前原国交相が支持する発言をした中での言葉。

 前原「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張っている民主党のカルチャーから早く脱しないといけない。仮に菅総理大臣が辞めても、コップの中で権力闘争をやっていることになれば、日本の国を変える大きな絵姿を描ける政党には脱皮できない」NHK記事

 二つ目は両院議員総会の欠席理由を問われて述べた発言。

 記者の質問の部分と前原国交相の返事の箇所は《前原国交相、議員総会欠席「海老蔵さんの挙式に出席」》日本経済新聞電子版/2010/7/30 10:58)の動画から。

 記者「昨日(?)、先の参院選を総括する両院議員総会を欠席されました。私は会場の方で大臣をお見かけできなかったんですが、えー、ご出席をされたのでしょうか?」

 前原「えー、きのうの両院議員総会は欠席をいたしました。あー、結婚式の招待状をいただいて、おりまして、えー、その出席というものを、私は早くから、明確にしておりましたし、えー、鏡開きを、をー、させていただくというお話も、おー、ございましたので、えー、そのことについて、最初から決めていた、アー、予定を優先させていただいたと言うことでございます」(動画はここまで)

 「結婚式の招待状」とは、歌舞伎俳優の市川海老蔵の挙式・披露宴の招待状だそうだ。

 記事は、〈そのうえで「批判は一切私の耳に届いていない。冠婚葬祭は人生の一大セレモニーだ」と釈明した。〉と書いている。

 欠席に関して、〈両院議員総会には小沢一郎前幹事長も欠席しており、前原氏欠席の真意が関心を集めていた。〉そうだ。

 先ず最初の前原国交相の「民主党のカルチャー」に関する発言。

 立派な戒めの言葉に民主党議員の殆んどは耳が痛い思いをしたに違いない。前原国交相自身はそのカルチャーに染まってはいないが、「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争が「民主党のカルチャー」だと断定しているのだから、身に覚えのない議員はそうはいまい。

 尤も自覚しないまま程度の低い権力闘争に現を抜かす輩(やから)もいるだろうが、それが国民の負託を受けた天下の国会議員だとなると、その無自覚性の問題が新たに生じる。

 いや、自覚しようがしまいが、日本の国会議員が例え民主党に限ったことであっても、「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争を「カルチャー」としていること自体が問題で、民主党は程度の低い議員の集まりと言うことになる。

 そのような議員の中で菅首相や前原国交相、その他がお山の大将として君臨しているわけである。何とも情けない議員集団ではないか。

 つまり、前原国交相は民主党は「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争を「カルチャー」としている議員ばかりだと批判したことにもなる。

 まさか小沢グループだけがそうだと言っているわけではあるまい。小沢グループに限った「カルチャー」であるなら、「民主党のカルチャー」とは言えない。

 大体が「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う「カルチャー」としてある権力闘争を開始したのは菅首相自身ではなかったのか。それに枝野幹事長や野田財務相、そして言っているご本人の前原国交相が追随した。

 いわば小沢グループ排除である。これも一種の“足を引っ張るカルチャー”の権力闘争と言える。適材適所、それが能力ある議員なら、小沢グループ云々は関係なかったはずだ。「短兵急に結論を求め」た排除、“足の引っ張り”だったから、参院選に大敗して民主党及び内閣の立場を悪くしたことから自身の存在理由を大分小さくした途端、6月3日の代表選出馬記者会見で、「小沢幹事長についてもですね、ある意味ではしばらくそうした国民の皆さんにとってのですね、ある種のこの不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいたほうが、ご本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとっても良いのではないかと、このように考えております」(MSN産経)と言っておきながら、自分の方から会談を求めて関係修復を図る動きを見せなければならなくなった。

 合理的判断も何もない愚かしい話ではないか。

 そもそもからして「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争を「カルチャー」としていて、それが民主党の実体だということなら、程度の低い権力闘争を「カルチャー」としていることと矛盾する「日本の国を変える大きな絵姿を描」く資質・能力ということになって、当然そういった政党への「脱皮」はないものねだりの期待不可能となる。

 却って国民からしたら、「お互いの足を引っ張」り合ったり、「コップの中で権力闘争」を露骨にやってくれた方が見切りをつけ易くなって有り難いのではないだろうか。

 「お互いの足を引っ張り合ったりするのが民主党のカルチャーではないはずだ」といった言い方でとどめておくべきではなかっただろうか。そのように言えば、否定を通した戒めの言葉となるが、間接的に民主党のカルチャーだと断言することにはならない。

 前原は、「日本の国を変える大きな絵姿」などと言うことは大層立派だが、言葉の矛盾に気がつきさえしない。合理的判断能力もなく、自身の才能に自信過剰であることから生じている小賢しさが仕向ける大層な言い回しに違いない。

 《前原氏、両院総会欠席し海老蔵披露宴に》デイリースポーツ/2010年7月30日)が前原国交相の両院議員総会欠席の記者会見の遣り取りをより詳しく伝えている。

 前原「冠婚葬祭は人生の極めて大事なセレモニー。数カ月前に招待状が届いており、どちらを優先するかは政治家が判断する。(総会欠席に)批判があれば甘んじて受ける」

 何を言っているのか意味不明。自分は正しい、間違っていないと頭から決めつけているから、こういったことが言えるのだろう。「政治家が判断する」とは何のことを言っているのだろうか。「政治家として判断した」ということなのだろうか。

 他の記事を調べてみると、「政治家の判断」、「政治家として判断」もある。それで動画がないかと調べてみると、「TBS」の動画記事、《前原氏、海老蔵さん披露宴で両院総会欠席》(2010年07月30日)を見つけることができた。

 前原「冠婚葬祭っていうのは、人生に於いて極めて、大事なセレモニーでございますし、えー、ああいう結婚式の、ご案内というのは、数ヶ月前から届いていて、社会通念として、どちらを優先するかと、いうことを、政治家が判断をすると。それについて批判があるんだったら、甘んじて受けます」――

 「が」になっている。政治家が判断するのだから、正しい、間違っていないということなら、政治家を何様の位置に置くことになり、尊大さを内に隠した発言となる。

 例えばの話だが、市川海老蔵から大枚の政治献金を前原に提供している都合上、結婚式への出席を優先させたということは政治の世界ではよくあることかもしれないが、だとしても、「社会通念」としてある優先行為ではない。あくまでも「政治上の通念」としなければならない。

 正確には「政治上の利害通念」と言わなければならないかもしれない。

 「冠婚葬祭っていうのは、人生に於いて極めて、大事なセレモニーでございますし」と言っているが、式当事者、もしくはその近親者にとっては「大事なセレモニー」であっても、前原本人にとっては交際上のセレモニーに過ぎないのだから、絶対的に優先させなければならない出来事だったろうか。

 式当事者の「冠婚葬祭」は当事者の出席は欠かすことはできない。特に本人の葬式は、世の中に少なからずあるかもしれないが、本人の遺体の出席がないと異例中と異例となって困るに違いない。

 両院議員総会開催の目的は参院選敗北の最終総括にあった。菅首相ばかりではない、菅内閣全体、あるいは執行部全体で受けるべき総括の場であった。前原国交相にしても、内閣、もしくは執行部を構成する一閣僚、一員として選挙敗北の責任の一端を担っているはずだから、総括を受ける現場に出席していなければならなかったはずだ。
 
 にも関わらず、「人生に於いて極めて大事なセレモニーでございます」と結婚式に出席して、両院議員総会を欠席した。

 菅首相の9月の民主党代表選立候補正式表明に前原国交相が支持する発言をした。菅首相の立候補表明は総括を経過させた上での立候補表明であったはずだ。当然前原国交相の支持発言も総括を一部始終見届けた上での支持発言でなければならなかったはずだ。

 あとで同僚の誰かに聞けばいいという問題ではあるまい。
 
 だが、「政治家が判断」したこととして、菅内閣の閣僚の一員として、執行部を構成する一人として一部始終を見届けなければならない両院議員総会を欠席し、市川海老蔵の結婚式への出席を「社会的通念として」優先させた。

 例え市川海老蔵が大事な友人・知人の類であったとしても、「人生の極めて大事なセレモニー」が前原にとって当事者としての「セレモニー」ではない以上、夫人が代理で出席しても足りる式であったはず。本人が出席しなければ始まらない式ではあるまい。

 前原国交相の知性に子どもっぽさを感じる。子どもっぽさを隠すために、強がった表情や態度、強がりの言動につながっているように見えてしまう。

 内閣としての、あるいは執行部としての責任を見極めなければならない両院議員総会を欠席して、「人生に於いての極めて大事なセレモニー」だ、「社会通念としてどちらを優先するか」だ、「政治家が判断をする」だなどと言って結婚式の出席を優先すること自体が子どもの言動としか言いようがない。

 確実に言えることは、合理的判断能力を欠いている点については菅首相と優るとも劣らないいい勝負の状況にあるということではないのか。

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